修煉には強靭さが必要(一)
文/山東省の大法弟子・一蓮
(明慧日本)尊敬する師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!
ネット法会はすでに6回目となりましたが、自分の修煉はまだ師父の要求にほど遠いのです。大きな体験はなく、毎日変わりありませんので、何も書くことはありません。ですから前回の第5回の交流会は何も書きませんでした。今回の交流会も特に書くことはないと思っていました。
最近、明慧ネットに第6回の交流会の文章が多く掲載され、深く考えさせられました。尊敬する師父は私を多くの災難から救い出してくださいました。宇宙で最も素晴らしいものをくださいました。真理を教えてくださり、追及していた修煉の道に導いてくださいました。十数年、風雨の中で修煉を歩んできました。迫害された時、大法が導いてくれました。魔難に遭った時、慈悲なる師父が加護をしてくださいました。迫害に反対して、師父の正法の進展に急いで追いつきました。全部師父が導いてくださったおかげで、過酷な毎日を歩き続けることができました。数々の厳しい困難の中で、いつも師父が私を引っ張ってくださいました。ここまで書いて私は涙が止まりませんでした。
私の修煉はよくできていなくても、なぜそれを書いて師父に報告し、同修に心を開くことができないのでしょうか?
魔難の中で法を得る
1996年の夏に東北地方に帰りました。兄はちょうど師父の説法テープを聞いていました。私に「お前も聞いて、よければ習ってみたら」と言いました。私は気功と聞いて「気功はみな騙しだよ、学ばない」と言ってこの機会を逃しました。冬になり、私の生徒が「先生、あなたの病気はなかなか治らないし、仕事も辛いし、さらに子供の面倒も見なければなりませんね。私たちが卒業したら、先生を手伝うことができません。早く法輪功を学んだほうがいいです」と言いました。これは師父の啓示でした。そして私はついに師父の弟子になり、正法時期の大法弟子になりました。
修煉を始めた後、法を学ぶことに没頭し、自分が難病を患う人であることをすでに忘れていました。患っていた胆石、嚢胞【のうほう】(腺が閉ざされて分泌液がたまり袋状になったもの。卵巣の黄体嚢胞、口腔の蝦蟇(がま)腫など)は全快しました。毎年学校で行われていた検査に行かなくなりました。同僚と上司は「なぜ検査に行かないのか」と聞き、私は「私は大法を修煉しているから、身体に病気がなくなったのを信じているからです」と言いました。
共産党の弾圧が始まりましたが、私は法輪功に対するデマ、中傷を信じませんでした。1999年7月22日の夜、校長が私にただちに会議室に来るように、役所の幹部が来ていると電話しました。会議室はすでに人でいっぱいでした。いろいろな機関の人が来ました。校長は「さっき各幹事にあなたが法輪功を修煉する前後の体の変化を話しました。詳しく言ってください」と言いました。そして、私は法輪功が私を救ったこと、学校の医療費を節約したことを簡単に説明しました。幹事らは「他の会社でも同じ話を聞きます。なぜ政府が弾圧するのかわからない。しかたがない、家で煉功してください」と言いました。この10年の正法修煉の中で、邪悪に連行され、留置場に拘禁され、また家でいやがらせをされるとき、私は自ら経験したことを話して、大法の奇跡を実証しています。
2004年、『九評』が発表されたあと、中国共産党中央党校の数十人の党員が一緒に脱党声明を出しました。そのころ、まだ三退声明がなかったころでした。当時、学校で「保先教育」(共産主義思想を深く学ぶ制度)が行われ始めました。私は明慧ネットに「特殊な厳正声明」というタイトルの文章を掲載し、中国共産党を脱党するよう呼びかけました。と同時に学校の党組織に「脱党声明」という文書を渡しました。これを不満に思う上司が多く、「保先教育」の会議では私の責任を厳しく問われました。それから私はその会議に参加したことはありませんでした。しかし、一部の同僚は密かに「法輪功はたいしたものです」と喝采を送っていました。
(続く)
(明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
2009年12月1日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/24/212506.html)
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