観念を変え協調をしっかり行う(二)
文/中国の大法弟子・羽昕
(明慧日本)ある日、数人の学法に参加しようとしましたが、突然、十数人が来ました。ある同修は「人が多いと安全でなく、すぐに学法グループを解散すべきだ」と意見を出して、論争になりました。「私は怖くない、あなたたちはなぜ怖いのですか」と学法の場所を提供している人は言いました。交流で多くの異なる人心が暴露されました。交流の後、ある同修は私に「誰々が安全に注意を払っていない、危険すぎる」と言いました。「誰々があれこれに怖くなり、恐れている」と言った同修もいました。その日は皆がとても激しく言い合いました。向上するときが来たのかも知れません。師父が私たちに要求されたことに従い、相手の不足を鏡として自分の不足を補うことは肝心なことです。これが修煉で、素晴らしいことで、全体の向上になります。「一つの最大かつ致命的な障害です」という師父の次の言葉が脳裏に現れました。
「わたしは、これらの問題にあたってわれわれも自分の方に原因を探すべきだと考えます。どうしてこのようなことが起るのだろうか、われわれ自身あるいはわれわれの指導所、煉功場、またはわれわれの一部学習者がやっていることに至らないところがあるのではないか? 如何なる事にあたる時も自分自身の問題として考えることができるならば、その人はとても素晴らしい人で、圓満成就まで辿る道にあなたを妨げる障害はありません。誰でも何かのことに出会った時いつでも外へ向かって探します。『あなたはなぜわたしにこのようなことをしたのか?』心の中に不平を抱き、自分の問題を考えません。これは全ての生命にとって、一つの最大かつ致命的な障害です」(『シンガポールでの法会における講法』)
自分の心に深く隠れた執着心を見つけました。同修の不平を言い、闘争心、自分を実証する心があり、言葉が優しくありませんでした。学法グループでそれぞれ学法し、交流して内へ向かって探しました。すると「不思議な事に、私も師父の『シンガポールでの法会における講法』を読みました。他人のよくないところを見ていられないのは自分ができていないからです」と言う同修がいました。また「普段、自分に嫉妬心がないと思っていましたが、こんなに激しいとは知りませんでした。すでに当たり前になっていました」と言う同修もいました。こうして、内へ向かって探した結果、トラブルを解決し、同修との距離が埋まり、学法グループは打ち解けました。
三、資料拠点が次々に立ち上がる
学法グループの設立のおかげで家庭式の資料拠点がたくさん作られました。学法して交流することにより、法を実証することを大きく推進しました。一部の同修は電話で真相を伝え、多くの同修は携帯電話を使い始めました。パソコンが分からない人は、若い同修の助けのもとで真相を伝えています。また、真相を知った人々の感謝の言葉をネットに掲載し、まだ出てきてない同修を励まします。
学法グループが多くなるにつれて、資料の需要も増えました。多くの同修は待つ・頼る・求めるという依頼心を取り除くべきだと指摘しました。こうして、家庭に条件があれば、条件が少し不足するなら、同修の経済と技術の援助のもとで資料拠点を作りました。以前は、1人が20人の資料を提供していましたが、今は4、5人分の提供ですんでいます。ほとんどすべての学法グループに資料拠点があり、師父の新経文や明慧週刊をすぐに見られるようになりました。真相資料・『九評』・DVDなどを提供できるようになり、あるとき、となり村の同修の分も作りました。「私の家にも資料拠点を作りました」と、絶えず同修から聞き、思わず涙が出てきました。
本当に大法は無辺で、師父の恩は広大です。私の地域で今日のような規模の全体を形成することができたことは、師父の慈悲なるご加護とほかの地域の同修の助けのおかげです。私たちは限られた最後の時期に早く成熟し、有史以前の大きな願いを果たし、大法弟子として基準に達したことを師父にお見せしたいです。
悟った次元に限りがあり、間違っているところはご指摘ください。
(完)
2011年01月17日
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