日本明慧
■印刷版   

どのように協調人に接するかについて


文/中国の大法弟子

(明慧日本)先日、明慧ネットに掲載された「中国の修煉者は法に基づいて協調人に接しなければならない」という文章を読んで、私は筆者の考えにとても賛成しました。1999年7.20前、各地の責任者、協調人、修煉者はすべて個人修煉の時期であり、協調人は熱心に担当していましたが、必ずしもよく修煉できているとは限りません。

 しかし、法輪功が中国共産党に迫害された後、つまり、師父に手伝い、法を正す修煉段階で、人間の執着心が強く、法の基準ではかることはできない協調人がだんだんと現れてきました。

 例えば、中国で、資金を集めることが起こりました。それは、一般の修煉者は協調人のことを信じるうえ、しかも、協調人が法の基準ではかっていないということに気づいていないからです。協調人は法のため、他の修煉者のためではなく、「私」の角度から自分を守り、責任から逃れ、大法にかなりの損失をもたらしました。以上の状況は、私達学習者が、協調人に対して執着しすぎ、個人修煉の時期の考えで協調人に接していることが関係しているのでしょうか?

 師父は2010年ワシントンDC法会で、協調人の問題について説法された時、海外の修煉者に対することであり、中国本土の修煉者に対してではないとはっきりおっしゃいました。しかし、多くの中国本土の同修は、理性的ではありません。師父の説法を曲解し、修煉と三つのことに妨害をもたらしてしまいました。皆さんは早く人心を放下し、着実に時間を大切にして人を救うべきです。

 これから、中国本土の同修は協調人にどのように接するかの問題について、必ず法に基づいて行わなければなりません。情に執着し、邪悪に隙を突かれ、それによって損失をもたらさないようにしましょう。
 
2010年09月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/10/229465.html

■関連文章
神韻のDVDを配る体験
協調人との間に間隔が生じたとき、必ず自分に向かって探す
師に手伝って法を正し、畑仕事をしていた私がマウスを動かせるようになった(二)
自我を放下して初めて、隔てをなくして全体になれる
中国本土の協調人は、協調の中でどうやって成熟するか
家族に対して衆生と同じく慈悲に接する
衆生を救い、師を手伝う道を歩む(一)
法をもって師とすれば、最後の修煉の道をしっかり歩むことができる
「他人の執着」に執着しない
魔難に陥った同修に慈悲をもって接する(四)