学習者を迫害する広東省「法制教育所」の罪悪(三)
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 【明慧日本2021年2月12日】(前文に続く)

 2005年5月30日、掲西県政法委員会副書記の陳紀華、公安局の林少鑫ら十数人が、「子供が1歳になったので、三水洗脳班に送らなければならない」と温さんを連行した。

 2005年6月17日の夜10時ごろ、住民委員会の関係者は、温さんの夫・楊映鵬さんに連絡し、温粉華さんが帰ったのでドアを開けるように言った。夫の楊映鵬さんがドアを開けて妻を迎えようとしたが、庭に妻の姿はなかった。関係者が「温粉華は車の中にいる」と言ったので、夫は車の中に入った。車の中では女性が、温さんが倒れないように面倒を見ていた。びっくりした夫は、何回も妻の名前を呼んだが、温さんは弱い声で「うん」と1回返事をした後、車の背もたれにぐったりとなり、少しも動かなかった。そして、夫が妻の状況を見ている時、男性2人と女性1人に支えられた温さんは家に入った。

 夫が、「なぜ妻がこのようになってしまったのか?」と聞いたところ、関係者は「断食したから」と答えた。この時、温さんは、「私、断食しなかった」と言った。警官らが温さんの身体から手を離すと、温さんは体力がなく、自分の身体を支えることが困難な状況であった。警官らは慌てて帰ろうとした時、夫は近所の人たちを呼んで、「元気だった妻がなぜ今、このようになったのか」と警官らに問い詰めながら、懐中電灯で一人一人の警官を照らし、村人たちに一人ずつ見せた。 村人たちは「楊映鵬さん一家は皆正直でおとなしく、どうしてこのように迫害されたのだろうか」と言った。警官らは何も言わず、車に乗り込んで走り去った。

 温さんは、手や腕などに多数の注射された針の痕があり、青くなっていた。腿には傷が多数あり、ある所には血が滲んでいた。温さんは両目をきつく閉じて、寝返りも出来ず、大小便は完全に人に頼らないと出来ない。また、温さんの状況から見ると、不明な毒物を注射された可能性が高い。

'温粉华被洗脑班送回家时身上有多处伤痕'
洗脳班から帰宅した当時の温粉華さん

 

 ◎広東省湛江市麻章区の小学校教師・陳少清さん(女性)は 2007年3月9日夜7時頃、数台のパトカーに乗ってきた610弁公室の人員と大勢の警官に連行され、湛江市の法制学校に送られた。そこで、迫害を受けた陳さんは歩けなくなった。

 

 2007年4月22日、陳さんは三水洗脳班に移送された時、すでに立ち上がることができなくなっていたが、三水洗脳班は平気で受け入れた。その後、陳さんの病状は日に日に悪くなり、佛山人民病院で検査を受けたところ、肝臓がんの末期であることが判明した。責任を逃れるため、洗脳班は2007年4月30日に、陳さんを迎えにくるようにと麻章区610弁公室に通知した。

 

 (完)

 

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/6/419593.html)
 
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