学習者を迫害する広東省「法制教育所」の罪悪(二)
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 【明慧日本2021年2月11日】(前文に続く)

 灌食

 ◎梅州市梅江区の羅東昇さんは、2011年2月18日、梅州留置場から三水洗脳班に連行された。三水洗脳班に拘禁された5カ月の間、羅さんは計60~70日に及び断食して迫害に抗議した。警官らは3~4日おきに灌食を行い、プラスチックのチューブを上下に引っ張ったり、左右に回転させたりして、そのたびに羅さんは胃酸を大量に吐いて、全身に痙攣を起こし、大量の血を吐いた。ある日、警官は羅さんの鼻から一塊の肉を引っ張り出した。当時40歳だった羅さんは、体重が35キロにまで落ちた。

'酷刑演示:灌食'
拷問の再現:灌食される

 点穴

 一般的に、武術界の中で武道家は注意を払い、点穴は怪我や死に至る可能性があるため、点穴という技をめったに使わないという。三水洗脳班では、点穴という方法が自由に使われている。

 湛江市遂渓県の楊再さん(女性)は、2003年9月遂渓洗脳班に連行され、2003年末には三水洗脳班に送られ、3カ月間にわたって拷問を受けた。

 「警官と監視者らは直接殴る以外に、私の頭部、心臓、腕の脈などの多くのツボの部位に力強く点穴しました。私は意識を失いそうになり、めまいがして、重傷を負ってしまいました。その時、手足も頭も全身のあちこちのツボの部位が黒くなり、全身が腫れて、顔は黒く腫れ上がり、胃が逆流して食べられなくなり、食べると吐いてしまいました」と楊さんは語った。

 毒薬

 古来より現在に至るまで、極めて陰湿な人だけが他人を毒する。三水洗脳班では、食事に毒薬を入れたり、毒針を注射したりする方法が日常的に行われている。混乱状態に陥った学習者を「転向」させ、もっとひどいのは慢性的に中毒にさせれば、三水洗脳班は学習者が出所した後に死亡するため迫害中の非難から免れることになる。

'酷刑演示:打毒针'

拷問のイメージ図:毒針を注射される

 ◎三水洗脳班に連行された茂名市電白区の女性学習者・梁小霞さん(20代)は、警官が食事に毒薬を混ぜたのを知らなかった。帰宅して間もなく、薬が効いて、梁さんは精神異常になり、フライパン、ガスコンロ、炊飯器、扇風機などの生活用品を全て叩き潰し、おかずを捨てた。家族はため息をつきながら、お金を借りて病院で治療している。

 ◎ 揭陽市恵来県の教師・鄭少卿さん(当時40歳)は、2003年3月に三水洗脳班に連行された。車を降りるとすぐに、三水洗脳班から数人のガッチリした男性が出てきて、鄭さんを精密検査の部屋に連れて行き、身体検査が終わると、長い廊下を渡って番号のある部屋に閉じ込め、硬軟両様の戦術をとり迫害を始めた。 鄭さんは抗議して断食を始めたが、1週間後には強制的に灌食され、一日中テレビの前に座らされて洗脳、恐喝をされた。また、24時間睡眠を許されず、不明薬を投入した食事を無理やり食べさせられたことで、下腹部には耐え難い痛みがあり、ナイフで切られるような感覚がし、全身に汗をかいた。鄭さんは三水洗脳班で拘禁された6カ月間、身体を大きく損傷した。

 ◎梅州市梅県の劉冬娥さんは2007年5月28日、自宅に押し入った数人に地面に押さえられ、彼女は何も言うことを許されず三水洗脳班に連行された。

 劉さんは断食して迫害に抗議した。10人近くの警官は劉さんの手、足、頭を押え付け、無理やりに灌食した。劉さんは靴のかかとで頭、顔、体を殴られ、頭がくらくらして倒れそうになった。その後、警官らは劉さんを精神病院に送り、不明な薬を注射したため、劉さんは頭が腫れて大きくなり、全身の皮膚が黒くなって、目もはっきり見えなくなった。3カ月後、劉さんは帰宅した。

 ◎楽昌市の曹麗萍さんは2018年4月13日、三水洗脳班に連行された。洗脳班で曹さんは見る見るうちにやつれていき、帰宅した後にも以前の元気さはなくなり、記憶も衰え、かろうじていくつかの過去の出来事を思い出すことができた。

 四、迫害され重傷を負い、死亡した実例

 ◎広東省佛山市の女性企業家・呉白梅さん(48)は多くの企業を持っていた。2011年11月9日、呉さんは三水市洗脳班に不当に連行された。当時、呉さんの夫が妻を早く家に連れ戻したいと要求したが、呉さんの案件は中央管轄となり、地方では決められないと言われた。2012年3月27日、呉さんはやっと釈放され、帰宅した。しかし、2日後の29日、呉さんは突如として亡くなった。遺体は唇が青くなり、手の爪、甲は紫色になり、腹部は大きく膨らんだ。

 呉さんは解放された時、顔色は青白かった。28日には胸の痛みを感じはじめていた。29日、呉さんは夫と一緒にスーパーへ買い物に行ったが、突然両足の力が抜け、足を持ち上げることができなくなった。彼女は「私もうダメかもしれない」と言った後、直ちに意識を失った。呉さんは夫に付き添われて病院に送られ、緊急手当てを受けたが、再び意識を取り戻すことはなかった。

 呉さんは当日の夜9時過ぎにこの世を去った。呉さんの母親はすでに80歳を過ぎているが、元気である。年寄りが若者の死を見送るとは、悲しくて、心痛ましいことである。

 ◎江門市立第一中学校の元教師・呉玉韞さん(60代)は、2003年8月14日に三水洗脳班に連行された。三水洗脳班であらゆる拷問を加えられても、呉さんは法輪功を放棄しなかった。そして、警官らは呉さんの食事の中に薬物を投入した。

 呉さんは三水洗脳班で発症し、重体になったため、自宅に戻され治療を受けたが、 2004年9月に亡くなった。

 ◎広東省交通庁の退職幹部・楊雪琴さん(65)は、2002年8月に三水洗脳班に連行され、非人道的な拷問を受けた。楊さんは十数人に取り囲まれ、洗脳による迫害を受け、数日連続して眠ることを許されず、立ったままの姿勢を強制された。警官らは、錯乱状態に陥った状態の楊さんを「転向」させようとした。2002年9月か10月ごろ、楊さんは迫害されて死亡した。

 ◎広東省掲西県棉湖鎮の温粉華さんは、2004年6月24日、棉湖鎮派出所の警官らに連行され、三水洗脳班に送られた。当時、温さんは出産したばかりで、家族が再三温さんの解放を要求した末、翌日、ようやく一時的に解放され帰宅した。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/6/419593.html)
 
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