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やっと自分を修めることができるようになった


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私はいまになってやっと自分が修煉できるようになったと感じました。誰かに出会った時、トラブルにぶつかった時、いったん苦しく感じ、気持ちが悪くなれば、私は直ちにそれがどういう心によるものか探し出し、それを否定し、正念を発してそれを取り除いています。自分で取り除けないとき、師父にお願いする場合もあります。そうすると、その物質がなくなり、とても心地よく感じられるようになります。

 私は1997年末に修煉を始めた大法弟子です。言いたいことはいっぱいありますが、ここではかつて私を非常に苦しめた観念と人心をいかに修めたかについて述べます。私は過去10年間の反迫害の修煉の中、留置場と労働教養所に3回入れられたことがありますが、常に確固たる意志を持ってそこから出てくることができました。それは私が法を暗記し、学法したこと、そして師父のご加護と切り離すことはできません。しかし、その3回留置場と労働教養所に入ったのは私の持っていた人心によるものでした。

 法を得てから、私はこれこそ私がずっと探していたものであり、人性の真諦であると分かりました。修煉する前に、一回目の結婚がうまくいかなっかったため、私は自殺を図りました。何のために生きているのか、早く死んだほうがましではないかと思っていました。その後、私はまた結婚しましたが、私の娘は前夫と一緒に暮らしていたため、私は一緒に生活している今の夫の息子の面倒をみないといけませんでした。夫の息子と私の娘は一歳しか年の差がありません。そして、私はとても心のバランスが取れなくなりました。自分の子供の世話ができないのに、主人の子供の世話をしないといけないと思い、とても辛くて、崩壊しそうになりました。その翌年に大法に出会うことができなかったら、もしかして2人目の夫と離婚していたかもしれません。また、自殺もしていたかもしれません。ですから、大法は私に第二の性命を与えてくださいました。

 修煉を始めたとき、私はまだ35歳でしたが、すでに低血圧、脳への血液供給不足、気管支炎を患っていました。本を読んだり、テレビを見ると翌日頭が痛くなり、目が痛くなって、本を読んだり、テレビを見たりすることができませんでした。しかし、修煉を始めたたその夜、はじめて『転法輪』を読みましたが、深夜まで読んでも、目が疲れることなく、読めば読むほど明るくなり、頭もますます冷静になり、少しの眠気もなく、疲労感もなかったのです。後になって、師父がすでに私の身体をキレイにしてくださったと分かりました。私は本を貸してくださった同修のところに行き、これからどう学び、どう煉ればよいかと聞きました。彼女は私に集団学法グループと煉功場所を教えてくださいました。

 それから、私は学法と煉功を絶えずやり続けました。普段、家にいる時は『転法輪』を一句ずつ一回暗記しました。『精進要旨』と師父の他の経文もすべて暗記しました。これらは私が後になって、表に出て大法を実証し、揺るぎなく修煉の道を歩むのに、しっかりした基礎を築きました。

 精進すべきであると知りながら、まだ修めてない良くない心、観念、思想業力をどうやって修めていくかが分からず、これらのよくないものに邪魔されて、その苦しみは言葉で表現することができないほどでした。時には師父に、私はこの世で最も苦しい人です、と心で話しました。

 2000年に北京へ陳情に行った際に、不法に留置場に入れられました。心の中では家に帰りたくないと思っていて、見た目では心が動じないように見えますが、実際はその中に現実に直面したくない心が混じっていました。師父の按配された道は、私たちが法の中で自分を正して、法の基準に到達させるためにあるのですが、旧勢力は私たちを迫害の中でその基準に到達させようとしています。それは不可能です。

 私は不法に1年間迫害された後、自分の信仰を放棄しないという理由で、また10カ月間監禁されました。労働教養所から帰ってくると、性格が悪くなっていて、色魔により欲望が大きくなっていていました。学法するときは煉功したくなり、煉功するときはまた外に出て真相を伝えたくなり、常に時間が足りないと感じ、心を静めることができませんでした。その時期、師父の新しい経文『法を正す時期の大法弟子』、『路』が発表されました。私はこの2篇の経文を暗記し、もし留置場に入るのであれば、同修たちもこの経文を読んで聞かせると思いました。この正しくない考えが旧勢力に隙に乗じられてしまいました。

 家に帰ってから一カ月も経たないうちに、私は再び留置場に半年間監禁されました。監禁中、留置場の責任者、市と各局の責任者、610弁公室にも手紙を書きました。釈放されてからも大法を実証することはやっていましたが、いかに自分を修めるべきかについては知りませんでした。2003年に法輪功修煉者への大規模な逮捕がありましたが、私はまた捕まえられ、拷問を受け、3年間労働教養を強いられました。今回は私の夫が保証金を払ってくれて、私は釈放されました。その後、家に帰りたくないという念が浮かぶこともなくなり、再び留置場に入りたいという念もなくなりました。

 師父は『圓満成就に向かって』という経文で、私たちに必ず心を静めて学法するように教えてくださいました。私もそうするべきだと思いました。学法を通じて、私が『転法輪(巻二)』の「佛性」を読む時、法は人間の観念がいかに形成されたのかについて、私を悟らせてくださいました。『転法輪』の「主意識を強くもつべし」を暗記するとき、法は私に、良くない心、良くない思想、良くない観念は私ではない、必ずはっきりと切り分けてから、師父はやっと私のためにそれらを取り除いてくださると教えてくださいました。それまで、心性を向上しようとしても向上することができず、とても焦っていました。良くない考えは常に浮かんでくるし、自分がどうして常にこういう状態なのかと自分を責めていました。自分が良くないと思いました。

 法理が師父にそれらを取り除いてくださるよう願いました。それきり私は軽やかになり、それほど苦しいと感じなくなりました。また、同修の書いた輪廻の文章を読み、人間世界での恩讐にはすべて因縁関係があると分かりようになりました。しかも師父は「現在の世の人々の多くは普通の人ではありません。中国人は特にそうです。」(『各地説法七・シカゴ市法会での説法』)と説かれました。

 学法を通じて、私たちに形成された観念は花崗岩みたいなもので、自分が認識できたぶんだけ、師父は取り除いてくださると分かりました。現在、私はまた、師父が教えてくださった「内に向けて探す」という法理の内容をさらに認識できるようになりました。すべての良くない考え、良くない心、良くない執着はみな物質的存在であり「修は己にありて、功は師にあり」です。あなたが内に向けて探さず、それらの良くないものを探し出すことができなければ、師父はどうやってあなたのために、それらを取り除くことができるでしょうか。師父は私たちに無条件に内に向けて探すように教えてくださいました。なぜなら、私たちはみな自分を修煉しており、他人が修煉しているわけではないからです。トラブルに遭遇したら、他人の悪いところを探すのではなく、良くない物質を取り除く良いチャンスを見逃すことになります。そうではありませんか? 私はそうだと思います。

 もし上記の私の悟った内容に問題があれば、同修らの慈悲なる叱正を願います。共に向上しましょう。旧勢力は私たちを迫害の中で良くない心を修めるように按配しましたが、私たちは師父の按配に従い、法の中で自分を正しましょう。

 2010年1月14日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/1/5/215729.html

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