文/内モンゴルの大法弟子
【明慧日本2019年3月29日】青春の真っただ中にいる21歳の私は、2015年4月に自分が悪性卵巣のう腫を患っていると聞かされ、それはまさに青天の霹靂のようでした。
病魔に冒されて生きる希望を失ったにも拘らず、私は皆の前では強がっていましたが、家族は日々泣いていました。手術の日に見た母の絶望的な目つきは、今でも忘れることができません。4時間にわたる手術後、医者に「4回の化学療法が必須です。それでも治ることは保証できません」と言われました。
それから私の病院生活が始まりました。毎日の朝8時から夜9時過ぎまで、私は両手に点滴を受け、腕にも長い管のようなものを刺されていました。手の甲の血管の痛みで私はぐっすり寝た覚えがなく、毎日食べては吐き、熱を出しては冷や汗をかき、生きた心地がせず体重は55キロから35キロまで落ちてしまい、ちょっと風が吹けば倒されるような具合でした。あまりにも苦しすぎるこれらの化学療法を3回も受けましたが、何の効き目もありませんでした。
祖父と祖母は法輪大法を修煉していますので、彼らは大法の不思議さや病気治療と健康保持における素晴らしい効き目を教えてくれました。確かに以前、祖父は毎日どこかに行って多くの薬をもらって来ていましたが、大法を修煉してから高血圧、糖尿病、心臓病、そして、なかなか治らなかった硬皮病もいつの間にか全部完治し、十数年まったく薬を飲んでいませんでした。77歳の祖父と70歳の祖母は今、元気そのものです。私はハッと気がつき、修煉する決意をしました。
私は早速リュックサックを背負って、母の同伴で祖父の家に行きました。着いた後、祖母は私に「これは修煉です。必ず師と法を堅く信じてね」と言いました。その日から、祖母と私と母の3人で学法を始めました。3日後に私は功法を習い、2日ほど煉功した時に師父が身体を浄化して下さり、煉功するときに身体から汗の臭さとともに、化学薬品の臭い匂いも放っていました。
その間、私は黄色い液体を吐き続けて、大便も真っ黒でした。毎日、煉功時に出る臭い汗で衣服がびっしょりと濡れて、髪の毛も洗ったばかりのようでした。どんなに辛くても私は続けました。私は随時に師父の教えである「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1] を心の中で暗唱していました。祖母は「恐れる必要はないわ。師父を信じていれば、師父はきっとあなたを守って下さる」と言いました。
1週間後、全身が軽やかになった私は、身体に埋め込まれた化学療法の管を取り出すべきだと思い、病院に行って医者にお願いをしました。医者は私の決断にびっくりして、こんなに早く治療を諦めるのは惜しいと言って、取り出そうとしませんでした。当時の私は迫害を恐れ、医者に真相を伝えて大法を実証する勇気がまだなく、ただ断固として管を取り出すことだけを求め、化学療法をやめたいとしか言えませんでした。医者は仕方なく、管を取り出してくれました。
毎日学法と煉功を続けていくと、身体が日に日に良くなっていきました。2カ月後、私は働き始めて、体重が8キロほど増え、化学療法を受けていた際に抜けた髪の毛も生えてきて、顔色も良くなり、重病から回復したばかりの人には、とても見えませんでした。
師父が私に2度目の命を下さって、生命の果ての絶望から引き上げて下さり、さらに私にもっとも貴重な大法を授けて頂き、私の身体と生命が同時に救われました。法を良く学んで師父の教え通りに行動して、はじめてこの洪恩に報いることができるのだと思います。
私は健康回復をもって、身の回りの親友たちに大法の不思議さを実証しました。信じていなかった多くの人たちは信じるようになり、修煉の決心がつかなかった多くの人たちも、これを機に修煉し始めました。私は心性が高まって健康を取り戻し、より多くの人々に真相を分からせることができました。
師と法を堅く信じて精進し、師父が按排して下さった道を、これからも着実に歩んでいきたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』