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法を暗記することで 学法時に他の事に気を取られない

  三つのことをよく行うためには、学法がとても重要です。以前『転法輪』を週に一回のペースで読んでいたことが、1999年以降、自分の修煉状態と三つのことを行うことに肝心な作用を果たしました。しかし、法を読むとき、のことに気を取られてしまうことがしょっちゅう現れるようになりました。読み続けるとまた集中することができるので、別に気にしませんでしたが、このような状態は長く続きました。
 
 法輪大法を修煉する弟子が、師を敬い法を敬うことは至極当然のことですが、『転法輪』を読んでいるときのことに気を取られるということは、師と法を尊敬していないことだとは気付きませんでした。学法がしっかりできなければ、三つのことを行うことに必ず影響を与えます。その後の23年間は、常人の仕事に妨害されてしまい、三つのことを行うことが停滞してしまいました。頭の中ではこれが妨害だと分かっていましたが、正念がなく、繰り返しの連続でした。
 
 明慧ネットで多くの同修の、法を暗記する体験談を読んで、自分も法を暗記しようと決意しました。初めのころは、本当に勢いよく法を暗記し、確かに学法の効果も非常に良いものでした。トラブルに出遭ったとき、暗記した法が頭に浮かび、修煉状態も良く、三つのことも順調に行うことができました。
 
 続けて暗記するうちに、段々難しく感じるようになりました。私は小さなタイトルごとに暗記していましたが、タイトルの内容が長い場合は呆然(ぼうぜん)となりました。1日に数ページずつ暗記して、1週間程かけてようやく小さなタイトルを一通り暗記することができましたが、正確には暗記することができず、どれだけ暗記しても内容を繋ぐことができませんでした。時間が経つにつれて意欲も落ち、数カ月かけてやっと一講を暗記できました。私は「これでは学法が足りないので、三つのことに影響してしまう」と言い訳を探し、いったん法を暗記することをやめました。その後、また法を暗記しようとしましたが、またあきらめてしまいうという始末で、その繰り返しでした。
 
 他の同修は『転法輪』を何回も暗記したのに、なぜ自分は一講も暗記できないのかと常に考えていました。一人一人の大法弟子歩む修煉の道は異なり、私の頭では確かに法を暗記することは難しいのですが、法を暗記することが不可能なわけではないと思いました。
 
 学生時代、何かを暗記するときは、まずその段落に何が書かれているか、何が重要なのかを定義してから暗記してきました。しかし法には定義を下してはなりません。私はふと思いつきました。一講毎にいくつかのタイトルがあり、また一節毎にいくつかの段落があることがわかりました。これは法を定義することでもなく、長いタイトルの全体的な順序もすっきりしまし。この方法で一講を短時間で暗記することができました。法を暗記する時間が長くなり、今暗誦している段落は『転法輪』のどのページの何段落目かなどもわかり、頭の中で『転法輪』の本を開いているようでした。
 
 現在私の学法は、一講ずつ法を暗誦していますが、のことに気をとられると、うまく暗誦することができません。何回暗記しても覚えられない部分は、必ず自分がこの点でよく行っていないところだと分かり、心性の向上に明らかな作用があります。この方面の心性が向上してきたら、暗記することもできました。法を暗記すれば、法が心にとどまり、他の不足も見つかりました。決まった時間に煉功しないことも、昔は各種の言い訳でごまかそうとしましたが、法を暗記してから、煉功に対する認識も深まりました。
 
 学法をするとき、のことに気を取られる同修たちは、法を暗記することをお勧めします。時間が足りるかどうかを考えず、寸暇を惜しんで法を暗記することで心を静めて学法することができ、よりよく三つのことを行うことができます。本当に法を暗記したい心があれば、必ずできます。
 
 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/9/7/246362.html)
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