人生の貧困や困惑から歩み始め 今では美容院を経営
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 文/黒竜江省の大法弟子 心蓮 

 【明慧日本2018年12月31日】1951年冬のある日のとても寒い夜中に、貧しい農村の小屋の中で痩せこけた小さな生命が産声をあげました。その赤子が私です。母の話によると12人の子供を生み、生き残ったのは半分の6人だけだったそうです。その貧困で落ちぶれた暮らしの中で、母は私を力を尽くして、自力で育てようと心に決めました。

 12歳までの私は病気でいつも薬を飲み、食べ物がなくいつもお腹を空かせて痩せこけていたと記憶しています。病気のため私は小学校への入学が遅くなりましたが、勉強は好きでした。母は「あなたの兄姉たちは家が貧しいので、誰一人学校に行くことが出来なかったけれど、今の生活なら、何とかしてあなたを学校へ行かせることが出来るから、行きたいのなら行かせてあげるよ」と勧めてくれました。

 しかし私の運命はあまりにも悲惨で、小学校を卒業して中学校に入る頃、運悪く中国全土で「文化大革命」の政治運動が起きました。校長先生をはじめすべての先生が弾圧され、悪いレッテルを貼られて迫害の対象となり学校の授業は停滞し、全国各地の学校教育が乱れてしまいました。知識を求めていた私の意欲はこのようにして掻き消されてしまい、人生に失望しました。以後の数年間はなんとなく生きてきて、結婚する適齢期となり、私は訳のわからないうちに男性と結婚しました。以後、私の人生は再び奈落の底に突き落とされることになりました。

 主人は酒に目がなく大酒飲みで、酔っ払っては私と子供に暴力を振るっていました。アルコール中毒で8年もの間仕事することが出来ず、毎日のように酒を飲んでは刃物を振り回し、私と子供を脅かしてはよく家から追い出され、毎日のように私は罵声を浴びせられました。安心して生活をすることが出来ず、隣近所の人達までも私達を心配してくれました。

 その時の私は心身ともに極限の状態に達し、為す術がなく悔しくてたまらず、これ以上生きて行く自信もなくなりました。周りをみると温かい家庭ばかりで愛情にあふれ、頼れる優しい主人がいます。しかし私は生き地獄の中で日々を送らなければなりませんでした。人生は私にとって何の意味もなくなり、どのようにして苦痛なく、死ねるのかを毎日のように考えていました。私は2人の幼い子供がいます。このような劣悪な環境の中で苦しみに耐えなければならないかと考えると、心が張り裂けそうになりました。それでも、このまま自分だけが死んでしまうわけにもいかず、貧困と苦痛の中で耐え忍んで幼い子供たちと生きるしかありませんでした。

 その後主人は48歳の時、アルコール中毒で死にました。当時45歳だった私は心身ともに困憊し、60歳代に見られ、苦難の連続で人生に何一つ喜びはありませんでした。主人が亡くなり家が静かになりましたが、心の落ち着きを取り戻してはいませんでした。友人達は私を慰めてくれました。「彼が先に行ったことはあなたにとって良いことだわ、落ち込むことはないわ!」と慰めてくれました。しかし私の心の中を知る人はいたでしょうか? 私自身でさえ分かっていませんでした。24年の長い間苦しみに耐える中で、どんなに悔しくてもどんな悲しくても、私は彼に歯向かうことはしませんでした。彼は理知のない人で話しても理解してもらえず、私さえ我慢すればよいのだと耐えてきました。耐えられない時は心の中で「この意気地なし、なんで一緒に生活しているのよ。多くの友人が離婚するように勧めてくれているのに、しっかりしなさいよ」と自分自身を励ましました。しかし、この困惑した人生の訳を誰が知っていたでしょうか? 後になって、その原因をはっきりと知りました。

