比して学び比して修し、差を探す
文/中国黒竜江省の大法弟子
(明慧日本) 2006年の末、私は同修の乙さんが資料制作にあまり忙しすぎるのを見て、DVDの制作機械をもらって真相を伝えるためのDVDを作り始めました。2008年の末、私は家庭資料拠点を設けました。
資料の作成を学び始めるとき、私はパソコンの前に座り、マウス、キーボードだけは知っていましたが、、使い方及びネットの利用法がまったく分かりませんでした。乙さんは丁寧に教えてくれましたが、私はよく忘れ、よく乙さんの助けを求め、乙さんがそばにいると安心できるという状況で、依頼心が強くなりました。
私は1人でパンフレットと週刊の作成ができたとき、歓喜心、顕示心が現われました。ある日、私は乙さんに「ネットを使うとき、マウスを押すことがリモコンを押すように、全然怖いと思ったことがありません」と言い、乙さんは私を見て何も言いませんでした。私は同修の表情から、同修が私の人心が見えているのが分かりました。自分の話が不純であり、法を実証する技能が少しできたからと言ってすぐ得意になり、歓喜心と顕示心が強く表れました。しかし、乙さんは自分の才能を顕示せず、自分の技能にも謙虚な姿勢を保っています。比べると、自分は同修との差が大きかったことが分かりました。
法を実証して衆生を救い済度することに個人の能力がいくらあっても、すべでは師父に与えられ、大法に与えられたものです。私たちの使命と責任が重大であるので、大法に与えられた使命を前にして達成しなければなりません。
2009年の初め、神韻DVDを作成するとき、同修たちはDVD作成用の新しいプリント機械を購入することにしました。同修の丙さんは勝手に私の一台のプリント機械を他の同修に譲り、新しく購入した機械を私にくれました。当時、私は無理に同意しましたが、その後、「どうしてこんなやり方をしたのでしょうか? 私は自分の機械の使い方がで習得きたばかりで、他の機械に替わると、また最初から学ばなければなりません」と、完全に自我の立場から考えました。
師父は「その中の一部の者が、利己的になっていったために、次第に自分の次元を下げ、ついに自分のいる次元にいられなくなり、それより低い次元へ堕ちていきました」(『転法輪』)とおっしゃいました。これを拝読するとき、私は旧宇宙から生まれた生命ですから、大法に同化しなければ、旧宇宙の束縛から抜けられず、また自分が師父に教えられた無私無我の境地にまだ達成できていないと思い、師父と同修に申し訳ないと感じました。
家庭資料拠点を設けてから数カ月後、私はネットの利用、ダウンロード、週刊とパンフレットの作成、DVDの作成ができ、十数人の同修に資料を提供しました。私は他の資料点と役割を分担し、皆が安全を注意しながら、よく協調しました。数カ月が過ぎ、私は自分の疑念、恐怖心が減り、心の容量が大きくなったことを感じました。
ある日の午後、ある車に乗った私は、運転手にまず中共官僚の腐敗から話し、三退を紹介しました。その運転手は三退を同意し、「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」という褒め言葉を受けました。その後、私は自分が法輪功の修煉者であることを話し、大法が世界で広く伝わっていることや世界各地で表彰を与えられたことなどを紹介しました。途中、運転手の息子は居眠りしてしまいました。私は彼に、1時間以内に目が覚めるようにと正念を発しました。その後、彼は目が覚め、三退のことを知って三退しました。3時間、師父は智慧をたくさんくださり、私は衆生を救い済度する立場から真相を伝えました。
私は自分の不足が見え、これから、師父の正法の進展についていけるように精進します。
2010年09月10日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/24/228713.html)
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