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大法の中で着実に修煉して昇華する(二)


文/湖北省の大法弟子

(明慧日本)

 二、内に向って探すことは修煉の宝物である

 師父は説法の中で何度も、何事においても内に向って探すべきだとおっしゃいました。私自身、仕事と生活環境の中で内に向って探して修煉しようとしました。ある日、部下のミスで、自分はわけが分からないままあるお客さんから職場で大声で罵られました。たちまち多くの目が私に集まり、自分も腹が立っていました。これは偶然ではない、まず自分を見てみようとの念が生じ、師父の一段落の説法を思い出しました。「あなたが最も面子を失いたくない人の前で、誰かがあなたに平手打ちを食らわして、恥をかかすようなことが将来起きるかも知れません。果してあなたはそれにどう対処しますか。果して耐えられるかどうか。一応は耐えられたとしても、内心では落ちつかないようでしたら、それでも駄目です」(『転法輪』)私は内心では落ち着いていないのが明らかでした。

 後で、自分の大きな虚栄心と面子を重んじる心から生じたトラブルだと分かりました。第一線で働いているスタッフたちに、私は「真善忍」に基づいて人と接する事を要求しました。今回のトラブルで私が適切に対応したことで、周りの大法を信じない同僚が、大法を敬服するようになりました。実は本当に昇華したのは自分で、その時、私は身体中の悪い物質がなくなり、非常に楽になるのを感じました。

 内に向って探すことが修煉の宝物だと分かって、周りの同修も内に探すことができるように手伝おうと思いました。周りに誰が正しく、誰が間違ったかをこだわる二人の同修がいて、私も最初こだわりすぎだとの思いだけでした。後に師父が、二人が争うとき、それを見ている第三者も自分を探すべきだとの法理を教えてくださったことを思い出しました。それで、私は彼らに物事の表面で正しいとしても無駄なことで、往々にして「自分の意見を堅持する」常人の心を捨て去るべきだと告げました。

 また、同修の間で違う意見は当然のことです。師父も異なる次元に異なる法があるとおっしゃいました。生命の源も大いに違い、修煉の状態、次元及び心性の高低も違って、一つの物事に対する考えも違うわけです。例を挙げると、同じ言葉でも国々の表現方法は違います。全部中国語に表現するように強要するわけには行きません。釈迦牟尼佛も49年間、次元が突破するたびにそれ以前に話した法が間違っていたと認識しました。まして私達は大法の中で修煉する弟子で、次元の突破も早いもので、今日の認識が正しいと誰も言えません。周りの同修と交流する中で、皆がこの問題を認識し、違う意見を全部出して皆で交流し合い、目的は法理をはっきりさせ、共に向上することです。

 師父は次のようにおっしゃいました。「大法は無辺であり、すべてが心の修煉にかかっています」(『転法輪』) 私達が積極的に内に向って探さなく、そして執着心もあります。如何しますか?師父は同修からの指摘とトラブルで内に探すように按配されるしかありません。師父はおっしゃいました。「どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです」(『転法輪』)」「あなたがぶつかった魔難はちょうど、あなたが向上する機会であり、内に向けて探すことができれば、それはまさにあなたが難関を乗り越え、新しい状態に入る機会になります」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』)

 私達が修煉の中で出会うすべては、実は師父が弟子たちの修煉のために按配されたのであり、私達は必ず内に向って探してみるべきです。師父の偉大なる慈悲に申し分がたつようにし、この貴重な機会を大事にすべきです。

 (続く)

 2010年6月21日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/5/31/224623.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/6/10/117761.html

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