10年間も迫害され、白雪霜さんは身体障害者に
(明慧日本)中共の法輪功に対する10年におよぶ迫害は、未だに続いている。河北省遷安市の法輪功修煉者・白雪霜さんは、残酷な迫害、連行、拘禁などさまざまな苦を嘗め尽くしてきた。2001年、警官に家畜用注射器で体内に毒物を注入されてから、彼女は半身不随となったうえ、筋肉萎縮と両目失明に至った。
河北省遷安市遷安鎭公平村出身の白雪霜さん(47歳女性)は、ひどく残虐な迫害を受けて記憶を失い、受けたさまざまな迫害を思い出せない。以下は、彼女の親友がかつて当人から聞いていた迫害の事実を述べたもの。
1999年7月21日、白雪霜さんは上京の途中で遷安市公安局に不法に連行され、遷安鎭城関派出所で2日間拘禁された。そして、1999年7月に国家保安大隊(元政保科)に黄台山民兵訓練基地へ送られて15日間迫害された後、遷安市留置場へ移され、さらに2カ月間監禁された。1999年10月、転々として遷安市留置場で4カ月の拘禁を受けたうえ、白さんの家族じゃ1000元を脅し取られた。
2000年7月前後、白さんは遷安市留置場に数カ月拘禁されていた間、死刑囚の枷をかけられ、運動場を走るよう命じられた。枷の重さは20キロでとても走れないが、後に付いている警官が鞭を打ちながら追い立てた。こうして、鞭打ちで臀部に真っ青な傷痕が残り、足と枷の摩擦で血が流れた。続いて、留置場の長官・恵志江と警官・雷顕生は白さんを殴ることを楽しみながら虐待していたのである。「610弁公室」の副主任・楊玉林と副局長・彭明輝は、白さんに法輪功を放棄させるための「修煉放棄声明書」を家族側に書かせた。それだけでなく、保証する名目を偽ってお金を出させた。
白さんが何度も拘禁された中で、警官・浦永来にびんたを食らい、夏の炎天下に外に立たされ、冬の厳寒に外に立たされ凍りついた。遷安市裁判所で公開審問大会を行うとき、白さんは他の数人の法輪功修煉者と共に連れて行かれた。そして、白さんをステージに上らせたとき、白さんは「法輪大法は素晴らしい」と大きな声を出した。その途端、2人の警官に床に押し付けられ、何回も頭を掴んで床にたたきつけられた。
2001年7月19日、国保大隊の指示で白さんは再び遷安市留置場に拘禁された。そこで、白さんは断食によって迫害に反対したが、すぐに灌食を強制され、王鶴営が彼女を引きずり、副所長・恵志江がその後ろから鞭打ちした。白さんは呼吸困難となって苦しんだ。また、両手を高くして吊り上げられた。警官・彭明輝、「610弁公室」リーダーの楊玉林、留置場長官・恵志江、留置場の医師・陳学は共謀して、家畜用注射器で彼女の体内に毒物を注入した後、半身不随、筋肉萎縮、両目失明、憔悴、言語障害、歩行障害、生活困難を引き起こした。これに対し、白さんが43日の断食を貫いたため、極度の迫害で命の危険に晒されることを懸念した留置場は、彼女の家族から1万元を脅し取った後、おかしな名目でさらに現金2万元を強要した。
半身不随になった白さんに対して、遷安市国保大隊は容赦しなかった。2003年前後、白さんに3年の労働教養刑を科することを家族にでっち上げ、3万元を脅し取った。
2006年1月末、元国保大隊隊長の副局長・彭明輝は好き勝手に人前で彼女にびんたを食らわせた。また2006年11月、公安局国保大隊の警官(楊小双と思われる)も彼女の顔面を殴った。
2009年6月、同警官は再び同場所で彼女を殴った。そして、10キロも離れたところまで彼女を連れて行き、そのまま投げ捨てた。こんなに酷い目に遭った白さんは、身体障害でありながら、少しずつ這いずって半日かけてやっとのことで家に戻った。
幾年も残虐な迫害に遭った白さん家族は、合計7万元以上も奪われた。白さん自身も生計を失い、彼女が受けた物質上の損失、精神上の虐待、身体上の障害などは取り戻すことができない。
2009年9月12日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/9/9/208033.html)
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