 1996年になり、いつの間にか私の人生は大転換期を迎えました。不思議なことに、見知らぬ若い男性が我が家にやって来ました。自己紹介した彼は法輪功修煉者だと言いました。なぜか分からないままに聞いてみると、この素晴らしい功法をあなたに伝えたい、もしかするとあなたは縁のある人だと言いました。彼は時間があれば我が家に来て、李洪志先生の説法ビデオを放映して見せてくれました。私が煉功をすると決めた時、これは私が待ち続け、待ち望んでいたものであると分かりました。

 法輪大法の本『轉法輪』の法理は分かり易く書かれており、私の諸問題と不公平だと思っていた心を取り除き、解決して下さいました。そして自分の人生はなぜこんなにも苦難の連続なのかや、何事においても自分の意がかなわず、なぜ主人から離れられなかったのかが分かりました。それは世間の苦を嘗めさせ、今まで作った業を返済させるためだったのです。私の人生はこのように按排されていたのでしょう! 『轉法輪』に書かれた法理が分かった私はやっとこれまでの人生の困惑から抜け出て、自分の人生をしっかりと歩み始めることが出来るようにやっとなりました

 李洪志先生はおっしゃいました。「苦去りて甘来たる 是れ真の福なり」[1] 私はもう天を恨んだり、人を憎んだりすることはしません。ただ「真・善・忍」の三文字に基づいて善い人になりたいだけです。私は長年の困難を経て来て、心身ともに大きな傷を負いました。早く死んでしまおうと思い、病気の検査など受けませんでした。身体が重く、歩く時はゆっくりとしか歩けなかったので、いつも自転車に乗っていました。

 しかし不思議なことに、煉功をしてから間もなくして無病状態となり、身体がとても軽やかになりました。その時の私は気分がとてもよく、一生の中で最も楽しく最も幸せな時でした。大法の法理は物事を行う時に、まず他人のことを先に考えて何事も行い、私心を取り除き、利益ばかりを追求せず、利益の前で心が動じないようにと教えられました。そのように一つ一つ学んでいくうちに、もっともっとこの大法の真の素晴らしさがわかるようになりました。

 ここで、私の修煉の中でのエピソードを紹介したいと思います。李洪志先生は私たちに、法律を守り善い人になるようにと教えられています。90年代の貧しい中国では多くの家庭が電気を盗み、私もその一人でした。修煉してから、このような行為は修煉者の基準に符合していないと分かり、すぐやめました。この事は私が修煉をするようになって、初めて自分を正したことです。

 私は美容院を経営しています。税務署の担当者は主人が精神病患者に見えたらしく、税金を免除してくれていました。大法を修煉して私は思いました。主人は亡くなり、美容院はそこそこの収入がありましたので、これからは税金を払わなくてはと思いました。思い立ったら行動するのが私の性分なので、自ら税務署へ税金を払いに行くと、税務署の担当者は感動しました。不思議なことに、税金を払ったのに私のこの年の収入は前年と同額で、少しも減っていませんでした。

 ある日、友人と銀行へお金を出しに行った時、窓口の担当者から50元多く渡されました。私は友人に「このお金を返すべきですね」と言うと、友人は私の考えに賛同してくれました。私はその窓口の担当者に「金額が間違っていますよ」と言うと、その担当者は機嫌を悪くして「嘘でしょう、間違えるはずはありません」。私は「少なかったのではなく、50元多かったのですが」と言うと、彼女は不機嫌な表情で謝礼の言葉もなく、手を伸ばしてきて小さな声で「返して」とだけ言いました。

 それを聞いた友人は彼女のこの態度に不快感を覚え、担当者に「あなたがお金を多く渡して間違ったのに、返してもらって感謝の言葉もないの! もしそのまま持ち去れば、あなた自身が弁償することになるのよ。彼女は法輪功修煉者だから正直に返したのよ」と諭しました。友人は職員の態度に憤慨していましたが、私の心は穏やかで相手に対するなんの不満もなく、ただ現在はこのようなご時世だから、道徳が欠如しているのは当然なことだと心静かに思いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩: 洪吟 「迷いの中で修める」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/6/26/350174.html)
 
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