師父がそばにおられ、万事に神の奇跡が顕れる
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年5月28日】私は吉林省松原市の大法弟子です。次では法を正す修煉の道に起きたいくつかの不思議な出来事を話し、同修達と交流したいと思います。

 一、私は70歳の若者

 私は1997年10月に大法修煉を始めた大法弟子で、今年で71歳です。私は農村に住んでおり、瓦師(かわらし)をしており、オンドルの修理を専門にやっています。仕事柄、この数十年ずっと周辺の50キロ以内のすべての村を走り回り、どこの家の煙突がどうなっているか、どこの家のオンドルが故障しているか、どの村にバスが通っているか、村のどこにポストがあるのか、バス停はどこにあるか、広告欄や電柱がどこにあるか等など、すべて私の頭にあります。

 大法修煉をして、師父からとても健康な体をいただきました。真相を伝える時、私は何も喋らなくても、そこに立っていれば体が素晴らしい見本となってくれます。私はオンドルをリフォームし、屋根の上に上り、煙突を築き、常人からよく「71歳にはとても見えませんよ」と言われました。

 息子が住む都会に行き、私はマンションの6階まで一気に上っても汗もかかず、ハーハーと荒い息も吐きません。近所の人を手伝って、25キロのお米を片手で持つ姿を見て、近所の人は「この人はお爺さんではなくて、70歳の若者です!」と褒めてくれました。

 二、鳩は死をもって 飼い主を救う

 ある日、客から電話をもらいました。その家のオンドルの調子が悪く、煙が外に流れず詰まっていると言い、それは私が作ったオンドルだから、早く見に来てほしいとも言われました。東北の農村のほとんどの家ではオンドルを暖房施設として使っており、冬にはオンドルがなければ大変な寒さですから、私は急いで客の家に行きました。屋根に上がって煙突を調べると、煙突の中から鳩の死骸が見つかりました。この家は多くの鳩を飼っているので、私はお宅の鳩が死んだせいで、自分の腕の問題ではない、と思いました。しかし、考え直して見るとちょっと違う、大法弟子が遇ったことに偶然なことは一つもない。前回、私は仕事に来た時、彼らに真相を伝えたが、彼らは受け入れてくれなかった。この鳩は煙突の中で死んでしまったが、きっと、鳩は前回私が話した真相を聞いて分かってくれたため、今回は自分の命を犠牲にして、この家の主人を救おうとしているのではないのか? だから、私を呼んだのではないか、と思いました。

 私は屋上から下りて、彼らに「お宅の煙突の幅から見れば、鳩は中にはとても飛び込めないはずですが、鳩はなぜわけもなく煙突の中で死んでしまったのでしょうか? 私は法輪功の修煉者です。お宅の鳩が死んで煙突を塞(ふさ)いだのは、鳩が前回、私の話を聞いて分かったからで、今度は、自分の命を犠牲にしてでも、私を呼んで来たのですよ。つまり、あなた達に大法の真相をもう一度聞かせて、飼い主のあなた達を救おうとしているのですよ」と言うと、この話を聞いた彼らはみな納得しました。そこで、彼らは心を落ち着かせて私の話をもう一度聞いてくれました。私は大法修煉の素晴らしさや、江沢民がなぜ法輪功を迫害したのか、中国共産党がなぜ大法弟子を不当に連行するのか、そして、「蔵字石」のこと、どうして三退をしなければならないか、などを話しました。その結果、話を理解してくれて、真相を分かってくれた彼らは三退をしました。家族6人全員が救われました。

 三、真相資料を配った時、無事に危険を回避する

 ある日の午後、私は野菜市場の入口で駐車している車に『共産党についての九つの論』を配っていました。5、6冊を配ったところ、2人が出て来て私を制止させ、1人が私の腕を押さえ、もう1人が『九評』が入っている手提げを奪おうとしました。「この手提げに何が入っているのか」と大声で聞かれたため、「人を救うものです。手を離しなさい!」と叫びました。「師父、私を助けてください!」と師父にお願いしながら、力を絞り出して彼らを振り切って走り出しました。私は前を走り、2人は後ろから追いかけて来ました。私は70代ですが、若者の彼らは私に追いつけませんでした。私は横丁に入り、早くも彼らを撒(ま)きました。

 四、精進に精進を重ねる

 ある日、常人からの通話用の携帯電話が鳴りました。同修のAさんからの電話でした。Aさんは同修のBさんに急用があるから、来るように知らせてほしいと言われました。そこで、私はスクーターに乗って、Bさんの所に知らせに出かけました。

 私はスクーターを飛ばしながら、先ほどの電話のことを思い出して、Aさんに対する不満が湧き上がり、そして、すこし怖く感じました。「この携帯電話を使わないようにと何度も言ったのに、どうして守ってくれないのか? この電話番号で江沢民を実名で告訴したから、警察の所に記録が残るはずだ。この電話は盗聴されているかもしれず、自分が尾行されているかもしれない」とあれこれと考えているうちに、「Bさんがあなたの所に行くのは安全なのか?」と考えれば考えるほど腹立ちました。

 あの日、雨が降ったばかりで、地面にはまだ雨水がたまっていました。ガソリンスタンドまで、あと20メートルほどの所で、私はスクーターと一緒にバーンと横転しました。「ガタン」、「ガチャン」と凄い音を立てました。ガソリンスタンドの人は皆こちらを見て、「また交通事故か?」とか、「車と衝突していないのに、自分で倒れてしまった」とか、「でも、相当強く打ったみたいね」とか、口々に言い合っていました。

 私は起き上がって手足を動かすと、体にはまったく傷がなく、スクーターを見てもどこも壊れていませんでした。師父はまた弟子の代わりに命の債務を返済してくださいました。師父に申し訳ないと心から思いました。私はスクーターを押してガソリンスタンドに向かって歩きながら、内に向けて自らを探しました。

 一つ目は、「怠ける心」がまだまだあり、携帯電話に頼り、足を動かしたくないこと。二つは、「恐怖心」があり、完全に旧勢力を否定していないこと。三つは、「慈悲心」が足らず、同修を怨み、包容力がなく優しくないこと。この三つの人心は私の致命症でした。幸い、修煉の道で常に師父に見守られ、そして、慈悲なる師父は、私の代わりに数えきれないほどの返済をしてくださいました。弟子は師父に対する感謝の気持ちを言葉で表し切れません。

 ガソリンスタンドに着くと、そこの従業員は親切に、「大丈夫でしたか?」と聞かれ、私は「大丈夫です。法輪功の修煉者ですから」と答えました。私はスクーターにガソリンを入れながら、「油を加える、加油(ジャーヨー・中国語で頑張れの意味)。そうだ、これは師父の私に対する導きだったんだ。転んでも、またすぐに立ち上ってやり直せばいいのだ。そうだ、そうだ、スクーターに油を入れ、自分にも加油し、頑張ればいいのだ! 精進に精進して頑張るぞ!」と思いました。ガソリンを入れてから私の心は穏やかになり、目的地に向かってスクーターを飛ばしました。師父よ、ご安心ください。弟子は必ずやるべきすべての事をしっかりとやり遂げるように致しますから、と心の中で言いました。

 先生に叩頭して拝みます!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/4/30/385728.html)
 
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