明慧法会|しっかりと法を学び 着実に修煉の道を歩む
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文/東北の大法弟子

 【明慧日本2020年12月26日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 風雨の中で歩んでいる弟子を今日まで守って下さり、修煉の道を正しくしっかりと歩めるよう加持して下さった慈悲で偉大なる師父に感謝いたします。

 一、法を暗記し、巨大な難関を乗り越える

 私は1999年に法輪大法の修煉を始めました。2年後、私は警官らに連行されました。当時、学法が少ないので、人心が多くありましたが、法輪大法を修煉する心は岩のように固かったのです。職場、収容所の人員や、家族があらゆる方法を尽くして、私に修煉を放棄させるよう強制しましたが、私は刑務所の警官たちに、「法輪大法の修煉を絶対に放棄しません。なぜなら、私の心の奥底では、法輪大法が何よりも大切だからです」と教えてあげました。

 当時、家族から、もし「転向書」を書かなければ、懲役5年以上の実刑判決を宣告されることになると聞いた時、私は心を動ぜずに法を暗記し始めました。留置場で拘禁された半年以上の間、『洪吟』と師父の多くの経文を暗記しました。とにかく時間を大切にして法を暗記していました。その中には同修が保存しているものもあれば、同修に一文ずつ教えてもらったものもありました。 師父の詩「同化して圓満する」と「泰山に登る」を暗記するたびに、ある女性同修のことを思い出しました。彼女は留置場で一文ずつ法の暗記を教えてくれました。その後、この同修は刑務所で迫害により亡くなりました。

 留置場で断食して迫害に抗議していた時も、同修から『精進要旨』の経文を一文ずつ暗記することを教えてもらいました。当時は、法理のこともよく分からず、旧勢力の迫害を否定することも知らなかったのです。拷問を受けても、正念で否定することを知りませんでした。当時、自分の修煉の境地、次元が限られていましたが、それでも師父の慈悲と加持を感じており、一定の期間が過ぎると、必ず精進する同修が私のところに来てくれたのです。

 師父は、巨大な難関の中で前へ進ませるよう、様々な夢を通して私を励ましてくださり、同時に、まだ取り除かれていない人心を悟らせてくださいました。ある日、留置場の柵と同じような有刺鉄線のローラーを3本手に持っている夢を見ました。目が覚めた後、名、利、情を取り除かなければならないことを悟りました。私は師父の経文『真修』を何度も何度も暗記しました。「常人の心を放下できるかどうか、これは真に常人を超えることに向かっていくための至難の関なのです。真に修める弟子であれば誰でも超えなければならないもので、これは修煉者と常人の境界線です」[1]。 私は心の中で、師父の真修弟子にならなければならないと自分に言い聞かせました。『真修』は私が最初に暗記できた経文の一つで、繰り返して暗記しましたが、千回暗記したかどうかは覚えていません。

 法を暗記することで、何度も生命の震撼を受け、大法の殊勝と素晴らしさを感じることができました。毎回関を乗り越える時、あるいは心性を向上すべき時には、師父の法が必ず頭の中に浮かんできて、私を前へと導いて下さいました。

 ある日、刑務所は私を独房に閉じ込め、私に修煉を放棄させ、そして、警官の共犯者になるようにと強制しました。私は邪に悟った人たちと向き合い、大勢の人たちが去りましたが、間もなく違うグループの大勢の人たちがやってきました。ある女性は昔修煉がよくできましたが、迫害され邪に悟った後、多くの同修を引っ張り下ろしたそうです。彼女は数百人もの人を「転向」させたと私に話したことがあり、また、必ず私に「転向書」を書かせることができると警官に約束しました。私は心の中で彼女の邪な言葉を排斥し、発正念をして「彼女を救ってください」と師父にお願いすると、彼女の喉が痛くなりました。

 その日の午後、善と悪の対戦がずっと続きました。ある男性はしばらく聞いた後、「この2人は、一体誰が誰を転向させているのか?」と言いました。私はそこを離れる直前の時でも、警官は彼女に翌日のスケジュールを指示しました。しかし、次の日から二度と彼女に会うことがありませんでした。彼女が変わったのではないかと推測し、彼女が目覚めて大法の中に戻り、精進して師父と一緒に帰るようにと心の中で願っていました。

