師を手伝い、法を正す中で自己を修める (二)
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文/イリノイ州の大法弟子

 【明慧日本2012年12月8日】

 家庭環境も修煉の場である

 私の家族は全員大法弟子です。このことは三つのことをするのに有利かもしれません、しかし、長い間私は家庭環境を私の修煉の場と見ていませんでした。外に出て常人を救う時、私はいつも大法弟子として自分を律しています。私がよく修煉できていないために、周囲の人が救われなければ、私はどのように師父に顔を向けられるでしょうか? どのように大法弟子の称号に直面できるでしょうか? 外では基本的に、私は色々な人心を抑えることができます。しかし、これは決して私がこれらの人心を取り除いたわけではなく、他の空間でその物質はまだ残っているのです。家に帰れば、私はよく人心を放任してしまうので、同修の夫はいつも冗談混じりに「心性が低い人の口から出た言葉は本当に他人と違うね」と言います。そういう時、私はよく「あなたは旧勢力が私の身の周りに按排した人のように、私の正念を攻撃するばかりではないですか? 師父は私の心性が低いと言っていないし、他の同修からもあなたのように言われていません」と言い返しました。夫が私のために修煉中の不足を指摘してくれたことも見落としてしまい、それに私はもう慣れてしまいました。今回私はプロジェクトチームで働いたとき、相次いで違う同修が私に修煉の不足を指摘してくれました。これらの不足はまさに夫が指摘したものでした。

 私は真面目に修煉の不足を直視し始めました。長い間私は、自分の家庭環境を私の修煉の場と思っていませんでした。師父の按排で、長い間存在していた執着心が分かり、それを取り除く機会をくださった師父に感謝しています。そのおかげで、それからの家庭環境の基礎をしっかり作ることができました。

 先月から、大陸の高齢の舅と姑が私達と同居することになりました。彼らが来る前に家庭環境は私の修煉の場だという法理上の明確な認識があり、心の中で緊張していました。心を静めて学法したあとに、自分を念入りに見てみると、表面から見れば、私が心配しているのは彼らの到着によって私が法を実証するプロジェクトへの参与に影響してしまうことでしたが、背後に隠されていたのは自分の私心でした、彼らはすでにある程度、大法の真相が分かり三退もしましたので、自分と縁がある家族はきっと大法と大きな縁があり、私達と同居することは、もっと多くの大法の真相を知るためだと思いました。

 彼らが来る前に、私は家で新唐人テレビのチャンネルを設定したので、時間があれば彼らと一緒に神韻芸術団の合唱を鑑賞していました。日常生活で私は出来るだけ彼らを気遣い、彼らに大法弟子と常人は違うことを感じさせ、大法弟子の優しさと慈悲のエネルギー場を感じさせました。その結果、姑は私のために自分にできる範囲の家事を引き受けてくれ、自分たちのことは心配しないで出来るだけ大法の活動に参加するようにと私を励ましてくれました。私達の家の状況を知っている同修は「彼らは本当に以前と比べ物にならないですね」と言いました。私は真相が道しるべであることを深く感じました。常人は真相が多く分かればわかるほど、彼らの未来にとって良いのです。最近、姑は私に「私は江××が早く死ぬように願っています。そうすると、法輪功への迫害も早く終わるから」と言いました。姑はアメリカで法輪功を練習したいとも言いました。

 深く隠れていた執着を見つける

 プロジェクトチームで働いた時、私は2回連続して心性の試練を経験しました。一緒に働いている同修は世界各国から来て違う経歴を持っているので、心性の衝突が度々ありました。とくに仕事を急ぐ時に、皆お互いに励ましながら、できるだけ純粋な心を保って一つ一つの仕事をやり遂げます。そうでないと師父が求めておられる人を救う効果を果たすことが出来ません。これは師父が、そこで働くすべての大法弟子に求めておられることです。2人の同修は相次いで私に「あなたは心性が高いので、他の同修との間で人心の衝突が少ないですね」と言いました。私は彼らに「そうですか? もし毎回あなたたちがぶつかりあえば、あなたたちの心性が大きく高まるのではないでしょうか? これは良いことではないでしょうか?」と言いました。

 翌日の朝煉功したときに、師父は私に長い間深く隠れていた執着心、自己を保護する心を見せてくださいました。私が他人と人心の衝突が少ないのは、長い間私がこのような衝突を避けたのであって、個人の修煉状態によるものではなく、内に向けて探し、大法に同化する表れではなく、人の次元で自己を守る表れであったと思います。私は家と事業を捨てて師を手伝い、法を正すプロジェクトに参加し、毎日わずか数時間しか寝ることが出来ず、宿舎で彼らのひっきりなしのいびきに耐えなければならないのに、あなたたちと人心の衝突が起これば、心性の関をまた乗り越えなければならないのだと考えるのです。修煉する前に私が、このような「馬鹿なこと」をしないように後ろに一歩下がって放棄することが出来たのは、修煉する前の生まれつきの能力であったと思います。師父は私にこの集団の修煉環境の中で、長い間固執し深く隠れていた汚い人心をはっきり分からせてくださいました。この時私は以前にあった、師を手伝い、法を正すプロジェクトの中で自分が何をしたか、神韻への参与の中で自分が何をしたかという考えをなくしました。今、いつも考えているのは大法の各プロジェクトに参与する中で、できるだけ早く各種の人心を取り除くことです。

 以上は私の修煉の体得です、不適切なところがあれば、慈悲なる指摘をお願い致します。

 (完)

 (2012年米国首都国際法会での発言原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/10/26/264494.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/11/3/136138.html)
 
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