私の修煉の過程において、半分悟りを開いた状態で修煉しています。師父が『転法輪』の中でおっしゃった一言一言の法理を、私はほとんど身をもって体験してきました。ですから私は、師父と大法に対して疑ったことはありませんでした。そのため私は、生活や仕事の中で出合った人々に、1人も見逃すことなく大法の真相を伝えてきました。その場ですぐ真相を伝えることができなかったとしても、その後、真相を伝えられるよう基礎作りをしました。また精進していない同修に対して嫌がることなく、精進できない原因を一緒になって探しました。私はどんな事であっても、師父のおっしゃった「内に向けて探す」ことを肝に銘じ、乗り越えられない関はありませんでした。出合ったすべてのこと、聞いたすべてのことは必ず自分と関係があり、修煉の要素が含まれていると思いました。
会社の指示に従って、私は以前の仕事に戻り、遠洋貨物船に乗りました。船を大掃除した際、ゴミ箱に鉄砂が入りすぎていて、その重さで吊り上げていたゴミ箱の取手が折れ、上から私の頚部に落ちてきました。私はそのゴミ箱に叩きつけられ床に倒れました。その場にいた船員の皆が立ちすくみ、彼らは我に返った後、走って来て、「大丈夫ですか」と声かけて、助けてくれました。私は何事もなかったかのように、「私は大法弟子です。大丈夫です」と返事をしました。そしてそのまま少し横になり、落ち着きを取り戻し、自分の力で立ち上がり、手足を動かしてみましたが、どこにも異常はなかったので、梯子に登り、看板まで上がりました。ゴミ箱の位置から船底までの距離は10メートル以上ありました。一般の常人であれば、あのような重いものが頚部に落ちてくれば、身体はばらばらになっていたでしょう。しかし私の身には何もなく、船員たちは指を立てて「奇跡だ!」と称えていました。私は内心で、師父に感謝しました。師父は私の巨大な災難を、さら一つ取り除いてくださいました。
多く学法して、よりよく学法することは、大法弟子としてのすべきことであり、すべてのことをよりよく行うことの保障なのです。どこにいても、どれほど忙しくしていても、私は毎日最低でも、『転法輪』一講を学法するようにしています。私が思うには、身体は汚くなれば洗い落とせばいいのですが、毎日、常人と付き合い、行うこと、見ること、聞くことはすべて常人のことであり、思想が汚染されていますので、学法することによって浄化するのです。グループ学法はもっと効果がよく、学法する時は、年齢によって読む早さが違い、声の大きさも違い、皆の協調ができれば、はじめて揃うことができ、同時に皆の心が知らず知らずの内に正に帰することができます。師父のご加護の下で同修を探し出して、一緒に学法するのです。私はできるだけ同修と一緒に学法できるような環境を作り、師父が切り開いてくださった修煉の道を歩み、旧勢力の妨害を否定するのです。
毎日全世界の大法弟子が共に行う4回の発正念も、私はほとんど欠けることなく行っています。時には特殊な状況に応じて発正念していますが、効果はとてもいいのです。ある船に乗船した時のでき事ですが、南方から来た船員たちは、私たちのことを理解していなかったため、言いがかりをつけてきました。私は彼らに何回も大法の真相を伝え、真相資料や『共産党に対する九つの論評』を彼らのパソコンにコピーしてあげたのですが、彼らは依然として見ようとしませんでした。私たち数人の大法弟子は相談して、全世界の発正念する時間以外に、彼らに対して、一時間の発正念を実行することにしました。数日後、彼らは素直になり、私たちが伝える大法の真相を受け入れ、三退をしました。
発正念は、自分をよく修め、衆生を救うために欠かすことのできないものであり、随時に正念を発してもよく、機会があれば当地の状況に応じて、適当に発正念する時間を増やしてもいいと思います。
真相を伝えて衆生を救う事は、自分の修煉と密接な関係があります。その過程でどんな人にも出会うことができます。面と向かって真相を伝える時は、レベルの高い話になりがちですが、今の中国人は受け入れ能力が低いので、何も信じません。しかも利己心が強いため、冷静になって常人次元の理をもって真相を伝える必要があります。時には焦る心理状態に陥ることがありますが、そのときは冷静になって、巧妙に別の話題に移れば、よい効果を得ることができます。真相を伝えると同時に、真相資料を渡すことも大切なのです。大法弟子が話した真相を、往々にして常人は聞き入れようとしないのですが、それは今の常人が、聞いた話の多くを嘘だと考え、目で見たことが真実だという観念があるからです。ですから面と向かって真相を伝える時は、真相資料と組み合わせれば効果がいいのです。
私は出張した時、ある中年男性と、現在発生している異常現象について議論しました。私は「人に善の心がなくなり、中共(中国共産党)が自国民を迫害したことが原因」だと話しました。その男性は、「この世に存在することはみな合理的になっている」と話しました。私が「世の中の万事万物に善悪がともに存在し、ただ人間はどちらを選択するか、それは人間自身の選択であり、人は生まれた時は悪事を働こうとは思っていません。今はその選択の時期にあり、人間は選択する機会を与えられています。善悪には最終的に報いがあり、善を選ぶなのか、それとも悪を選ぶのかは、人間自身が決めますが、誰一人としてこの二つの選択から逃れることはできません。あなたは親孝行をしたい、妻子に優しくしたいと思うはずですが、悪いことはしたくないでしょう」と彼に言うと、彼は「それはもちろんです」と答え、私が「ならば中共組織から脱退しましょう」と勧めると、彼は喜んで中共組織からの脱退に応じてくれました。そして真相資料とお守りを受け取り、「ありがとう、ありがとう」と連呼して感謝の意を表していました。
以上は私の修煉過程でのわずかな経歴ですが、不完全です。しかも使う単語には顕示心や闘争心が含まれています。法を実証する際に、恐れる心が強く、よくない心を断ち切り、それが執着心だと分かっていても、やはり我慢し切れず干渉してしまうのです。事後、師父の写真に線香を立て懺悔していますが、師父のお許し請い、執着心を放下しようとしていないのです。ほんとに情けないです。このような私でも、全力で大法弟子が行うべき三つの事をしっかりと行い、自分の先史の誓い果たします。
個人の悟りであり、不適切のところは慈悲を持って指摘してください。合掌!