 その日を境に、私を転向させようという陰謀は完全に解体されました。邪に悟った者たちが刑務所にやってきても、私と接触することを許されなくなりました。 このすべてを師父がなされており、弟子を成就させて下さっているのだと分かりました。

 刑務所では、拷問を受けても法の暗記を緩めませんでした。ある日、警官に吊るし上げられ、手錠をはめられている手首に体重がかかっていましたが、それほどの痛みを感じませんでした。受刑者は、私の手に血が通っていないため、黒紫色になり、長時間続けると手を切断しなければならないと言い、警官の許しを求めた方がいいと勧めてくれましたが、私は動じずにただ法を暗唱し、発正念をして師父にお願いしました。数時間後、下ろしてくれた時、手に何の後遺症も残りませんでした。師父が加持して下さったおかげで、大きな難関を乗り越えました。

 ある日、独房の中で両手を背中で捻じられ、地面に固定してある輪に手錠をかけられました。警官らはみな冬服を着ていましたが、私だげがシャツ1枚で、昼も夜も厳しい寒さの中で凍えさせられました。その場にいた者だけが、凍えさせるという拷問の残酷さを感じることができます。その数日間、私は暗い独房でひたすら法を暗記していました。暗記しているうち、格別な殊勝、美妙な状態に入りました。

 数日後、隣の部屋に移動され、同修のFさん、Cさんと一緒になり、師父の経文『法を正す時期の大法弟子』を暗記しました。最後の10日間、私たちが受けた迫害は凄まじいもので、他の空間でも善と悪の戦いが繰り返されました。10日目の朝、Cさんは「地面に横たわっている死んだ豚を踏んで、乗り越えた」という夢を見たそうです。邪悪が解体されました。その日、私たちは本当に暗い独房から出てきました。

 刑務所で拘禁された数年間、他の空間で新しく建てたたくさんの高層ビルの夢をよく見ていました。また、断崖絶壁であっても、どんなに険しくても、頂上までたどり着くことができた夢をよく見ました。刑務所の中で、ある同修は私が魔法のペンを持っている夢を見ました。私は多くの同修に協力して沢山の手紙を書きました。警官宛の手紙を受刑者にも読ませたので、それを読んで泣いた人もいました。数十人の警官宛に手紙を書いたことがあり、たまには告発状も書きました。

 私が刑務所を出る前に、刑務所で法を得た同修は、別の空間で多くの衆生が私を見送っている夢を見たと話しました。これは師父が私を励まして下さっていると悟りました。自分が法を実証する僅かなことをやり遂げたのは、すべて大法が賦与して下さったもので、暗記をすることを重視してから現れた大法の力です。偉大な師父、偉大な法が、巨大な難関を乗り越えさせました。

 二、法を暗記する中で多くの執着心を取り除く

 私が連行されて間もなく、ある受刑者は雑用から戻ってきて、夫が私に会いに来たが、留置場側が面会させなかったので、夫は近くの山の上(そこから留置場が見える)に座って午前中を過ごしていたと教えてくれました。この話を聞いて複雑な気持ちになりました。夫と私の生活はゼロから始めて、新築マンションに引っ越したばかりで、息子もまだ幼かったのです。情の中に陥って抜け出せなくなった私は、師父の『大法は迷いを破る』を繰り返して暗記し、朝から午前中ずっと暗唱し続けました。情を放下し、この関を乗り越えた時、心が澄んだ水溜まりのように穏やかになりました。

 刑務所の独房で迫害を受けたある日、私は『再認識』を午前中ずっと暗記し続けていました。暗記しているうちに、自分の魔性を見つけました。そして、刑務所の警官がセーターと毛糸のパンツを持ってきてくれました。

 数年前、協調人との間にトラブルが起きました。協調人と隔たりがあることは邪悪にとって一番うれしいことだと知りながらも、内に向けて探した後、やはり自我と自分を実証する心を捨てられず、心が穏やかでなくなり、嫉妬心、恨む心、悪念、魔性、自分が正しいなどの党文化がすべて出てきました。6時の正念を発した後、師父の『誰が是 誰が非』を暗記しました。数時間暗唱した後、体のたくさんの悪い物質が師父に取り除かれたと感じました。協調人の家に行って、内に向けて探したことと、自分の次元での法に対する理解を共有すると、協調人も内に向けて探し、隔たりを取り除きました。

