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大法に対する認識


文/中国の大法弟子

(明慧日本)大法に対する認識は、もっとも基本的な問題ですが、時代遅れではないかと思う人がいるかもしれません。しかし、最近、私自身が体験したことで、大法弟子がしっかりとできているかどうかということは、ほとんど大法に対する認識にかかっています。私は最近、早起きしていますが、以前は早起きが好きではありませんでした。特に冬になると、寒さに弱い私は、暖かい布団の中がとても気持ち良く、起きる気力がなく、いつも寝過ごしてしまい、煉功時間を逃してしまいました。しかし、大法に対する認識が少し向上した後、朝早く起きて煉功することが重要だと気付き、自分に対して厳しく要求し、朝寝坊しなくなりました。

 法理から認識することができても、多くの執着心が捨てなければならない時になると、なかなか捨てられないことがあります。心の中に二つの認識があるようです。一つは、法理に基づいた認識で、もう一つは常人の理に基づいた認識です。普段の出来事に対して、つい常人の法理に基づいた認識で考えてしまうのは、法を深く学んでおらず、着実に修めてない証拠だと思います。もし、常人の理に基づいた認識で物事を考えるなら、いわゆる常人が執着しているものが良いと思い込み、その執着を捨て難いのです。もし、法理に基づいた認識で考えるなら、自然に常人の執着することが小さく見え、そんなに執着しなくなります。修煉者の修煉過程には、絶えず法理に基づいた認識で常人の理に基づいた認識を取り替える過程だと思います。いつも、法を学んでいるときの心理状態はとてもよく、法理に対する正しい認識ができますが、現実の生活になると、いつも常人に基づいた認識でものごとを考えてしまいます。これは、自分の修煉の向上を遅らせる理由だとわかりました。もし、私たちはいつも、法理に基づいた認識で、すべての物事を考える習慣を身につければ、修煉の道のりはそんなに難しくないと思います。

 師父は「もしも、みな一人一人が心の内から法を認識することができれば、それこそが威力無辺の法の体現——強大なる佛法のこの世における再現なのです!」(『精進要旨』「警告の言葉」)とおっしゃいました。以前、師父のこの説法に対して、私はよく理解していませんでしたが、今は、「人は修煉の道で、もしある次元に達していなければ、絶対にその次元の法理は現れません。ですから、私たちはある次元の法理を認識することができれば、すでにその次元に到達しています。私たちはその次元の法理と通じさせることができ、この次元の法理の威力が私たちの生命から現れることができます。私たちの本体が人間界にいるので、この次元の法理が人間界で現れるのです。私たちは高い次元の法理を認識できれば、その次元での強大な法理が人間界で現れることができます」と、私はこのように認識しています。

 正法がすでに最後の段階に来ています。しかし、師父に対する認識、大法に対する認識、正法に対する認識、また正法時期の大法弟子という身分に対する認識が、私たち修煉者にとって根本的な問題です。まだ精進していない同修や大法の真相を伝えることに熱心ではない同修は、私から見ると根本的に大法、正法とは何か、また自分が背負っている重大な責任とは何かに対する認識が不足していると思います。ですから、現在、正法修煉の時期に来ていても、もう一度根本的に大法に対して再認識すべきです。

 私の体験談が同修にとって役に立てば嬉しく思っています。私たちは一緒に師父の正法に随い、先史以前に与えてくださった偉大な使命、衆生が私たちに対する永遠の期待に背かず、正法時期の大法弟子という空前絶後、これ以上にない栄光を失わないように一緒に努力しましょう。

 2010年2月8日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/1/21/216619.html

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