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山東省;青島市の女性法輪功修煉者 再び連行される(写真)

 山東省青島(チンタオ)市に在住の法輪功修煉者・エン景秋さん(53歳女性)は2011年8月17、地元の中共(中国共産党)610弁公室と派出所の数人の警官らに自宅に侵入され、家宅捜査された。警官はエンさんの個人の品物を車1台分没収した。

 当日、エンさんは寧夏派出所に連行され、青島市北支局の警官に尋問された。

  翌日8月18日、派出所側はエンさんを労働教養所に送るつもりで、エンさんを病院に連れて行って健康診断を受けさせようとした。しかしエンさんはそれに従わず、「法輪大法は素晴らしい」と叫んだ。そのため、警官らに腕と足を捕まえられたため、エンさんの腕はあざだらけになり、腰も捻挫して動かせなくなった。しかし、エンさんは何とか健康診断から免れた。エンさんはその日の午後、紹興路67号にある洗脳班に拘禁された。

 エンさんは洗脳班の警官に、没収されたパソコンなどの品物を誰に買ってもらったのか、誰から資金を提供されたのかなどを尋問された。エンさんはそれに答えず、不当連行されたことに断食を行って抗議し、警官らに法輪功の真相を伝え続けた。8月21日午前、派出所側は責任を負うことを恐れ、断食で体がかなり弱っているエンさんを釈放したという。

 エンさんは青島市北区に在住し、1996年から法輪功の修煉を始めた。修煉を始める前には、心臓病や高血圧症、肩関節周囲炎、胃下垂を患っていたが、全て完治し、健康を取り戻した。

 しかし、1999年7.20、中共(中国共産党)政府が、法輪功への弾圧を開始した。エンさんは、連行や拘禁、拷問などを受けてきたが、九死に一生を得た。

 2005年8月4日、エンさんは道路にかけてあった法輪功を誹謗する横断幕をはさみで切った。そのため、警官に連行されて殴られ、頭が血まみれになり、留置場に拘禁された。エンさんは留置場で手錠と足かせをかけられ、また手と足が一つの手錠でつなげられたまま、5日間コンクリートの地面の上に放置された。エンさんは体の半分が麻痺し、生理の血も流れた。エンさんは迫害に抗議するため断食を行ったが、警官・李に髪の毛を引っ張られ、手足を押し付けられて灌食された。

拷問の実演:灌食

 2005年9月4日午前、8~9人の警官らは、エンさんを王村労働教養所に移送した。労働教養所側はとても衰弱しているエンさんを見て、受け入れなかった。しかし、610弁公室のリーダは「私たちがお金を出すから、エンを入れろ」と言って、強行にエンさんを労働教養所に入れた。

酷刑演示:铐在椅子上

拷問の実演:椅子に縛られる

 エンさんは、労働教養所でも続けて断食を行った。そのため、警官らはエンさんが手足を動かせないように椅子に縛り、2~3日ごとに灌食を行った。エンさんはチューブを鼻から胃まで挿入され、5~6日間放置されたため、胃の痛みに苦しんだ。その灌食は1カ月間も続いた。灌食で苦しんだエンさんは、痩せこけて骨と皮ばかりになり、椅子に座せられたばかりで臀部にたこができ、鼻血も流れ、足から腰まで腫れてしまった。エンさんは鼻が腫れて灌食ができなくなったため、鉄製のベッドに縛られて、点滴をされた。

 警官・燕は、エンさんに修煉を放棄させるため、ペン先でエンさんの指先を刺し、修煉しない保証書「三書」を書くよう強制された。11月のある日、警官・李はエンさんをトイレに引きずり、タオルを冷たい水に浸してエンさんの頭頂部に置き、氷を乗せた。また、エンさんを眠らせないため、警官らは交代でエンさんを部屋のあちこちに引きずった。エンさんは足が腫れ、脚は霜焼けになり、殴られて半年くらい耳が聞こえなくなったこともある。

 エンさんは、それでも屈しなかった。そのため、エンさんは労働教養所の医者に不明薬物を注射され、1度精神異常になった。

 その後、エンさんは再び断食を行い、警官に残酷な灌食をされた。エンさんは灌食後、ガムテープで口を塞がれ、トイレの窓に2日間吊るされた。

 2005年、エンさんの2番目の姉も労働教養所に拘禁された。父はそのショックで、2005年12月に死亡した。 

 2007年、エンさんが拘禁されることで夫はショックを受けてうつになり、白血病を患って、死亡した。エンさんは、父と夫に臨終まで会うことができなかった。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/29/246038.html)
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