頑固な心を取り除く
(明慧日本)『明慧週報』の「人に指摘されたくない執着心について語る」を読んで、とても沢山の感想があります。同修が言っているように、人から指摘されると、いつも自分は間違っていない、また、それに対して反抗するなどは、まるで自分のことを言っているのではないでしょうか? 私もやはりそういう心理状態ではないでしょうか?
両親がいつも男性を重んじ、女性を軽んじているのを思い出すと、嫉妬し恨んでやみません。自分には楽しい少年時代がなかったとか、自分の心の底からの話を聞いてくれる人がいないとか、自分に自信を与えてくれる人がいないとか、自分の内心の苦しさ、苛立つ性格の形成などはすべて家庭のせいだと思い込んで、両親に対する反抗心は日増しに強くなり、最後には誰も受け入れることが出来なくなり、どんな人をも受け付けませんでした。
他の人が一言、言ったら、私は十言、言い返します。他の人が自分にたてついて怒るのは許さず、自分の考えは鋭いだとか、反応が速いとか自慢し、本当に鬱憤を晴らしたとさえ思ったりしました。後になって後悔しました。この心はとても頑固で、修煉後も大して変わりはありませんでした。修煉者としてこんなことをしていていいのでしょうか? 常人はどのように修煉者の私を見ているのでしょうか? これは法輪大法に泥を塗っているのではないでしょうか? 今振り返って見ると、どんなことが起きても背後には因縁関係があります。師父にこのような説法があります。「修煉の中で、皆さんは良いことに出遭っても、良くないことに出遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです」 (『シカゴ法会』2006年6月25日) その通りです。いかなることも理由なしに起きることはなく、そのことを通して自分の執着心を取り除くべきです。
学法グループで私は同修達と師父の『マンハッタン説法』を読んで、私は正に先生がおっしゃっている指摘されるとすぐに頭にくる人間です。同修は執着心が見つかったらそれを解体し、そして、あなたは必ずよくなると励ましてくれました。
そうですね、後悔するだけでは何も変わりません。毎回後悔しても、毎回何も好転しませんでした。執着心を見つけたら、心の底からその根元を掘り出して、それを否定し、解体し、この精神的な重圧を丸ごと捨ててしまいます。旧勢力の按排を認めず、旧勢力の存在さえも認めません。私は必ずそれを解体します。
同修達、私達は必ず多く法を勉強し、法を師にし、法を第一におくことにしましょう。同修達、精進しましょう!
2009年11月16日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/13/212420.html)
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