13年間拘禁された姜允敬さん 再び連行される
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 【明慧日本2020年1月14日】黒竜江省鶴岡市の法輪功学習者・姜允敬さん(53歳男性)は法輪功を学んでいるという理由で13年間にわたって迫害を受けた。2020年12月11日から13日までの間、再び市公安局工農支局の紅旗路派出所の警官に身柄を拘束され、鶴岡市留置場で拘禁された。連行に加担した警官は判決を下してやると脅した。

 姜さんは迫害される前、ジャムス鉄道江口公務段の宝泉嶺区で働いていた。中国共産党(以下、中共)による法輪功への21年間に及ぶ迫害の中、姜さんは13年間拘禁されていた。

 一、より良い人になることを教わった

 姜さんはかつて胃炎、胃腸炎などの病気を患っていた。1998年の春、小腸の摘出手術を受けた後、身体は極めて衰弱し、50メートルを歩くだけでも虚脱状態になってしまった。また、生もの、辛いもの、冷たいものを食べると、お腹を壊す始末であった。闘争心の強い姜さんは忍耐できず、時には人と喧嘩もした。身体が弱くて仕事にも影響が出た。担当の区間を最後まで巡回できず、サボったり、車に乗ったりした。

 法輪功を学んだ姜さんは心身とも大きな変化があった。わずか3カ月後、どんな物も食べれるようになり、病気も完治した。健やかな気持ちで毎日を迎え、健康な人よりも活気があふれた。同僚から見ても、姜さんはまるで生まれ変わったとようだったという。

 姜さんはすっかりと変わり、「真・善・忍」の教えに従い、より良い人になることを目指している。職場でコツコツと働き、利益の争いもしなくなった。線路の巡回も、周りがサボっても姜さんは真面目に徹底的にやりきった。職場の人達は姜さんの変化に驚き、聞いてみると法輪功を学んでいるためだと分かった。

 二、不当に連行される

 1999年7.20、江沢民グループによる法輪功への迫害が始まった。姜さんは同年7月23日、法輪功の無実を伝えるために上京した。しかし、天安門広場で身柄を拘束され、鶴岡市駐北京事務所に連行された。その後、皆の前で手枷を掛けられながら、鶴岡へ向かう電車に乗せられた。当時、迫害に加担したのは鶴岡市興山区の副区長、嶺北派出所の副所長および姜さんの職場の人達だった。姜さんは15日間拘束されてから家に戻された。

 しかし、法輪功を学び続けているという理由で、姜さんは再び身柄を拘束され、嶺北派出所で拘禁された。その後、市第二留置場に「保証書」(法輪功の修煉を放棄させるために、強制的に書かされる書類)を書くことを強いられたが、断ったため、冷たいコンクリートの床に座らせられ、9日間、昼夜にわたって睡眠を禁じられた。姜さんの優しい行いは留置場の周りで尊敬されたため、リーダーに選ばれた。それ以降、新しい囚人への虐待がなくなり、囚人同士も平和になったという。

 三、労働教養処分に

 その後、姜さんは鶴岡市労働教養所で2年間拘禁された。冬には凍った白菜のスープを飲ませられ、建築現場で重労働をさせられた。現場に行かない日は1日2食しか提供されず、満腹にならなかった。現場に行く日だけは3食だった。また、煉功を禁じられ、転向しないため、囚人に虐待され、四肢を床に伸ばされ、強く殴られた。その結果、臀部が黒紫色になってしまい、血圧も異常になり、上が30で下はなくなった。同じ時期に迫害されたのは、趙豊会さん、趙喜増さん、楊永英さん、宮貴東さん、孫士洪さんらである。

 このようにして1年後、姜さんが解放されるまであと数カ月という時、再び綏化労働教養所に送られ、毎日洗脳された。姜さんは2カ月の労働教養処分を延長されてから解放された。しかし、当時70歳近くだった姜さんの父は脅され、心労で脳血栓になり他界した。姜さんが迫害されていた期間、母親は毎日泣いていたという。

