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法を書き写した体験

(明慧日本)小卒の私は今年で68歳になります。この年齢では、知識のあるほうですが、都市に引っ越して仕事を始めてから、字を書くこともなく数十年が経ち、字を忘れて書けなくなりました。しかし、幸運にも1996年3月に法輪功の修煉を始め、『転法輪』を読むことができました。しかし、字は書けませんでした。

 2008年の冬、師父の按排の下で、私はある大法弟子に出会いました。私が同修であることを知ると、彼女は久しぶりに家族と出会ったかのように喜んで、泣き出しました。「とにかく、先に私に家に行きましょう」と、彼女は言いました。

 彼女の家で交流して、数年前から法を書き写していることを知りました。とてもよく書けていると感心しました。自分の向上に非常によいと、私に法を書き写すことを勧めてくれました。私は「字が書けないので、できません」と答えると、彼女は「真心を込めて書けばよいのです。人心ではありません」と言ってくれました。そのときから、私は法を書き写そうと決心したのです。同修と勉強会で法を学ぶ以外に、時間さえあれば、法を書き写しました。

 法を写すようになると、多くの神秘的なことが起きました。

 一、真相を伝えるとき、慈悲にあふれる

 私が真相を伝えに行くときや、衆生を救い済度する度に、師父は縁のある人を私に巡り合わせてくださいました。私は人と出会うと、すぐ「あなたは共産党の党員ですか?」と尋ねます。もし、相手が「そうです」と答えると、すぐ目に涙があふれて来ます。そのとき、自分の心はいつも慈悲と優しさに満ち、この人をどうしても救いたいという気持ちでいっぱいになるので、勧めた人のほとんどが三退してくれました。

 二、師父は衆生を救い済度するよう注意してくださった

 ある日、夢の中で慈悲なる師父が大股でゆっくりと歩いて私の家に入ってこられたのを見ました。私に西北の方面に人を出迎えるようにと、西北の方面を指されました。私は「何か必要でしょうか?」と尋ねると、師父は「何も要りません。早く出かけてください」と言われました。目が覚めたあと、最近の夢の中で幾度となくある孤児が助けて欲しいと頼んできたことをやっと思い出しました。

 実は以前、私とよく一緒にいた子ども弟子がいました。しかし、数カ月前から音沙汰がなく、探すこともできないため、連絡が取れず焦っていました。ある日、線香を立てるとき、「師父、私達の子ども弟子に会いたいのに、連絡が取れません。電話でもいいから声を聞きたいのです」と師父の写真に向かって話しかけました。そのため、数日後、夢の中で師父が家に来られ、西北の方面に人を出迎えるようにと教えてくださったのです。

 私は師父の言われた通りに西北の方面に向かい、あちこち歩き回り、一軒一軒家を尋ねた結果、やっと見つけることができました。彼女は私を見ると、激しく泣き出して、私も心が打たれました。「叔母さん、店主が私をここにおいて仕事をくれたのです。店主も大法弟子なので、2000年に法輪功の無実を陳情するため北京に行ったことで、労働教養所に送り込まれ、2年の獄中生活を強いられました。彼女のご主人も大法弟子で、同じように3年の獄中生活を強いられたのです。釈放後、私達とずっと連絡が取れずにいたそうです」と話しました。

 店主が来たとき、私は「同修です」と言うと、店主はあまりの感動で泣き出しました。やっと同修に出会うことができてよかったと話し、私が真相資料を残して帰ろうとすると、店主は私の手を取って、「姉さん、これからも、私達と交流しに来てくださいね」と言い、私はもちろん承諾しました。個人個人の大法弟子は全体の1人であり、師父が1人も修煉の道に取り残さないようにされておられると悟りました。

  三、法を写して、大法の純正な場に溶け込む

  この原稿を完成させる途中、また一つの不思議なことが起こりました。

  ある晩、夢を見ました。私は大河で手足を洗っているとき、澄んだ川の水は深くなかったのですが、すべり落ちそうになりました。突然、2人の若い娘が現れ、私の両側から1人ずつ私の脇を支えて、ふわりと河岸に上がりました。目が覚めて、師父のご加護であると悟りました。

  そのとき、すでに朝5時になっており、起きて手を洗ってから、法を書き写し始めると、奇跡が現れました。誰かに手を握られたかのように、字を綺麗に書くことができ、しかも、1時間書き写す間に、頭の中でずっと標準語で(私は標準語が話せない)法を朗読する声が聞こえました。不思議でたまりませんでした。その美妙な感覚は言葉で言い表すことができず、今までになかった気持ちでした。感動でたちまち涙があふれ、大法の純正で慈悲の場に溶け込むことができました。

  私は突然に師父が『精進要旨・博大』の中でおっしゃったことを思い出しました。「その博大で奥深い内涵(ないかん)は、修煉者だけが、真に修める異なる次元の中で体験して悟ることができ、目の前に現れてくるもので、そうして初めて真に法とは何かが分かるのです」と、師父は私を励ましてくださいました。

  私はさらに精進し、着実に修煉を修めることで、師父のご恩に報いたいと思います。

  2010年1月29日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2010/1/29/217160.html

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