ある村医師の修煉(一)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)私は1997年の初めから法輪大法を修煉し始めました。今は65歳です。医師ですが、学歴はあまりありません。小さいころ、家庭の環境が悪く、しかも中共の迫害を受けたため、5年しか学校に行きませんでしたが、独学で中医学の内外科の医師になりました。
一、修煉前に経験した生死
生まれた年に、母は私を抱いて、寺に佛を拝みに行きました。しかし、生まれながら苦難が絶えませんでした。5歳の時、毎日耳から「善良な人になりなさい、悪いことをしないように」という声がいつも聞こえていました。
6歳の時、水深6メートルもある池に落ちましたが、溺れて死にませんでした、誰かが私を水の中からゆっくりと引っ張り上げてくれました。
12歳の時、村の書記と村長は私に学校に行くことを禁じ、生産隊で水牛を育てることを命じました。毎日約150キロの草を刈りました、大人2人分の仕事量でしたが、大人のたった8分の1の給料しかくれませんでした。
いつも牛にたくさん食べさせないと、村の書記と村長に殴られ、ののしられました。ある日、生産隊の千キロの粟が盗まれました。その日は私1人で生産隊の保管室を警備していました。
村の書記と村長は災いを私に押し付け、私の手を後ろに縛り部屋の柱に一夜と半日つるし、殴られました。体は傷だらけになり、命を落としそうになりました。
ある人が私の耳元で「我慢して、よくなるから」とささやいた感じがしました。今思い出すと、師父の慈悲なる加護だったのかもしれません。こうしてもう一度生死の関門を突破することができました。
文化大革命のとき、数万の人々が集まる大会で批判闘争にかけられ、殴られ、ののしられました。優しい人が私に逃げる様にと言ったので、逃げました。さもなければ殴られて死んだかもしれません。
私は陝西漢中北門に走って行きましたが、銃声が飛び交っていました。ある砲弾がわたしの体の近くに落ち、死ぬほど驚いて逆の方面に走りました。頭の髪の毛がすべて落ちましたが、傷一つ負いませんでした。
二、法を得て、法を広め、精進する
法輪大法を修煉する前、道教を学んで『金剛経』を読んだことがあります。しかし、これらは私が探していた大法ではないと感じました。
1997年の初めのころ、長男が北京から『転法輪』という本を持って来て、家の物置に置きました。病人を診て、家に帰った後、この本を知りました。
妻は私に「この本を見てください」と言いましたが、気にしませんでした。夜寝るとき、『転法輪』が光を放っているのを見て、とても不思議だと思い、懐中電灯を持って見てみました。
1冊の新しい本は、表紙の法輪の図がとてもきれいでした。本を開き、師父の慈悲なる目、穏やかな笑顔に久しぶりに親戚に会ったようで、この本にひかれ、すぐに読みました。
眠気もなくとても元気に読み一晩で6講を読みました。素晴らしい本でした。その時、幾万年待っていた大法が見つかった感じでした。私は本を読みながら、第五式の功法を習いました。
半月経った後、師父が私に法輪と機能を植え付けてくださり、さらに1回灌頂をしてくださいました。患っていた結腸炎が全快しました。この病気は1996年にかかり、何をしても治りませんでした。
皮膚が白くなり赤味がさして透き通り、身体が軽くなり、とても歩き易くなりました。
(続く)
2010年2月25日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/6/217633.html)
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/2/24/114903.html)
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