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新しい学習者でも高い基準で修煉しよう(一)

(明慧日本)私は2008年に正式に法輪大法を修煉し始めました。新しい学習者として、古い学習者を見習って、各方面において、自分を厳しく律し、法をよく勉強し、三つのことをしっかり行うように努力してきました。
 
 私は1999年の時にすでに大法に出会いました。当時、身体が虚弱で、病気を治すため、キツネや、イタチなどのあらゆるものを信じ込んでいた私は、夜に落ち着いて寝ることもできず、恐怖に包まれて、ノイローゼになりかけていました。兄は法輪大法の学習者で、私に大法の本を読むように、また、恐怖を感じた時に、師父の名前を呼んでみてと教えてくれました。二回試しましたが、本当に怖くなくなりました。半日で『転法輪』を読み終えて、とても良い感じがしました。
 
 しかし、二回目に本を読んだ時、他の空間からのさまざまな妨害が現れてきました。法に対する理解が深くなかったため、動揺してしまい、妨害を恐れる気持ちを制御できず、二度と本に触れることができませんでした。特に、迫害が始まってから、なお信じなくなってしまいました。そのまま、私はこの道徳観念が急速に腐敗していく社会の中で、人生への戸惑いの中で苦しみ、いつしか10年が経ちました。あの頃、本当に自分は何のために生きているのか、生き甲斐が見つかりませんでした。名利のために人と競い合い、張り合い、多くの疾患を抱えるようになりました。頸椎症、頭痛、婦人病、神経衰弱、胸やけ、心臓の不整脈など。かかった高額の治療費とは裏腹に効果は少しも現れませんでした。
 
 師父の大法弟子にはなれませんでしたが、師父は私のような悟性の低い人間を見捨てませんでした。もしくは、10年経った今、私に修煉の機縁が到来し、やっと、本当に修煉の門に入ることができたのかもしれません。幸いにも、この最後の時期に師父の弟子になれました。修煉して間もなく、師父が私の身体を浄化して下さいました。直ちに私の持病は知らぬ間に消えてしまい、まさに病気の無い身体は身も軽やかで、私はとても幸せです。
 
 法を学び、法を実証し、三つのことをしっかり行う
 
 修煉を始めるのが遅かったため、私はむさぼるように法を学びました。同修の助けを借りて、師父の全ての法を真剣に読みました。毎日煉功して、大きな佛恩を浴び、法の中で昇華しています。法に対して、初めはただ感性的な認識でしたが、絶えず学ぶことによって、法理がはっきりと理解できるようになりました。それに、「明慧週刊」の中の同修たちの体験談を読み、早く自分を高めることができ、修煉の中で成熟することができ、何のために修煉するのかが分かるようになりました。
 
 私は農村地区の大法弟子です。以前、私は、体面を重んじ、見栄っ張りで、傲慢、デリケートかつ、妬む心が起きやすい人でした。修煉後、何事においても法に従って行ない、どこにいても、一人の良い人間として振る舞うのです。夫と二人の子供も修煉に加わり、一家は睦まじい日々を送っていました。
 
 私はまるで別人のようで、困っている人に手助けをするようになり、常ににこやかです。最初は、恐れる心があったため、自分は大法弟子だという事は内緒にしていましたが、徐々に、こんなに良い修煉法をなぜ人に教えてあげないのかと悟り、友人や、近所に大法の素晴らしさを伝え始めました。私ととても親しくしている友人は、中共の宣伝に惑わされ、焦りと、友人に対する深い情があったため、いくら真相を伝えても、大法弟子の事は認めたものの、大法弟子の真相を伝え、法を実証することが理解できませんでした。彼女のためなので、私の言うことを聞くはずだと思い、彼女も修煉する事を強く望みました。人心と情けで物事を動かそうとしたので、その後、その友人はだんだん、私から遠ざかって行きました。私はとても辛かったのです。同修と交流して、内に向けて探し、情を放下すべきことが分かりました。もう彼女の事に執着しません。そして、人が修煉することは縁によるものだと分かるようになりました。
 
 師父は「理智をもって法を実証し、智慧をもって真相をはっきりと伝え、慈悲をもって法を広めて世人を救い済度する」(「理性」)とおっしゃいました。真相を伝え、衆生を救い済度することは実行しなければならないことだと認識しております、これも私たちの先史の誓約なのです。時間が迫ってきています。遅れて法を得た弟子はなおさら時間を切り詰めて行なわなければなりません。仕事場で、修煉者の基準に照らし合わせて、自分を律します。どこでも私たちの修煉の環境なのです。ですから、仕事において、どんな仕事に対しても選ばず、常に他人のことを優先に考えています。同僚の皆が私をいい人だと褒めます。私は、大法の師父がこうするようにと教えてくださったのだと皆に教えています。
 
 初めは、職場で同僚に真相を伝えることができませんでした。伝えようとすると、心臓がバクバクして、言葉にならなくて、気をもんでばかりいました。自分の恐れる心に妨害されました。職場のホテルは地方からの宿泊客が多く、特に夏休みになると、大勢の学生が来ます。その人たちは私と縁のある人たちだと確信し、必ず救わなければと心を決めました。私は話す機会を待つことにしました。ある朝、早く出勤したので、留守番をしている一人の学生を見かけました。その子を呼び、共青団に入団したことはある?と聞きました。彼は、はいと答えました、脱退した方がいいと勧めると、どうやって?とその子は聞きました。その時に、もう一人の女の子が現れました。ちょうど二人一緒に脱退させようと思いましたが、女の子は私の話を聞き入れず、最初の子と一緒に去って行きました。私はがっかりする一方、自分の新しい一歩を踏み出せたことに喜びを感じました。
 
 その日から、毎日、二人に三退を勧めるようになりましたが、真相については恐れてあまり伝えていません。三退を勧めることがとても順調だったので、歓喜心が生じて、邪悪に隙に乗じられました。突然、ある日、勤め先で集会が開かれました。司会は公安部の局長で、かつて、法輪功の迫害に関わっていました。私は動揺して、彼が法輪功のことを口にしないようにと正念を発しましたが、恐れれば恐れるほど彼は法輪功のことを話します。まるで、たくさんの人が私を狙っているかのように感じ、あの日以来、私は恐れる心が生じ、三退を勧める勇気をなくしました。でも、すぐにこれは正しくないと気づき、師父が「一千年かそこら修練したとしても、小指の先の一ひねりにも耐えられません」(『転法輪』)と教えられています。正念が満ちて、恐れる心を取り除いたら、師父が全てを取り除いて下さいました。以来、二度とあのような出来事は現れませんでした。
 
 (続く) 
 
2010年11月03日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/6/7/224938.html

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