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法輪功を修煉して癌が完治した優秀教師が迫害される

一、法輪功を修煉して命を救われた
 
  河北省ライ県に在住の法輪功修煉者・姚玉ハクさん(66歳女性)は優秀教師であった。姚さんは1994年に末期癌を患い、県立病院、保定市病院、北京の病院で4度の手術を受けた。しかし、手術しても癌は一向によくならなかった。その後、姚さんは法輪功を修煉し、癌が完治して、健康を取り戻した。そのことで、姚さんは人々に名を知られるようになった。1999年7.20から、中共(中国共産党)は法輪功への弾圧を開始した。法輪功修煉者である姚さんは、中共の迫害の重点目標の人物になった。
 
 姚さんはライ県の教育界で優秀な「キャリアウーマン」としてよく知られていた。姚さんはかつて、省の優秀教師として選ばれたこともある。
 
 しかし、仕事も順調で家庭も円満な姚さんが突然倒れて、末期癌と診断された。勤め先も家庭も爆弾を落とされたような衝撃を受け、恐怖と絶望、悲しみに打ちのめされた。姚さんは入院して手術を受けた。化学療法、放射線療法で、激しい嘔吐、倦怠感などが起こり、とても苦しんだ。姚さんは空に向かって大声で泣き叫びたかったが、やがてその気力もなくなった。幼い子供2人と80歳を過ぎた父親のことを考え、姚さんは絶望と苦痛の中で、ただ黙々として、涙が流れるだけだった。
 
 姚さんは化学療法で骨がもろくなり、髪の毛も抜け落ちた。放射線療法で胸と背中の皮膚が焼かれて黒くなった。医者はついに、「あなたの全身に癌細胞があるため、家に帰って、ゆっくり養生したほうがいいですよ」と言い、退院を勧められた。仕方なく、姚さんは絶望的な状態で、久しぶりに家に帰った。
 
 退院して2カ月、姚さんは身体が麻痺して動けなくなり、自立生活ができなくなった。姚さんは「もう私の人生の最期にきたのだ。もう残された時間はそう長くはないだろう」と思いながら、その最後の時をただ1秒1秒待つしかなかった。 
 
 1997年春、姚さんが瀕死の状態にあった時、姚さんの従姉が見舞いに来た。従姉は姚さんに貴重な本である『転法輪』を届けに来たのだ。姚さんの体は煉功できる状態ではなかったため、従姉は「『転法輪』を読んで、その法理に従って心を修めれば、法輪功の師父はきっと、あなたの体を浄化して、病気を取り除いてくださいますよ」と姚さんに教えた。
 
 従姉が帰ってから、姚さんは従姉の話した通りにしてみようと思い、『転法輪』をむさぼるように読み始めた。しばらくして、本当に奇跡が起きた。姚さんは立つことができ、立って煉功することもでき、さらに、歩くこともできた。姚さんは嬉しくて、嬉しくて泣き崩れた。姚さんは涙を拭いながら、心の底から師父に言った。「師父に感謝いたします。私は何も差し上げていないし、1元も支払っていないのに、私の難病を治してくださり、第二の生命を授けてくださいました。このご恩をどのように返せばよいのでしょうか!」
 
二、法輪功を学び 繰り返し迫害される
 
 姚さんは健康を回復し、一家は平穏に暮らすことができるようになった。しかし、1999年7.20から、邪悪な中共の江沢民グループは全国的に法輪功修煉者に対し、天地を覆い隠すかのような弾圧を開始した。姚さんはその重要人物として、迫害を受け始めた。姚さんは中共関係者らに、修煉しない保証書を書くよう強要されたが、姚さんは「法輪功を修煉していなければ、私はもうとっくに死んでしまっています。もし、修煉をやめて病気が再発したら、誰か責任をとってくれますか」と言った。しかし、担当者たちのリーダーは「上からの命令だから、受け入れるしかない。修煉をやめろ」と言った。
 
 姚さんはどうしても「その命令」が納得できなかった。姚さんは「もし、修煉をやめたら、死刑を言い渡されたも同然です。政府は九死に一生を得た人を死に追いやるのでしょうか。政府は人民のための政府ではないのでしょうか」と考えながら、布団をかぶって泣いた。姚さんは保証書を書かなかった。その後、姚さんは尾行されたり、監視されたり、嫌がらせをされたりした。真冬に、死んだネズミのいる部屋に閉じ込められたことがあり、保証書を書くよう強要された。しかし、姚さんは信念が固く、「師父のご恩は決して忘れません。師父を裏切りません」と決意した。
 
 2000年の年末、姚さんは子供たちと楽しくお正月を過ごすため、正月の準備をして待っていた。しかし、勤め先の校長に呼ばれて、教育委員会に行くよう強いられた。教育委員会で書記・朱は、法輪功修煉者が北京へ陳情に行かないように防止策についての話をした。逆に姚さんは、はっと気がついて、「北京で陳情できるなら、北京へ行こう」と決意した。
 
 その翌日、姚さんは1人で北京へ行った。天安門広場で「真・善・忍」と書かれた横断幕を開き、「法輪功は素晴らしい! 法輪功の師父は無実です!」と叫んだ。私服警官がやって来て、横断幕を奪い取り、姚さんを蹴り倒した。姚さんは連行され、天安門派出所に拘束された。そこには多くの法輪功修煉者が拘禁されていた。その後、姚さんは地元の公安局に送り返された。公安局で姚さんは自分の修煉体験を話し、その場にいた人たちはみな深く感動し、姚さんは釈放された。
 
 翌日、教育委員会は姚さんをまた留置場に送った。その後、姚さんは拘禁され、給与も停止された。
 
 姚さんは留置場で犯罪者のように扱われ、77日間拘禁された。姚さんは痩せこけ、白髪ばかりになった。そして、病気が再発したため、留置場側は責任を負うことを恐れて、姚さんを釈放した。
 
 家に帰って、息子が「同級生たちはみんな財政部門の仕事についた。僕はお母さんのことでその仕事にはつけなかった。でも、お母さんが生きて帰ってくることができたのはとても嬉しいよ。それで満足している。僕も仕事が見つかった。とりあえず、僕たち一家の生活は維持できるよ。妹の授業料は後で考えよう」と言った。この話を聞いて、姚さんの心はさんざん痛んだ。
 
 姚さんの体が少し回復してきたある日、夕食後、一家はテレビを見ていた。突然、教育委員会と以前の勤め先の学校の数人が姚さんの自宅にやって来た。彼らは、姚さんを教育委員会に行くよう強要した。姚さんは怒って、「私とあなたたちとは何の恨みもないのに、なぜ私にいつも罪を着せようとするのですか」と言い、従わなかった。しかし、副局長は4人の若者を呼んで来て、姚さんを強引に車に乗せ、直接洗脳班に送った。
 
 洗脳班で、姚さんは5千元をゆすり取られた。姚さんは昼間は「転向」するよう説得され、夜は法輪功を誹謗するテレビを見させられた。姚さんは1日中監視されていた。心身ともに迫害された姚さんは、胸にできたしこりが徐々に大きくなり、上半身が紫色になった。危篤状態に陥った姚さんは洗脳班から釈放された。
 
 法輪功は姚さんの命を救い、姚さんに良い人になる道理を教えた。しかし、姚さんは中共に法輪功を裏切るよう強要された。このような政府には、仁・義はなく、良知をまったく喪失していると言える。
 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/9/19/246934.html)
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