文/海外の大法弟子
【明慧日本2020年10月27日】私は1年前に海外に来たばかりの大法弟子です、正式に電話で真相を伝えることに参加して5カ月が経ちました、自分の修煉を始める過程を振り返って、たくさんのことを悟りました。ここで師父にご報告し、同修と交流します。
私は1999年前から家族と一緒に修煉を始めました。1999年前の時ほぼ毎晩7、8人の同修と一緒に学法して、その時字をあまり読むことができず、意味もわからず、とにかく皆さんと一緒に段落ごとに法を読み、一段落読み終わったら心から嬉しいと思っていました。大法は、私の頭の中に深く刻み込まれていました。その後、学校へ行くため、長い間法を学ばなかったのですが『轉法輪』、『精進要旨』、『洪吟』の内容はずっと覚えていました。
その時から朝4時に公園で皆さんと一緒に煉功します。週末に時々地元の繁栄地域や定期的に大きなスタジアムで一緒に煉功して、修煉体験を交流します。
集団修煉環境を失い、名と利益に陥る
1999年7月突然、平和的修煉環境が破られ、私の家族が迫害され、家族は社会からの圧力を経験しました。当時の私は、まだ幼かったのでとても怖い思いをしました。大人になってから一定の社会知識を持ち、当時の同修達は酷い圧力の中で、修煉をいかに堅持されたかを理解しました。なんと凄い! 無限の悲壮感と尊重は心から生まれたのです。
学校で私は大法によくない言葉を横断幕にサインしなかったことで、先生方は同意しませんでした。家族はこれをきっかけに、先生に法輪功迫害の真相を伝えました。ある先生は、授業で私が修煉していることを話してくれましたが、私の成績が優秀なので、クラスメイト達は法輪功のことを肯定的に理解してくれ、一部の学生は両親に「彼女は法輪功を学んでいるから、成績がこんなにいいのよ」と話してくれました。
実はその時、集団学法して煉功する機会はほとんどなくなりました。普通の学校に入った時から、私は常人社会の中の「染め物がめ」で汚染され、学法が追いついていかなくなり、徐々に個人の努力と常人の名誉の泥沼にはまり、抜け出せなくなりました。一方、一時的に残酷な迫害に対する怖い気持ちを軽減するために、私は学業に専念し、特に寄宿中学校に入った後、自分の懸命な努力で良い成績を達成したような錯覚を起こして、個人の奮闘、名誉を得、負けん気が強い気持ちから生まれた嫉妬心の悪循環に陥り、夏休み冬休みの間だけ、慌てて学法して煉功していました。
その間、師父が何回も私に啓示をしてくださり、夢の中で何回もトイレに連れて行かれたり、宿題を忘れたり、試験の時、多くの質問に答えられなかったにも関わらず、私は悟れませんでした。自分の修煉が落ちてしまい、「師父の写真を見ることが怖い、師父の経文も見ることが怖い」と完全に修煉から離れてしまいました。そして、あっと言う間に10年が経ちました。私は10年を振り返ってみると自分が思った「理想」を実現し、目標に辿り着きましたが、それは底なしの穴だったことに気付き、この先はただ常人の目標しかありません。思想を正し、私は見栄えの良い履歴書を得たことを除いて全てが欠けていることに気づきました。
正に、師父の教えのように「少年志満懐 崇尚棟梁才 荣名帰故里 此生為何来」ーー若いころ野望を持ち 人材を羨望し 名誉を得て故郷に戻り この人生は何のために
改めて修煉の道へーー再び聖縁を結ぶ
それでも師父は、再び私にヨーロッパへ造詣を深める機会と修煉に戻る機会をくださいました。
最初の時、私は同修を探しながら、10カ月近く個人的に修煉する期間を経験しました。この間に、私は色々な都市を訪ね、知名度の高い観光名所にも行きましたが、大法弟子の真相地点は見つからず、地元の煉功場も見つかりませんでした。
それから私は心を静めて、自分で法を学び、着実に修煉しました。
2019年神韻芸術団の公演はヨーロッパで開催されました。大晦日、劇場の前を通り過ぎた時、遠くから大きな神韻芸術団のポスターが見えました。家の近くで神韻芸術団の公演を見れるなんてと興奮しました。その当時、常人の家族と一緒に3回目の現地公演を見に行った時のことです。劇場でチケットを買う時、スタッフが調べてくれて「1回目の公演だけが、あと2席あります」と言われ、「神韻の公演時間、場所、観客の全ては、本当に運命のように決められているのですね!」と、私は感動しました。
それ以来、どこでも神韻のポスターを見るようになり、私は嬉しさと同時に誇りを持ち、この小さな都市は、完全に大法の広大な佛恩を受けており、私も再び大法に同化したのです。
その時から、私は毎日法を熱心に学び、余った時間があれば学法し、明慧ネットの交流文章を読んでいました。以前の記憶で「転法輪」の中に何が書かれているのか少し覚えていますが、本当の意味は理解していませんでした。今回、一講を2、3時間で読み、全ての言葉は私を引き寄せ、法を読みながら思考をくり返し、理解し、一講読み終えたら次の日の学法を楽しみにしています。私は久々に、大法の修煉を始めた頃の同修と交流した時の感覚を思い出しました。心を込めて学法をすることで、常に法理を悟ることができ、度々感動して涙を流しました。
煉功すること、特に第5式の静功は、以前は何の問題もありませんでした。昔、集団学法する時の坐禅は2、3時間続けられましたが、現在は40分ぐらいの時間でも身体が震えるほど痛くて、家族は私の心性を向上させることに加え、毎朝坐禅する時私に注意を促してくれ、精神的肉体的には苦痛ですが、心を込めて学法をしたおかげで、法が次々と頭の中に浮び、2、3カ月後、第5式の功法(静功)はとても楽になりました。
この10カ月の間に心を突き刺すような心性の関を3回経験し、これは私の心の奥の執着を示していました。第一の関は名誉を求める心。引き継いだばかりの課題は手がかりがなく、なかなか進められず、知識が尽きるかのように感じました。師父は「人類の探求は技術競争のためであり、生存条件を改変することを口実にしていますが」と説かれました。心を深く探る、私が本当に心配しているのは、この研究の結果ではないことがわかりました。それは私の課題が何の進歩もないことを心配しています。他人は私のことを無能だとと思い、私のことが気にいらず、率直に言うと自分の名誉が傷つけられることを恐れています。これは面子を重んじる心、名誉を求める心です。第二の関は常人と矛盾が発生する時、私の負けん気が強い心嫉妬心です。第三の関は真相が分からない常人家族に真相を伝える過程で、家族が作ってくれたそれぞれの心性の関は、家族愛、忍耐力、大法に対する信念の心性の関なのです。
この三つの大きな関は毎回私の心を動揺させ、大法の力に頼って、すぐに内に向けて探し、良くない心を見つけて、執着心を放下しました。正念を持って困難を乗り越えてここまで来ました。振り返って見れば、正に「柳暗 花明 又 一村」(リュウアン ファミン ユウ イーチュン)全てのことは良い結果になりました。
(続く)