上海:万博期間中に老人が不審死
(明慧日本)2010年4月30日夜、8年間の準備を経て上海万博大会が開幕し、世界の国々から注目されている。
しかし、派手に万博を行っているウラで、上海の法輪功修煉者は残酷な迫害を受けている。道徳・人権・法律を無視した上、法輪功修煉者の日常生活が侵害されている。
上海の老人が不審死
健康だった張志雲さんは、2009年5月、上海虹口区公安局分局の610弁公室に強制的に尋問された。そしてお茶を飲ませられ、帰宅してから一週間も吐血した。610弁公室の警官が訪ねてきた翌日、死亡した。
張志雲さんは新唐人テレビで法輪功を知り、1994年に修煉を始めた。当時、中国では法輪功を修煉することは太極拳や他の気功と同じく、反対する人などいなかった。張さんは法輪功の修煉を通じて、多いに恩恵を受けた。多くの疾病が全快し、家族関係も大きく改善した。1999年、中国共産党による法輪功に対する弾圧が始まった。張さんは、上海地区の法輪功の協調役を担当していた。そのため、上海の610弁公室は張さんの監視をし始めた。張志雲さんの電話や、郵便ポストなどは常に24時間、監視を受けていた。
張志雲さんは亡くなるまでの10年間、肉体的・精神的な苦難をなめさせられた。2006年11月20日、上海の法輪功修煉者が張さんを訪ねた際、張さんは連行された。派出所で、30代の三白眼の警官が、張さんを指差しながら叱りつけた。それから、目をえぐり、鼻を指ではじき、頬をつねり、頭を壁にぶつけ、エアコンを最低温にして張さんに吹きつけた。
2009年4月末、張志雲さんが、留学している娘の卒業式に出席するため、派出所でパスポートの申請をした。610弁公室の警官との間で言い争いになった。そして、610弁公室の責任者がお茶を入れ、張さんがそのお茶を飲んだところ、家に戻って一週間に経たずして、死亡した。
2009年5月13日、上海610弁公室の責任者が病院の院長を訪ね、何らかの相談をした翌日、張志雲さんは死亡した。張さんは意外にも死亡したことを聞いたとき、数人の医者は陰で「何でそんなに早いのか? ありえない」と言った。
目撃者の話によると、応急手当をする際、医者が酸素マスクをはずすと、張さんは舌をつき出して死亡した。死亡時には、口もとから血が流れ、目と口も開けたままだった。
張志雲さんの迫害死は、法輪功迫害の氷山の一角である。2008北京オリンピックが終わってから、上海万博大会は中共の目玉政策なので、法輪功修煉者を監視し、迫害を強化している。さらに、2009年の年始と2009年6月20日、江沢民と周永康が上海に行き、迫害を指示した。他にも多数の法輪功修煉者が不当判決、監禁などを受けている。
2010年6月11日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/6/8/225040.html)
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