22年圓満に描けない「家」(三)
■ 印刷版
 

 【明慧日本2021年2月19日】(前文に続く)

 綏芬河のヤクザの親分は、第6区刑務所の「大雑」(受刑者総監)をしていた時、父親・于宗海と一緒に字を学び、良い字が書けるようになり、性格も穏やかで善良になり、世話をする人がいない受刑者を助け、正義を主張する勇気を持ち、300人以上いる監区を管理し、全ての刑務所の中で最も礼儀正しい監区にし、「仁義親分」と呼ばれた。しかし、警官の管理方法は、受刑者に人を懲らしめさせることで、610弁公室・主任がこの監区を担当することになり、「仁義親分」を帰してしまった。多くの受刑者は出所後、「このような親分はもういないだろう」と思った。当然ながら、悟性の良い受刑者も少なからずいて、大法の法理に賛同し、また大法の修煉に入った人もいた。大法に善をもって接した受刑者は皆、良い応報を得た。しかし、迫害に積極的に参与した人は皆、良い結果にならなかった。当然ながら、これは学習者が望んだことではない。

 良心を持たないようにと子供に教える汚職役人もいれば、人を信じないように子供に教える富豪もいる。銘慧の両親は「真・善・忍」に従うように教えた。父親の負傷を目の当たりにした銘慧の目に、警官への怨みが現れたのを見た父親は、彼女に、「永遠に人の良い一面を見て、光明を仰ぎ見るように。警官にも不本意なこともあり、彼らを怨まないように」と教えた。

 父親はかつて鉄格子の窓から、大学入試に挑む銘慧に申し訳なさそうに言った。「こども、お父さんは君に何も手伝ってあげられない」。銘慧の目はすぐに大きく開いて、手を振って笑いながら言った。「お父さん、そんなことはないよ!」、「お父さんは私に最も貴重な宝をくれた、精神の財産だよ!!」と言った。両親の数々の苦しみを見て、その変わらない誠実さ、善良さを見た。まるで蓮の花のように、泥から出ても染まらず、乱世に清い香りを放ち、金剛のように純粋で美しく、堅固で破壊できないものだった。

 彼女はこんな両親を持つことを無類の誇りに感じた。

 五、困難に満ちた再開への道

 銘慧はすでに、まるまる10年も父母に会えていなかった。中国国内の刑務所の接見室で、銘慧は父親に母親の状況を報告し、母親には父親の状況を報告した。父親はいつも、「私は結構いいとお母さんに伝えて」と言い、母親は、「私は結構いいとお父さんに伝えて」と言った。

 出所した母親は、父親を見に行った。時に会えて、時には会えなかった。会えたとしても、父親の面会はいつも最後だった。11時半に面会が停止されるため、母親は早くから行って、順番を待った。父親は11時にやっと出てくるときもあり、ほとんど話せず、ガラスの向こうで一目見るだけの時もあった。どれだけ話があっても、彼らは必ず「こども」の話になるのだった。

 銘慧が大きくなっても、彼らは名前で呼ばず、まだ彼女を「こども」と呼んだ。家族3人は20年経っても、一つ屋根の下に一緒に揃うことはできなかった。

 一家の最後の団らんは、2001年だった。不当に指名手配された父親は、長期間家に帰れなかった。ある日、銘慧は母に連れられ牡丹江畔の川辺に行った。突然、1人の見覚えのある人影が来た。銘慧は喜んで駆け寄って、父親の手をとり、顔を父の身体にこすりつけた。それは、1人のおばさんによる善意の配慮だった。それは銘慧にとって、永遠に忘れられない幸せな記憶になった。父がいて、母がいて、牡丹江があった。

 銘慧は両親を自分の側に呼び寄せ、家族が集まり団欒することを夢見た。しかし、パスポートを申請しに行った父母が聞かされたのは「あなたたちはパスポートを発行出来ない、出国できない」だった。

 両親ともに公務員を解雇され、生計の糧を得られないまま60歳を過ぎていた。銘慧は学業を維持するため、いくつかの仕事をして少しのお金を絞り出し、父母に送っていた。母親は老人介護の仕事をみつけた。父親は数人の生徒に絵を教えた。一部の追納金を払った後、2人はついに、毎月1000元以上の社会保障費で、質素な生活を維持することが出来るようになった。

 2019年、中共は再び全国範囲で、学習者に対する運動を開始した。いわゆる「ゼロ運動」である。留置場と居民委員会を配置し、学習者本人と家族に圧力をかけ、信仰を放棄する「保証書」を書くよう要求し、大規模に学習者に嫌がらせをした。銘慧の父母は故郷の牡丹江を離れ、ハルビン市へ行った。

 2020年11月23日、母親・王楣泓は、ハルビン市・学府書店内の哈西派出所の警官により不当連行された。これは母親にとって4回目の不当連行だった。現在すでに行政拘留から逮捕許可になり、罪に陥れられた母親の案件は検察庁に引き渡された。ハルビン市・南崗区の国保警官が言うには、「母親が信仰を放棄し、保証書に署名すれば釈放される。そうしなければ実刑判決をうけるだろう。法輪功に対しては一律にこうだ」と明言した。

