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真に内に向けて探し、よく修煉できてこそ、衆生を救い済度することができる(二)


文/黒竜江省の大法弟子

(明慧日本)

 責任を認識してさらによく衆生を救い済度する

 私はずっと、資料点の形で衆生を救い済度することに参加しており、これは自分の歩むべき道だと思っていました。しかし、今年あるプロジェクトに参加したことで、自分の考えが変わりました。参加したばかりの時、やる気と実際の行動に大きな違いがあると気付いたのです。法を実証するのは、実際に自分をいかに修めていくかの過程ですので、違いが出てくるのも当然なことです。このプロジェクトについての理解は表面的で、衆生を救い済度する真の責任感がなく、ただ、これは正法に必要なことで、師父の望んでおられることで、同修が協力者を必要とするなら、私はやるべきだとしか考えていませんでした。

 このプロジェクトの中の一つは原稿を書くことです。最初に原稿を書く時、私はただ、衆生を救い済度する一念を文章の中に加え、平和な気持ちで描写し、党文化と自分の人心を加えないように気をつけていました。しかし、このようにやればやるほど、ますます常人のようになったと感じ、法のもとでやっているという神聖かつ威厳さがありませんでした。それで、私は心を静めて法を学び始めたり、この件について同修と交流したりすると、同修達が、私の修煉の不足を教えてくれました。

 それは即ち私の出発点が間違っていたことです。私はやっているすべてのことは法を実証し、師父と大法の偉大さを広め、世の人々に法輪大法の素晴らしさを知ってもらい、善悪にはそれぞれの報いがあることは天理であること、大法を信じれば、自分自身に無限の良い未来をもたらすこと、これらのことを実現できれば、衆生を救い済度することができたと言えます。

 この法理を悟ると、私は突然閃きました。すぐに天が清らになったと感じて体も軽くなり、陽光も特に明朗で、空気も暖かい息吹に満ちあふれていて、通行人も私にしきりに微笑んでくれて、私も真摯な微笑みを返しました。原稿が非常に順調に書けるように、師父が私に知恵を与えてくださったのです。構想もあふれていて、しかも次の段階の事を進める妙案も浮かんできたのです。文章を書くことに対する心理上の障害もなくなり、自分の容量がまた拡大されたと感じました。昨日、1人の同修が、あなたは学生の頃、作文は模範文章でしたし、それに本も多く読んできたし、文章を書く能力があるので、自分の長所を発揮すべきだと言ってくれました。これは師父が同修を通して私を励ましてくださったと分かっています。師父と法は私に能力を与えてくださったのですが、私は十分に発揮せず、本当に申し訳ないと思っていました。

 名利情の執着を取り除く

 私は自尊心の強い人間です。幼い頃から人に指摘されたくないため、自分の欠点を自分で探し出して改めるのです。修煉後、少しずつ改めてきたつもりでしたが、修煉は厳粛なことで、僅かないい加減さも加えることができません。人に言われたくないと思えば、今度は最も人に言われたくない事に触れられ、男女の関係を注意されたのです。実際たいしたことでもなかったのです。これから男性の同修と一緒に大法の仕事をする可能性が出てきたため、同修が善意を持って注意を促してくれただけなのですが、私はすでに辱められ(これも人心)、名誉が傷つけられたと思いました。私は伝統的な人間で、礼に反する事を何もしていないのに、なぜこのような事で私を注意するのかと不満に思いました。 

 私は冷静になって内に向けて探してみると、自分が何を修めるべきかが分かりました。自分は小さい頃から恋愛小説を多く読んできて、美しい男女の恋愛にずっと憧れていたのですが。しかし、現実にはなかなか実現できなくて、それで、その憧れに未練が残っていたのです。自分の夫(同修)に対しても愛情があり、お互いに夫婦の情を放棄できなかったことで、邪悪に迫害されたこともあったのです。時には、夫への愛情を放棄することができませんでした。

 師父は私に、法を実証する道でさらに純粋であるように求めておられていると分かると、男女の情をこれから捨てようと決心したのです。邪悪は自分が消滅されると分かると、絶えず邪魔してきて、私も絶えず発正念して反撃し、自分の一つ一つの考えを常に浄化していきました。しかし、修煉は往復する過程でもあるため、一時的になくなったと思うと、また出てきました。でもすでに弱くなる一方でした。

 私は夫との間の夫婦の情が、ますます薄くなっていった代わりに、心がますます清浄になりました。法を実証し衆生を救い済度することにおいては、ますます協調が取れて、お互いに支持を強めました。同時に、自分が他人に言われたくないという強い「名利心」の執着も見えてきました。

 一年が経ちましたが、心性において最大の変化は、物事に出会った時に冷静になれるようになったことです。自分が何を修めるべきか、師父がどの点において自分の向上を願っておられるか、また自分がどのようにして自我を放棄し、師父の求められることを円容すべきかを考えるようになりました。

 私は修煉の道程で、修煉の素晴らしさ、及び師父と大法の偉大さを感じ取れました。

 (完)

 2010年6月29日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2010/3/19/220065.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/3/30/115706.html

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