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広東省:裁判所職員が受けた迫害

(明慧日本)広東省汕頭市の謝純鋒さんは、1996年に中山大学の法学部を卒業し、汕頭市の裁判所に就職した。しかし、過去の10年間で、謝さんは法輪功を修煉しているという理由で、何度も迫害を受けた。以下はその詳しい経歴である。

  一、汕頭大学精神病院で9カ月間、残酷な迫害を受けた

  1999年8月1日、謝さんは北京天安門広場の英雄記念碑の前で煉功したため、勤務先の汕頭市裁判所まで連行された。当時の所長・庄大軍と所長補佐・林坤池は、家族の強烈な抗議を顧みず、1999年9月に謝さんを汕頭大学精神病院まで連行した。その夜、一晩病床に縛られ無理やり毒薬を注射された。謝さんの体には異常な反応が現れ、首は左側を向くようになり、力を入れて元に戻しても再び左側へ向いて、制御することができず、頭がくらくらして、目は黄色に充血し、ぼうっとしていた。家族の強い抗議と、社会の良知のある人士の圧力の下で、病院の関係者は良知が蘇り、毒薬の投入を停止した。

  二、1年の労働教養を強いられた

  2000年10月のある日の朝、謝さんは1人で人通りのない所で煉功していた。誰にも迷惑をかけなかったが、外砂派出所の林広渠は、その事を理由に謝さんを連行して1年の労働教養を強いて、広東の三水労働教養所に拘禁した。

  三、北京で非人道的な拷問が1年続いた

  2001年9月末、謝さんは法輪功の真相を伝えるため再度北京天安門広場に行ったが、北京市の大興留置場に連行された。警官はいつも謝さんを殴り、電気棒で電撃し、2001年の旧暦12月、洗脳班に送った、冬の最も寒い夜中の12時に、謝さんは服を脱がされ、パンツだけで、雪の上を引っ張られ、何回も打ち倒された。そして、また池の氷の上まで引っ張り、30分以上凍えさせた。警官は「死んだら、新聞に走火入魔になって自殺したと書かれるぞ」と笑った。謝さんは大興留置場にいる間、大きな足の鎖で6カ月鍵をかけられた。

  四、澄海留置場で5カ月迫害された

  1年後に、2002年10月、汕頭市の「610弁公室」と高等裁判所は謝さんを澄海留置場に移送し、引き続き5カ月拘禁した。留置場の理不尽な要求に協力しなかったため、副所長・金穎に口を覆われ、手足に鎖を1週間もはめられた。その後、謝さんを広東の三水労働教養所へ送って拘禁した。

 五、2度目の労働教養を7カ月強いられた

 (1)第1回:独房で10日間非人道的な拷問を受ける

  労働教養所で、謝さんは理不尽な要求に協力しなかったため、10日間独房に閉じ込められ、10人の警官に侮辱されると同時に、股下、腰の部位などを2本の超強度の電気棒で連続して5分以上電撃された。ある日、5人の警官は3本の超強度の電気棒で、1時間余り連続して、電気がなくなるまで電撃した。生殖器以外、全身の全てを電撃して水をかけられた。

 (2)2回目:独房で10日間非人道的な拷問を受ける

  5月のある日、謝さんは「法輪大法は素晴らしい」と叫んだため、独房に閉じ込められ、非人道的な拷問に遭った。邱、郭、何の3人の警官に紐で縛られて、3本の強い電気棒で30分以上連続して電撃された。

 六、汕頭洗脳班で3カ月精神的な迫害を受ける

  2003年9月末、汕頭市高等裁判所は謝さんを広東の三水労働教養所から現地に移送し、汕頭市の「610弁公室」に直接洗脳班に送られるなど、精神的な迫害は3カ月続いた。今、謝さんは異郷で放浪生活を送っている。家の入り口にはカメラが設置されており、家に来た修煉者が捕まえられる可能性がある。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2010年5月7日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/5/5/222839.html

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