 母親・王楣泓が、最初に不当連行されたのは2001年の夏だった。父親・于宗海が労働教養された後、状況を報告するため陳情受付室やラジオ局に行ったことで、5万元の賞金で指名手配された。警官は父親を捕まえられず、母親と父方姉妹の于真屏を捕まえた。2人は留置場に不当連行され、拘禁された。父親が9月に逮捕されてから、母親はハンガーストライキをして、父方姉妹の于真屏と共にやっと解放された。

 2003年、2回目の不当連行で、不当判決11年を下された。出所してから、同修と一緒に3回目の不当連行をされた。現在、母親はハルビン市第二留置場に拘禁され、すでに3カ月が経つ。

 銘慧の記憶の中の母親は、目がとても綺麗で、特別に輝いて見えた。

 4000gで生まれた銘慧は幼い頃、父の身体が良くなかったため、母親が銘慧を背負って忙しく仕事をした。背中に太った赤ん坊を背負い、石炭を持ち、衣服を洗濯した。銘慧が幼稚園に行きだしてから、母親の自転車には小さな椅子がついた。それは銘慧の「宝座」だった。母親は朝に家を出て、夜に帰宅した。

 小学校に上がってからも母親が送り迎えをし、課外班のときも母親が送り迎えをした。銘慧は絵を習い、楽器を習った。とても重いアコーディオンを、痩せた母親が背負って歩き回った。一言の愚痴も母親は言わなかった。

 銘慧が自分で受賞して獲得した小さなパソコンを、同級生のプラスチックブレスレットと交換したとき、母親は微笑むだけだった。

 銘慧が中学一年生の時、同級生の父母が離婚し、学費を払う人がいないために中退を余儀なくされ、銘慧は自分が貯めたお小遣いとお年玉を全て持ち出した。母親は喜んで笑った。

 父親の言葉を借りれば、母親はとても質朴な人だった。自分に対しては気を使わず、化粧やオシャレをしない。人から頼まれれば、大いに全力を尽くす。特に修煉してからすぐに真・善・忍の中に溶け込んだ。他の人は、法の要求に従ってどのように良い人になるかから始めるが、母親は清風流水のように、自然に無私で善良が現れた。

 例えば1999年、母方の祖父が母に、二つの切手アルバムをくれた。多くの貴重な切手があり、値段にすると50万元を超えた。父親が鑑定してもらうため、仕事に持って行った時どこかへ消えてしまった。知っているのはただその人1人だったが、しかしその時、その人の妻は病気に罹っていた。再三考えて、父親は母親の様子を見ながら言った。「警察に届けないように出来るかな。警察に届けると、その人は10年以上の実刑になり、家庭が破壊されてしまう」。母は平凡に一言「いいですよ」。以降、この事を持ち出すことは無かった。その当時、小さな町では、数万元で一つの建物が買えた。

 また、1人の同修が迫害により、身体に不正常な状態が現れた。潰瘍、吐瀉、汚物はひどい悪臭だった。母親はまるで何も見ていないように、何も匂っていないように、穏やかに世話をした。それからその同修がもう駄目になりそうな時、父親は言った。「我々が迎えてお世話していいかな?」。母親は簡単に「いいよ」と言った。

 刑務所から帰って来た母親は、節約のため、市場の閉店時間まで待ってから野菜を買いに行き、人が選び残した野菜を、1元で一山購入した。衣服はしょっちゅう同修から貰ったものだった。ある同修は生活の源がなく、母親は何を買っても、彼女のことを覚えていて彼女の分も買った。誰かが困難だったり、仕事を必要とする人がいると聞くと、母親はポケットに幾らあっても全て取り出した。これが銘慧の母親である。

 父親はこの家に色彩を与え、母親はこの家に温かさを与え、銘慧はこの家に楽しさと無限の憧憬を与えた。いつになったら、この家は、本当に再開できるのだろうか?

 牡丹の花を咲かせて

 中国の北方
 ある小さな町で
 花に水を 水を花にあげて
 牡丹江 牡丹江
 銘慧の一家が住んでいる

 母は高級技師
 父は絵を描く
 一家は真・善・忍を信仰し
 仲睦まじく時を過ごす

 父が冤罪で監禁され
 母は牢屋に入り、
 天が崩れたように家が無くなった
 12歳の女の子は
 どのように成長するのか

 屈服しない父
 殴られ肋骨を折って 歯が無くなった
 生きて帰って来られた
 堅固な母
 鉄椅子に座らされ 拷問を乗り切り
 髪が白くなる

 素晴らしい小さな銘慧は
 遠く離れた父母を待つ
 紅魔の鉄格子がまた一回
 自由を遮断する
 寒い冬がまた一回
 雪花が揺れる

 善良な人々よ
 私と一緒に証人になろう
 人間の本性の高貴さ
 真理の貴重さ
 善良な人たちよ
 私と一緒に呼びかけよう

 牡丹の花を咲かせよう
 母が家に帰れるように
 牡丹の花を咲かせよう 
 母が家に帰れるように

 (完)

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/6/419582.html)
 
関連文章