 子供への情を放下できない時は、「言っておきますが、ちっとも大事ではありません。そればかりに気を取られると、執着心になります。大事に思いすぎると、執着して追い求めたくなるのではありませんか?」[2]という師父の法を何度も何度も暗唱し、着実に自分を修めました。

 刑務所から帰宅した時、経文『弟子の偉大さ』を暗記しました。師父は「着実に、しっかりと歩んできた一歩一歩はみな、光り輝く歴史の証であると共に、比べるものがないほど偉大なる威徳なのです。この一切が、みな宇宙の歴史に記されることでしょう」[3]と説かれています。どのように着実に、正しく修煉の道を歩めるでしょうか?  自分は法を学ばずに人を学び、資料を配ることが修煉だと思い込み、学法と発正念を重視していなかったことが、迫害を受けた原因であると分かりました。その後、『法輪功』から始まり、順番に多く説法を学び、一通り読んでから、また最初から体系的に学ぶという形で、毎日『轉法輪』を勉強した後、師父の説法を勉強するようになりました。

 徐々に法理をしっかりと理解できて、何かに遭った時や、全体的に発生した問題についても、師父の説法の中からどうすればいいかを知り、師父が按排して下さった修煉の道の玄妙さを感じました。時には、困ったことがあり、師父の説法を勉強していくうちに、自分が困っていることに触れ、その次元の法理を示して下さいました。

 三、発正念の体得

 刑務所に拘禁された時、L同修は暗い独房に閉じ込められました。L同修は意志が非常に固く、殴られても罵られても決して修煉を放棄しません。私は同じ監室の同修と話し合い、L同修のために一緒に発正念をすることを決めました。間もなく、L同修は暗い独房から出ました。そして、L同修は「お二人が私のために発正念をしてくれたのが分かりました。三人姉妹の夢を見て、私は末っ子で、2人のお姉さんが一緒に上に押し上げてくれました」と教えてくれました。これは、師父が同修の口を借りて夢で教えてもらい、発正念を重視するように励まして下さっているのだと分かりました。

 ある年、他の都市から来た同修は現地の数人の同修と一緒に連行されました。私たち数人は朝8時から昼の12時までずっと発正念をしていました。最初はなかなか大変でしたが、発正念の最後になると美しい山や水の景色が見えてきました。後になって知ったのですが、その日に他の都市から来た同修は事もなく帰宅したそうです。

 ある時期、警官らが同修の家に行き法輪功の書籍を押収する事件が多発していました。私は他の3~4人の同修と一緒に発正念リレーチームを結成しました。こっちの2人が発正念をする時に、ほかの2人は学法し、そっちの2人が発正念をする時に、こっちの2人は学法するという形で、約1週間以上続けました。発正念リレーを始めた日から、私たちの地域では長い間警官による法輪功の書籍を奪う事件が発生しませんでした。

 刑務所から帰宅して間もない頃、私服警官に尾行されました。家に帰ると、恐怖心が出てきました。内に向けて探してみると、たくさんの執着心が見つかりました。そして、毎日多く法を勉強して、高密度に発正念をし、時には2~3時間連続して正念を発していました。3~4日後に、師父が多くの悪い物質を取り除いて下さったことが分かり、自分の体と空間場の全体が清らかで透明になり、邪悪が解体され通常の生活に戻りました。

 私が定年を迎えた時、退職業務を担当した職員は、私の場合は退職が認められないと、書類を見せてくれました。私は「弟子は法を実証し、しっかりと三つのことをしたいのです。弟子がスムーズに退職できるように」と師父にお願いしました。 半年の間、ずっと内に向けて探し、発正念をしました。ある日の午後、「師父が与えて下さった神通力を使って、すべての空間の退職を妨害する邪悪な生命と要素を取り除く」と発正念をし、師父に加持をお願いしました。30分後、突然携帯が鳴り、退職手続きをしてほしいと言われました。改めて大法の威力を感じました。正に師父が仰ったように「修は己にありて、功は師にあり」[2]でした。

