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師恩に感謝し、衆生を救う

(明慧日本)私は1981年10月に職場でものを持ち上げる時、頚椎二節、腰椎四節を骨折しました。87年春になって、私の腰は痛みで動かなくなり、病院に行ってみたところ、医師に右の腎臓が脊椎神経に圧迫されてなくなっていると知らされました。87年から顔に疔(よう)が出来たので、病院から1粒52元の犀黄丸をもらい、毎月10数個を飲みました。91年まで飲んだところで中毒になり、毎日下痢をしました。飲まなければ点滴をしなければならず、全身ひどい痛みでもうだめだと思いました。

  96年5月に親戚に連れられて私は師父のビデオ説法班に出席したとき、『転法輪』でおっしゃったように、2分もしないうちに眠りにつきました。次の朝は、煉功場所に行き、夜は師父の説法を聞きました。4日目、輔導員が「大法を信じますか?」と聞いたので、「信じなければ、来ませんよ」と答えました。すると輔導員は「ではその鉄のボールを家に置いてきてください」と言いました。頚椎の損傷で両手があまり効かなくなった私は、医師から二つのボールをもらって、鍛錬していたのです。5日目からそのボールを家に置いてきました。6日目に奇跡が起こりました。私は中学生の時に、左肩を骨折して、25年間まともに上げられず、煉功の時も右肩だけ動かしました。しかし6日目に佛展千手法を終えて、目を閉じて貫通両極法を待っている間、東北のほうからカーキ色の丸いもの(そのときは法輪だと知らなかった)が飛んできて、私の左肩にぶつかりました。私は誰かがぶつかったと思い、目を開けて見たら、みんな私から結構距離があったので、これは師父が私の体を調整して下さっていると悟りました。

  その時ラジオから師父の「衝灌」という声が聞こえてきて、左肩がすぐ伸ばせるようになりました。感動のあまり、私は涙を流しました。7日目、私が12年間着けていたコルセットが小さくなったような気がして、外したら、腰も自由に動くようになりました。8日目、職場に行ってみんなに法輪功のおかげで、腰も良くなり、左肩も上がるようになったと言いました。なかには冗談半分に「あなたの傷は嘘だったのではないの?」と言った人もいたので、「左肩が25年上がらなかったのは誰かに嘘をつくためだったの?」と言ったら、誰も何も言いませんでした。むしろ法輪功はすごいと感じました。その時、私は人に会うたびに、自分の経験から大法は超常であると実証しました。

  96年10月から、私の一家は大法を生命の必修科目にして、毎朝起きて初めにやることは『論語』、『転法輪』目次、『洪吟』や『位置』、『修者忌』、『忍とは』、『修者自在其中』などの経文を暗記することでした。法を学び、暗記することは私たち一家の最も大事なことでした。

  師父は毎回の説法でいつも弟子たちに真相を伝え衆生を救うことを要求されました。『ヨーロッパストックホルム法会へ』でも、「世の全ては法を正すために切り開かれたのです。大法弟子は現在の主役であり、古から現在まで、各界の衆生は待ち望んでいます。済度する衆生を救いましょう。正しい念と正しい行いをもって、全ての障碍を解体し、真相を広く伝えてください」と言われました。師父は私たちに大いなる栄光と、大いなる期待をされましたので、三つのことをしっかりとやらない理由はありません。さらに私の身に大法の奇跡が現れ、何十年来の痛みを消してくださいましたので、師父の話を胸に刻み、自身の経験で大法を実証し、真相を伝え、世人を救い、私たちの史前の願いを叶えたいと思います。

  私は縁のある人に出会うたびに、真相を伝えました。心を込めれば、効果もとても良いと感じました。

  2000年6月のある日、朝買い物に行ったとき、雑貨店の前の階段に座っている80歳くらいの老人を見かけまして、「こんにちは」と挨拶したら、老人は「私は目も悪くないし、耳も遠くないが、足が利かない」と言いました。私は「では『法輪大法は良い』、『真・善・忍は良い』と言ってください、そうすれば治ります」と言いました。「本当?」と老人が言ったので、私が「言ってみてください」と言ったら、その場で老人は3回言った後、「覚えられないな、書いてくれないか、そうすれば見て言うよ」と言いました。紙に書いてあげて、20分後買い物を済ませて、自転車を取りに行ったとき、20メートルくらい離れた所から老人は私を見て、走りながら「ありがとうね! 足が良くなったよ」とやって来たので、私は「では私の師父に感謝してください」と言いました。

  2005年12月29日、市場から帰ってくる時、バスで昔の近所の人に会いました。彼は4、5個の袋を持っていたので、持ってあげて、バスに一緒に座り、彼に真相を伝えました。最初彼は聞いてくれませんでしたが、私の経験や共産党がなぜ法輪功を迫害するのか、どんなふうに迫害したのが、なぜ党を退出するのかなどを言ったら、彼は喜んで退出しました。

  2007年のある週末、私は職場の主任の家に行って、真相を伝えました。彼は「いくつか質問するから、答えられたら退党する」と言いました。農民が仕事をした後の賃金の問題や毛沢東や周恩来の問題を聞いてきたので、全部『九評』の中の内容を答えました。そうしたら彼は「共産党ってそんなに悪いんだね、では早く私も退出させてちょうだい」と言いました。その後、『九評』をあげました。ほかの親族にも見せて、真相が分かったら、彼らも共産党を退出するようにと言ったら、彼は全部いいと言いました。

  2008年家の後ろのほうに高層ビルを建てるとき、地面を掘るとき上水道の管が切れ、水が使えなくなり、60〜70の住宅が水を飲めなくなりました。そのことを聞いた後、私は家に帰り、妻(同修)に「これから大量の人を救えるよ、西側の住宅の水道が使えなくなったから、うちに水をもらいに来てもらって、男性には私が、女性にはあなたが真相を伝えよう。娘には正念を発してもらおう」 こうして、数日間で私たちは何十人もの人を退党させました。工事現場に行き真相を伝えたら、効果がとても良かったのです。

  2001年12月23日朝6時半ごろ、ちょうど煉功を終えたとき、ノックの音が聞こえ、ドアを開けて見たら、20人くらいの警官がカメラを持って家に入ってきました。彼らは「お前がチラシを配ったと知らされた」というので私が認めなかったら、彼らは捜すといいました。妻と娘(同修)に正念を発してもらって、その人たちに「『法輪大法は良い』、『真・善・忍は良い』と覚えてください」と言ったら、その人は「お前を逮捕しに来たのに、これを言うのか」と言うので、私は「あなたの命を救うために教えるのです」と言いました。そうしたらカメラを持った人が「命を救うためだって、もう行こうよ」と言って、去っていきました。

  共産党が大法を迫害して以来、私たち一家の時間の配分はこうでした。朝3時50分に一緒に煉功をし、9時前には正念を発し、法を暗記して、明慧を見て、9時以降街に出て、真相を伝え、12時に正念を発し、『転法輪』を毎日2講学び、午後3時以降また街に出て真相を伝え、6時前に戻ってきて正念を発し、晩御飯を食べてから師父の各地での説法や『精進要旨』を学びました。毎日11回正念を発しました。

  10年間、私は法輪大法を修煉するのはもっとも幸せなことだと気づきました。大法のおかげで受益しましたので、師父に従って法を正し、大法弟子がやるべき三つのことをきちんとやり、もっと多くの人を救い、自分の使命を完成させ、大法弟子という名に恥じないようにすべきです。

  2010年5月24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/24/222069.html

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