日本明慧
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法輪大法を修煉してから起きた奇跡
1999年に大法への迫害が始まった最も厳しい時期に、私は大法の門に入りました。当時は多くの病気を患っていましたが、治療しても治らないため、人の紹介で法輪功を修煉し始めました。その当時の環境はとても厳しく、煉功もまだ分からず、『転法輪』を一通りも読み終えておらず、心性とは何かも分からないまま、恐れる心がとても重かったのですが、一人で部屋の鍵をかけて、師父の煉功ビデオを見ながら動作を学びました。
主人はとてもよく理解してくれて、私が学法や煉功をする時、自ら外で見張ってくれました。その後、同修が交流に来て、主人も真に大法弟子になりました。
ここで、修煉してから起きた、五つの奇跡を紹介したいと思います。
一、修煉する前、私は悪質な癌を患っており、医者も何もできない状態で、しかも癌は末期に入っていて、家に帰って死ぬのを待つしかない状態でした。ここまで書いて思わず涙がぼろぼろ流れ、形容できない当時の辛さと悲しさを思い出しました。
このような状況で、私は大法の修煉へ入りました。毎日、学法と煉功をして、「真・善・忍」に基づいて心性を高めた後、喉の癌が治りました。
二、1999年8月、孫娘と一緒にバスに乗って他地区へ行き、大橋を通ったとき、突然バスは大きな音がしました。乗客はびっくりして、運転手が降りて状況を確認しに行き、しばらく経って運転手は大汗をかきながら言いました。「軸が折れた、普通この状況なら車が転覆するはずなのに、今日はなぜ?・・・」
周りを見て思い出しました。そうか、自分は大法弟子だから、師父が守ってくださったのです! 偉大な師父は私だけでなく、満員の乗客も守ってくださいました。心から合掌して偉大で慈悲なる師父が二度も私の命を助けてくださったことを感謝しました。
三、ある日の夕方、孫娘が熱を出して意識を失いました。私は足を組んで『洪吟』「威徳」の「大法身を離れずして 心に真善忍存す 世間の大羅漢 神鬼は十分懼れる」の暗誦を始め、主人はそばで「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と念じました。私たちがこうして念じているうちに、しばらくして孫の熱も下がり、一家そろって再び師父に感謝しました。
四、大法弟子の口から出た言葉はエネルギーがあります。以前、私たちの地域の大法の協調人は法会に適切な場所を探していましたが、誰の家も無理でした。その時、私は「もし条件がかなえば、私の家でやりましょう」と言いました。この一念は本当に現実になりました。その後、我が家は本当に一軒のマンションを購入し、それからの大型法会が私の家でできるようになりました。
五、私の家族はみんな師父と大法を信じ、私が大法を修煉することも理解してくれました。私の息子は外での商売がうまくいき、これは大法が私の家族に与えた福です。心の中で常に真善忍を念じれば、幸福は縁のある人に訪れるのです。
2009年の旧暦12月27日、他省にいる息子がまだ帰らず、私は焦っていました。後で娘の電話から分かりましたが、息子は入金が確認できず、面倒なことになっていたのです。息子が正月に帰らないと私も安心できないと思い、電話で息子に「入金がなくてもかまわない、向こうの人もきっと手が回らないのよ。無理に要求しないで、他人から借りたお金を先に返せばいいわ。良い人には良い報いがあるのよ。家に帰って来て正月を過ごしましょう。お母さんの話を聞きなさいね」と言いました。翌日午前、娘から「入金が大体全部入ってきて、残る1万2千元も借用証明書を書いてくれました」と電話がありました。
師父のご恩は返すことができません。残る最後の時間で、しっかりと三つのことを行ない、師父の慈悲なる済度に背かないよう、師父が法を正すことを手伝って衆生を救い済度します。これは私の先史の大願であり、必ず誓いを叶えます。
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