賃金労働者から百万長者になった(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年7月28日】(次の文へ

 私は今年37歳で、農村で生まれ育ち、1997年に法輪大法を修煉し始めました。常人から大法弟子へ、賃金労働者から店のオーナーへ、田舎の世間知らずから町の企業家へ、借金だらけの状態から億万長者へと、自分が歩んできた道を振り返ってみると、とても感激です。

 大法を修煉してから、私は人間がなぜこの世に来たのかを知り、返本帰真の理が分かり、とても嬉しく思いました。毎日みんなと一緒に法を勉強し煉功をして法を広めました。しかし、99年7.20から、大法は不当な扱いを受け、師父は罪を着せられ、私は北京へ3回陳情に行き、大法を実証し、師父の無実を訴えましたが、3回とも拘留されました。故郷の人々は理解できず、この若さで刑務所に入ってしまい、これからの人生は台なしだと言いました。私は自分が大法弟子なので、何が台なしなのか? 悪いことは何もしていないので、恥ずかしいことは何もないと思いました。

 一、大法の要求に基づき経営を行ない、多くの利益を出す

 生活のために、飲食店でアルバイトをして料理人を目指しましたが、店のオーナーが給料を滞納して、力を尽くしてもお金を手に入れることができませんでした。私は勇気を出して仕事を辞め、自分で店を開いたほうが安定すると考えました。友人が一人の女性を紹介してくれて、その人と結婚しました。夫婦2人で2000元(約3万2千円)を借りて、小さな店を開きました。

 私たち夫婦は苦労をいとわなかったので、店は順調に進みましたが、法を勉強する時間がありませんでした。心の中で師父に「師父! 店が少し大きくなったら、人を雇って法を勉強する時間もできます」と言いました。しばらく経って、知り合いが少し大きな物件を紹介してくれました。順調に繁盛しましたが、やはり忙しくて何もできませんでした。しばらく経って冷静に考えて「私の命は大法を修煉するために来たのだ。ずっとこの状態では駄目だ」と考え、夜に仕事が終わってから、一人で大法の本を持って立ち上がりました。しかし、少し読んだだけで眠くて仕方がなく、心の中で「もし大きな店にできたら、人を雇って全部やってもらい、オーナーになれば何もしないで済むので、学法と煉功の時間もたっぷりある」と思いました。

 数回の紆余曲折の末、800平方メートル(480坪)の店舗を投資10万元(約160万円)で借りることができました。オープン初日、2組のお客様が来店しましたが、店に入ると「これ何の店? 何もないじゃないか、ガラガラだな」と言って、すぐ出て行きました。お客様が来ないので、私は心を静めてまる1日法を勉強して、正念を発しました。私たちの心はだんだん落ち着き始めました。実のところ、私たちはお金を儲けたいわけではなく、法の勉強と煉功できる環境がほしいので、生活ができて、借金を早く返すことができればそれでよいと思いました。

 2日間法を勉強してすっかり心が明るくなり、店の空間場もきれいになって、よくない物質がなくなったと感じました。4日目にお客様がきて、「この店はきれいだ。ここで食べましょう」と言いました。私がこの心を放下したから、師父が助けてくださったと分かりました。これで店は第一歩を歩み始めました。商売がどんどんうまくいき、数年間で有名店になりました。しかし、妻はこれまでの苦労で体調が悪くなり、この時に法を得ました。

 師父は「常人の中で修煉する人は、どれだけ大金持ちになっても、どれだけ地位の高い官職に就いても、個人経営で会社を興してどんな商売をするにしても、心を正しく保ち、公平かつ良心的に取引しさえすれば、何ら問題はありません。」[1] また「昔から「商いをする者は、十人中九人がずるい」という言い方がありますが、それは常人の言い方です。わたしに言わせれば、それは人間の心の問題です。心を正しくもち、公平に取引をすれば、多く働くだけ多く稼ぐのは当然のことです。「失わないものは得られず」と言われているように、それは常人社会のあなたの働きに対する当然の報酬です」と説かれました。[1]

 私は大法弟子であり、真善忍を修めているので、店を経営するのが私の仕事です。仕事の中で真善忍に基づいて行うべきで、お客様に店を通して大法の素晴らしさ、大法弟子は良い人だと知っていただきたいと思っています。店に入ると自分の家に帰ったような、親近感と温かさを感じてもらい、おいしい料理を、安心して安く食べてもらい、大法弟子の良さを認めることによって、大法を認めることに繋がります。私たちは誠実が第一で、お客様を先に考えるという考えに基づき、常にお客様優先の原則で店を経営しています。仕入れから加工まで、全て良いもの、本物を仕入れて、減量や偽物などを加えず、ずる賢く稼いだりはしません。例えば、私たちが仕入れた生肉のコストは、調理済みの食材の値段よりも高いです。宴会の予約は大体テーブル3卓ぐらいに抑えており、もしそれ以上の場合でも、品質を保ち、量を減らさず、時間を守るようにしています。

 ある日、テーブル15卓の予約で入っていた宴会に、25卓分のお客様が来てしまいました。お客様も困っていましたが、私は彼らを安心させ、こちらで何か考えると伝えました。私はすぐに町にある4つの大きなスーパーに連絡し、高級惣菜を全部買い取り、数種類の最高級の野菜を注文しました。品物は時間通りに送られてきました。宴会が始まると、出したおかずはみんな香りがよく、品が豊富でした。お客様は喜んで度々感謝してくれて、「おかげで恥をかかずに済んだ」と言いました。宴会の費用は彼らの予算を越えましたが、お客様は「今の人が皆、あなた達のようだったらどれだけ良いでしょうか」と言いました。この宴会は私たちにとってもコストが高くなりましたが、でもこのお客さんは至るところで宣伝してくれました。

 店の場所は辺鄙な場所にありますが、しかし、私たちは師父の要求に従ってやっているので、来客数がどんどん増えました。人が多くても、私たちの基準は下がりません。例えば、宴会の時に出したお肉料理が手付かずのとき、他の店は下げたものを、次に続けて出していますが、私たちの学法グループでは「このようなやり方は法に符合していない。お客さんはすでにお金を払ったし、もう1回出すと、二重にお金を取ることになるので、これは不正利益になります」と認識しています。私たちは残ったおかずは全部アルバイトの人に持ち帰らせ、決してお客様に出しません。

 私たちは法に基づき、大法弟子の基準に基づいて行っているので、店はますます繁盛して、宴会の多い季節になると、予約のスケジュールがいっぱいで入れないお客様もいるくらいです。去年、私たちのお店は800平方メートルから更に500平方メートル増やして、経営面積が1300平方メートル(780坪)になりました。ある日、友人が宴会の予約してくれたのですが、いっぱいだったので仕方がなく、他のお店を紹介しました。

 (続く)

 注:
 [1] 李洪志先生の著作:『転法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/7/12/294599.html)
 
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