時間が経つほど、本物の金は輝く(二)
(明慧日本)私たちが恩師と大法によって救われ、師に手伝って法を正し衆生を救い済度することができたのは、1人の生命にとってこの上ない栄光であり、偉大なことです。私たち法を正す時期の大法弟子は、輝かしい栄光があると同時に、責任や存在意義も大きいのです。もし、師に手伝って法を正し衆生を救い済度する作用を果たすことができなければ、自分の昔に立てた誓いを果たすことができなければ、その上、恩師は私たちを救うために無数の苦を一身に背負っておられ、私たちの存在意義は何でしょうか。私たちを法を正す時期の大法弟子にならせる意味はあるのでしょうか。ですから、なぜまだ迫害は終わらないのか、などと言う前に、自分自身の心に問うべきです。師父は「大法弟子の偉大なることは宇宙で法を正すことと結び付いており、皆さんの最大の使命は法を守ることです」と、米国フロリダ州法会での説法でおっしゃいました。
慈悲で偉大なる師父は、全ての大法弟子のため、全ての衆生のため、全ての生命のため、これほどの苦難を一身に受け止められたのはなぜでしょうか。それは、私たち大法弟子の円満成就のため、すべての衆生が救われるため、すべての生命と宇宙のためではないでしょうか? しかし、今日にいたっても未だに多くの衆生が救われておらず、どのようにして円満成就できるのでしょうか。さらに私たち修煉者の中の一部の人が今日に至ってもまだ大法弟子として成すべき事をしていません。どのようにして円満成就できるのでしょうか。師父は「大法弟子の修煉は法を実証する中で圓満成就するためですが、大法弟子として、皆さんも衆生を救い済度しており、多くの生命が今回法を正す中で済度され救われ得るようにしています」 (『2004年ワシントンDC法会での説法』)私たちは本当に師父が説法されたように、法を正す時期の大法弟子の要求に達したのでしょうか? 自分の法を実証する道を歩んだのでしょうか? 自分のかつて立てた誓いを果たしたのでしょうか? 師父の私たちに対する要求を満たし、心の中に悔いはないのでしょうか?
私たちは大法の中から分かったように、今の人類社会の中の人間はいずれも天上から下りてきた高い次元の生命なのです。しかも、この中の多くの人は世俗の険しさを知りながらも、師父と大法が必ず末世の中で自分たちを救ってくれるという堅い信念で下りてきました。師父がおっしゃったように、これらの生命の行いそのものが師父と大法に対する信念であり、法を実証していることになります。そのため、必ずこれらの生命を救わなければなりません。さらに、他に縁があり、救われるべき生命が私たち大法弟子の福音を待っているのです。私たちは、これらの生命が救われる唯一の希望としての大法弟子にとって、もし自分が良く実行できなければ、これらの本来ならば救われるべき生命が皆淘汰されてしまいます。これほどの悔いはあるのでしょうか。これは私たち大法弟子の責任と過ちであり、とくにそれらの法を実証していない大法弟子によるものです。
私たちが善と慈悲を修めているのであれば、常人の中で迷い、そして中国共産党の宣伝によって騙され、救いを必要としている生命が、私たちの立てた誓いを目の前にして、私たちの代わりがいない歴史的重大な責任と使命を背負っているものを目の前にして、私たちが彼らにとって唯一救いを差し伸べられる希望を目の前にして、衆生のためにすべての苦を嘗め尽くし、私たちを救い済度してくださった師父が未だに私たち及び全ての衆生を救い済度するために尽くしているのを目の前にして、大法を迫害し、衆生を台無しにする邪悪が未だに残っており、大法と大法弟子が邪悪な環境の中で迫害を受けていることを目の前にして、このいずれを取っても私たちには、いかなる資格や理由も、そしていかなる言い訳をもってしても、これらの危険の中に身をおかれている無数の衆生を救わないで、自分の安逸心や快楽を求めることは許されません。
(続く)
2010年3月23日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/23/199359.html)
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