日本明慧
|
法を多く勉強して自分を修め、衆生を救い済度する(一) 以前勤務していた会社は、法輪大法の真相を伝えるのにとても便利な場所でしたので、まさに「脱党センター」のように、毎日数10人もの人を「脱党」させることができ、私は、法の中に溶け込んでいて、とても幸せでした。2009年に退職して真相を伝える良い場所を失い、とても辛く思っているとき、私は同修の一言で目が覚めました。「金ならどこに置いても輝く!」私は冷静になって考え、今後の修煉の道を正しく歩んでいこうと決心しました。
修煉を積む中で、たくさんの魔難に出会いました。今日、私はいかに家庭の難関を突破し、穏やかに修煉の道を歩み、「三つの事」をより良く行えるのかを同修と分かち合いたいと思います。次元には限りがあり、不適切なところがありましたら、ご指摘をお願いします。
家庭の難関を乗り越える
私が以前勤務していた会社で法輪大法の真相を伝えていたとき、心性上の大きな難関はほとんど有りませんでした。定年後は、家で姑(80歳以上)と孫(6歳)の面倒を見ながら、すべての家事をやり遂げ、時間を割いて、姑に煉功と法輪大法の素晴らしさを教え、孫に『洪吟』を60編以上も覚えさせました。
しかし、ある日突然、家族全員が私の修煉に猛反対するようになりました。家族は私が「この家を壊す」と言って、修煉を諦めさせようとしました。私は「例え夫と離婚しようが、子供と親子の関係を切っても修煉を放棄しない」と意思表示をしました。しかし後日、私は旧勢力が按配した道を歩んでしまったことに気が付きました。
それから毎日、家族は私を見張って、「三つの事」を行うことを阻止しました。自由を失った私は、同修との連絡を絶たれ、修煉環境も失い、どれほど辛かったのか、同修にはきっと理解できると思います。私は仕方がないので夜中に起きて法の勉強をし、冷静になって内に向けて探してみました。これは明らかに師父が按配してくださった修煉の道ではないので、一体何が原因で家族との矛盾が生じたのでしょうか?
私は内に向けて探した結果、闘争心、不平に思う心、顕示心、不当な待遇を受け入れることができない心を探し出すことができました。ですから私は、自分の考えを正し、今後やるべき事を行い、法を多く勉強し、執着心を取り除き、精進しようと決心しました。しかしこの関をまだよく乗り越えていない時、次の関が来ました。子供たちは、中共(中国共産党)の圧力により、私が彼らの前途を壊してしまうのではないかと心配して、私を敵とみなし、私を再び部屋に閉じ込めて、「師父の法像と大法の本を燃やしてやる」と言いながら、修煉を諦めさせようとしました。
前回の経験もあり、私は「心性を守らなければいけない」と思い、彼らと喧嘩をしませんでした。私は冷静に「修煉は健康になれるし、良い人になれて心身ともに高めることが出来ます。何か間違っていますか?」と言いました。すると、かえって娘婿を怒らせてしまい、娘婿は私に「あなたは健康でなくてもいい、そんなに長生きして何をするのですか」と罵られました。そこで私は我慢できずに、「師父が説かれた法理は理解できるけれども、自分にどうしてこのような子供がいるのか? 自分の人生はすべて子供のために苦労してきたのに・・今になってこんな扱いを受けて・・」と思って憎み、悲しくて仕方が有りませんでした。
このとき師父の法が頭に入って来ました。「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません」(『転法輪』)
私は涙を抑え、彼らを相手にしませんでしたが、この関門を乗り越えることが出来ず、心性も常人のレベルに落ちてしまいました。私は、無条件で内に向けて探した結果、自己中心的で、いつも他人を変えようとして、自分を変えようとせず、情が重く、子供への愛や夫への情も強く、甚だしきにいたっては、「もし自分が円満成就できたら、彼らを置いて行っては可愛そう、彼らに申し訳ない」と思ったことまでありました。どんなに愚かなのでしょうか! 常人の情は最も不潔で、頼りにならないものです。この一連の出来事は、すべて自分自身がもたらしたことではないでしょうか? 自分の修煉の不足によって家族に対する漏れを邪悪に乗じられ、家族が大法に罪を犯してしまい、本当に恥ずかしく思います。
今まで私は自分を上士と見なしていて、法を得るのは遅かったのですが、修煉状態も悪くなく、多くの人にも真相を伝えたため、潜在意識の中に顕示心や、歓喜心が潜んでいたことに気が付きました。実際、師父がいらっしゃらなければ私に何ができると言うのでしょうか? すべては師父がやってくださいます。私は、内を向けて探せば探すほど怖くなって、素早く自分の言動を正しました。この関門を通して、私は自分の認識の違いに気がつき、彼らが、私に心性を高める機会を提供してくれたので、慈悲の心で対処しなければならないと分かりました。
(続く)
|
関連文章
- 西洋人の子ども弟子の修煉体験
- 執着には大小なし
- 師父の真修の弟子になる(一)
- 法を正す時期の修煉において、個人修煉を重視することはとても重要
- 日常生活の中で内に向かって探して、心性を高める
- 江沢民の死に執着心を起こさない
- 法をしっかり学ぶことは、師を信じ、法を信じることの基礎である
- 80年代以降に生まれた大法弟子の体験
- 大病院に見放された重病人が九死に一生を得る(二)
- 大病院に見放された重病人が九死に一生を得る(一)