 ある日、同窓会の帰りに、急に乗り換えが必要になりました。私のカバンの中にはまだ未配布の資料が入っていて、同級生や先生のカバンの中にはネットを突破するソフトや『共産党についての九つの論評』があります。私は「検査の時に、検査員が他のことをし、ベルトコンベアが動かないように」とずっと発正念をしました。その結果、検査口のベルトコンベアが本当に止まり、検査員2人が世間話をしていて、無事に通過できました。

 発正念の状態が良い時には、呼吸が止まっているように全身がエネルギーに包まれている感覚になります。師父の加持の下で、その正念の力は山を割ることができるほどのパワーを感じました。

 四、 苦しみを楽しみとする

 法輪大法を修煉した後、10代の頃に経験した苦難が私の人生の貴重な財産であることに気付きました。その苦難は私の業力を多く取り除いただけでなく、強い意志を錬磨することもでき、衣食住に対して淡々といられるような性格になりました。

 刑務所から帰ってきたばかりの時は、旧勢力による経済的な迫害がまだ解体されていないころ、お金と時間を節約するために、昼にはほとんど冷たい饅頭、白菜と味噌だけで、食べながら同修の文章を校正していました。経済状況が良くなった今、私は饅頭と果物、たまにビスケットを食べています。夫が家にいない時は、簡単に食事を済ませます。去年のある日、家に来た同修は私の昼食を見て、「この昼食はキャットフードよりも酷い」と言ったことがあります。その時、2人は笑いました。

 数年前、『轉法輪』を暗記するのに、長時間取れないので、料理をしている間に暗記していました。安逸心を取り除くために、ベッドを壁から30センチほど離して置き、ベッドの上に布団を置かないようにし、そうすると、掛け布団にもたれる機会がなくなります。夜、ソファに座って発正念をした後、ついリラックスして怠惰になってしまうこともありました。それに気づいた後、床に座って発正念をするようになりました。

 五、法のためにこの世に来た

 修煉の道がどんなに難しくても、苦しくても、師父は逆らって進み、勇猛精進するようにといつも励まして下さいます。大きな難関に遭遇することもあれば、人を救うのに忙しくて分身ができるといいなと思う時もあり、時にはもう限界で倒れそうになるほど忙しく感じたこともありました。その時、心の中で「弟子は必ず乗り越えられる」と言い、師父の加持をお願いしました。また、師父の法「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[4]を何度も暗唱しました。

 私は他所で稼ぐ仕事を断りました。三つことをしっかりと行うため、週2~3日の勤務を選びました。「私の人生は大法のためにあるのだから、どんな時であろうと大法を第一に考えるのです」と同修と何回も交流したことがあります。

 同窓会の時、刑務所から帰って数年も経っていないので、そんな多額の参加費も出せない状況でした。私は両手を合わせて、「弟子は人を救いに行きたいので、どうかこの問題を解決してください」と師父にお願いしました。すると、本当に驚きの結果となり、無事に同窓会に出席し、先生と一部の同級生に「三退」させました。ある先生は観光地で「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。後日、同級生の一人が「先生と一緒に『法輪大法は素晴らしい!』を叫んだ」と言ってくれました。

 他所で稼ぐ仕事を断った当時、子供の大学教育費や、卒業してからマイホーム、結婚することにも直面していたので、山のようなプレッシャーを感じました。 最後に、稼ぎに行かず、師父が按排して下さった衆生を救い済度の道を選択しました。自分の修煉の道を正しく歩めば、最も良い結果になると信じていました。実際には、子供は卒業した後、家も車もあり、年収も低くありません。

 時々、プレッシャーの中で大法を実証する時、旧勢力が一連の偽りのことを演化して、それをすると迫害されるような錯覚を与えたこともあります。このような状況で、個人的な損得を第一に考えてしまうと、後退してしまうかもしれません。人を救うことや大法を実証することを第一にすれば、師父は加持して下さいます。その時、自分は法を暗記しながら旧勢力を否定し、前に進みました。 すると、師父は、私の恐怖心、自己を守る心、自我第一の心などを取り除いて下さいました。 その時点で「柳暗花明又一村」[2]の奇跡が現れます!

 改めて慈悲で偉大な師父に感謝いたします。修煉の道を正しくしっかりと歩めるよう加持して下さった師父に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著書:『精進要旨』「真修」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の経文:『弟子の偉大さ』
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」

  (明慧ネット第17回中国大法弟子修煉心得交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/18/415006.html)
 
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