 溝南派出所の所長・張が興山区金区長の命令で、家で一泊した姜さんを15日間拘束した。姜さんは断食で迫害に抵抗し、重体に陥ってから家に帰された。

 四、囚人らも法輪功を学び始めた

 2002年3月、鶴岡市公安局、興山支局の警官は宝泉嶺にある姜さんの職場で姜さんの身柄を拘束した。姜さんは途中で脱出でき、半年の放浪生活をしていた。同年9月、鶴岡市興山支局の警官、興山支局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)に再び連行された。姜さんは興山支局に連行され、両腕を後ろ向きに縛られて床に倒れたまま、革靴で蹴られ、殴られた。ほぼ呼吸できなくなるまで暴力を振るわれた。

中共酷刑示意图:殴打

中共による拷問イメージ図:殴打される

 姜さんは手枷をかけられながら、鶴岡市第一留置場へ連行された。その時、姜さんと同伴の劉玉英さん、韓英さんらから離され、単独の部屋で迫害された。会議室で足かせ、手枷を掛けられた状態で下の写真のように鉄棒で両足を離して縛られた。姜さんは取り調べられた時、さらに吊るされ、手枷が肉の中に食い込み、辛くてたまらなかった。

酷刑演示:戴铁支棍

拷問のイメージ図:鉄棒と枷

 姜さんは6日間鉄棒と手枷、足枷をかけられた。その後、牢屋に戻されたが、毎日警官に殴られた。警官は姜さんのあばら骨に向けて殴り苦しめた。姜さんは少なくとも3カ月足枷をかけられた。7日間断食で抗議し、やっと足枷を外された。しかし、断食の期間中、高濃度の塩を入れたトウモロコシのスープを灌食され、胃袋がやけるほどヒリヒリした。

中共酷刑刑具:手铐脚镣

中共の拷問器具:手枷と足枷

 姜さんと同じ牢屋の多くの囚人達は法輪功の素晴らしさがわかり、一人の囚人は「法輪大法は素晴らしい」と叫び、他の囚人らも一緒に叫んだ。また、囚人の中で法輪功を学び始めた人がいた。ある強盗犯は煉功をしたという理由で1カ月鉄棒で足を離して縛られ、手枷と足枷を掛けられた。そのうちの半月、手を足まで伸ばされて手枷を掛けられた。この囚人は「僕は以前悪い人で罪を犯しましたが、今、改心したのに、どうして迫害されるのですか」と聞いた。この囚人は冷たい床に座らせられても法輪功をやめず、さらに15日間延長された。

 五、13年間拘禁される

 2003年の初め、鶴岡市興山区公安支局、検察庁、裁判所は姜さんに対して懲役13年の不当な判決を宣告した。同年9月、姜さんは香川集中訓練隊に連行され、朝から晩までグラウンドの修理の仕事をさせられた。食事は饅頭1つ、漬物1つ、塩水1杯、おかずと青野菜もなくて全く満腹にならなかった。

 その後、姜さんは牡丹江刑務所に移送され、洗脳を受けた。13年間、姜さんは苦役の仕事と囚人のように扱われることを拒否した。極めて狭い、暗い、湿度が高い、トイレと一緒の空気も悪い部屋に毎回、15日間、合計4回も拘禁されたことがある。そのうちの2回は姜さんの両手は足枷のところに掛けられ、さらに地面のリングに掛けられた。そのため、腰がまっすぐになれず、毎日曲がって座ったまま過ごしていた。

中共酷刑示意图:手铐脚镣

中共による拷問のイメージ図:手枷と足枷

 姜さんへの迫害は家族にも大きな苦難を与えた。妻は7歳の息子と大変苦労をし、息子は心に大きなショックを受けた。

 2015年7月、13年間にわたって刑務所で迫害された姜さんは刑期満了となった。しかし、鶴岡市興山区610弁公室、興山支局の警官らは姜さんの弟と妹を騙し、サインをさせた。その結果、姜さんは刑務所から鶴岡市の洗脳班に移送され、毎日法輪功を誹謗中傷する動画を見せられ、感想文を強要された。張子龍によって顔、胸に電気ショックを受けた結果、顔が腫れた。それから1カ月半後、姜さんはやっと解放された。

酷刑演示:电棍电击

拷問のイメージ図:電気ショックを加えられる

 六、結び

 2020年12月11日から13日まで、姜さんは鶴岡市公安局工農支局の紅旗路派出所に身柄を拘束された。姜さんは手枷を掛けられ、採血と健診を受けさせられた。その後、市留置場で拘禁されている。警官らは姜さん宅のアンテナなどの私物を押収し、判決を宣告すると言いふらした。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/1/10/418341.html)
 
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