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再び修煉の道へ

 人が生きる意味は何でしょうか? 「名誉」、「利益」、「情」のためでしょうか? 私は若くして、中共(中国共産党)によって模範人物とされ、自分でも光栄だと思い込んでいました。しかし、年をとるにつれて、私が追求していたものは何だったのかと疑問を持ち始め、やがて自分自身がわからなくなってしまいました。それから、私は哲学理論を勉強し始め、色々な有名人の本も読み、仕事関係を利用して文化人と接触して解決しようと思いましたが、何の答えも見つかりませんでした。

 精神的な苦痛が頂点に達した30代の終わりのある日、私は偶然に知り合った大学教授から、『転法輪』と煉功テープをもらいました。『転法輪』を読み終え、心が開きました。私はとても明るくなり、苦痛が飛び去りました。人が生きる本当の意味は「返本帰真」だとわかったからです。それから私は、いつも執着していた名や利、情がとても薄く感じました。人の心を推測することや、人に言われたことをとても気にすること、人事移動など、いつも仕事が習慣病のように気になっていたことも、気にしなくなりました。師父が「われわれの失うものは、実際に悪いものにほかになりません。それはなんでしょうか? それはほかならぬ業力なのです。この業力は人間のさまざまな執着心と一体関係にあります」、「それでは、何を得るでしょうか?それは次元の向上と、最後に正果を得、功成って圓満成就に達することにほかならず、根本的な問題を解決するということです」(『転法輪』)とおっしゃたことを理解できました。
 
 私は以前、リウマチ性心臓病(冬に時々入院することもある)、胆のうポリープ、緑内障、便秘など、数種類の病気を患っていましたが、法輪功の修煉で体が軽くなり、元気を取り戻しました。
 
 師父はこの世で迷っていた私を修煉の道に導いてくださいました。私は『転法輪』で教えていただいた法理に従い、常人の昇進や良いマンションに住みたいとか、離婚紛争などから離れ、より良い人になるように努力しました。そして以前に感じたことがなかった幸せを感じ、単純で道徳が向上できる最高の人生を手に入れました。
 
 しかし、1999年7.20から、中共は法輪功への弾圧を開始しました。グループ学法の環境を失い、私は仕事や常人のことばかりで忙しくなりました。1999年末、私の心臓病が再発し、心臓機能が低下しました。有名な二つの病院で検査を行った結果、二尖弁の弁の状態はギリギリ手術ができる状態になっており、すぐ手術を行わないと、手遅れになり死ぬと言われました。心臓病は私にとって放棄できない執着心でした。私は常人の立場に立ち、「自分の功力はまだまだ足りない。この大きな難関は乗り越えられない」と考えてしまいました。私はとりあえず、手術をすることを選択しました。この選択で私は修煉の道で遠まわりをしてしまいました。
 
 手術後、私は生と死の境界線でさまよいました。また、病院からもらった薬をたくさん飲まなければなりませんでした。特に退院のとき、医者から「一生、ワルファリンを飲み続けてください。飲まないと金属の弁が血栓になり、生命の危険があります」と再三教えてくれました。私の友人の弟さんは、私と同じ病気で手術をして、ワルファリンを飲まなかったので、10日間後に激しい頭痛を起こし、死んでしまいました。
 
 手術後の数カ月間、私は熱、頭痛、不整脈を繰り返し起こしてよく入院しました、体が極度に衰弱して話すことさえ困難になり、脊椎にも問題が起きました。私は常人の次元に落ち、毎日絶望して苦しんでいました。しかしそのとき、慈悲なる師父の按排により、数十年顔を会っていなかった大学の同級生(同修)が突然、私の家を訪れてきました。彼は師父の新しい経文、同修たちの修煉体験の文章を持ってきてくれ、私は一気に読み終えました。私は読みながら、涙が溢れました。偉大な師父が衆生を救い済度される、慈悲で広い心に感銘を受けました。その後、彼は私と一緒に学法し、煉功しました。私は「なぜ、自分が常人の医学を信じ、師父と大法を固く信じていないのか、なぜ、返本帰真の願いを忘れたのか」と、とても恥ずかしく、悔しく思いました。私は自分に「大法は大きな溶鉱炉であり、鉄や鋼も溶けるのだから、金属弁と血栓は全然怖くない」と言い聞かせました。
 
 その後、私は学法グループに参加しました。同修と交流し、私は「ワルファリン」を捨てました。あれから、私は師父に要求された「三つのこと」をよく行い、今日まで健康で来られました。
 
 修煉においては、精進している同修にはまだまだ追いついていません。頑張りたいと思っています。不適なところがあれば、ご指摘をお願いします。
 
 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/8/245094.html)
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