ドイツ人女性が17年間、週末にケルン大聖堂前で活動する理由
■ 印刷版
 

  【明慧日本2021年2月27日】(ドイツ=明慧記者・雪莉)ドイツ西部のライン川沿いにある歴史と文化の街ケルンには、観光客にとって必見の観光スポット「ケルン大聖堂」がある。2003年から、大聖堂前の法輪功活動拠点に背の高いドイツ人女性が現れる。彼女は17年間、中国からの観光客に根気強く法輪功迫害の真実を伝え、三退を勧めている。毎週末になると天候に関係なく彼女の姿を見かける。

 彼女にはドイツ人特有の真面目で堅苦しい雰囲気は見られない。彼女はいつも親切で気品ある笑顔を絶やさず、その瞳からは思いやりが溢れ、人の気持ちがよく理解できる人物である。

'图:德国北威州旅游胜地科隆大教堂广场上的法轮功学员集会中,碧尔姬特发言揭露中共迫害。'

ケルン大聖堂の前で法輪功迫害の真実を伝える、学習者のビルギットさん

 彼女の名前はビルギット。60代で20年前に法輪功の修煉を始めた。絶望の中にいたビルギットさんは新たな人生を歩み始め、真の自分を見つけた。長年の真相伝えの中で、観光客と長く会話している彼女からは、数十年間、話すことが苦手で内気で人見知りで、深刻な心理的問題を抱えていたとは、誰もが想像できない。

 彼女の物語は、少し前、ケルン大聖堂の前で偶然の出会いから語り始めなければならない。

 ケルン大聖堂の前で偶然の出会い

 週末のある日、ビルギットさんは近づいてきた観光客に挨拶をしたが、相手は返事をしてくれなかった。彼女は、中国人観光客の緊張した態度に不安を感じ、立ち止まり、優しく微笑み、彼の返事を待っていた。その観光客は躊躇して、彼女を見上げて周りをざっと見渡した。広いケルン大聖堂広場の観光客は、2人に気づかないかのようだった。そして彼は小さな声で、「人に見張られていない場所に行きませんか」と聞かれた彼女は、「分かりました」と迷わず答えた。

 2人は近くにある喫茶店に入った。30分の間に、彼はビルギットさんに多くの質問をした。なぜ法輪功を修煉するのか。どのように法輪功を知って、誰に煉功動作を教えてもらったのか。法輪功を学んでどのような効果があったのか。健康を取り戻すためにどのくらいの時間がかかったのかなどを聞いた。ビルギットさんはそれらの質問に答えた。 別れを告げる際に彼はまじめに、「ずっと知りたかった問題を、今日、あなたが全て答えてくれました。ありがとう!」と感謝の言葉を述べた。

 ビルギットさんは子供の頃、臆病で恐怖感に悩まされていたが、中国人観光客と喫茶店でコーヒーを飲み、こんなにも意気投合して話ができるとは想像もしていなかったという。

 部屋に閉じこもる女の子

 幼い頃のビルギットさんは母親に怯えながら過ごしていた。何か間違ったことをすれば母親に厳しく叱られていた。成長するにつれ母親からは暴力を振るわれなくなったが、その代わり無視され数日話もしてくれなかった。そこで幼い彼女は、できるだけ静けさを保ち大人の視線から避けるために部屋に閉じこもるようになった。何時間も読書をしたり、音楽を聴いたり、テレビを見たりするのは、彼女の「危険」を避けるための方法であった。 彼女は自分の部屋で、快適で安全で空想的な世界を見つけた。

 10代の頃、ビルギットさんは恥ずかしがり屋で人前に出ることを恐れたりする性格が、自分の人生を困難にしていることに気づき始めた。学校でのテストの成績は良かったにもかかわらず、全体の評価では中ぐらいだった。彼女はいつも間違ったことを言うのを恐れ、授業中に発表しないので、クラスメートや先生からは積極的ではないように見られることが多かった。彼女は特に、スピーチをしなければならない時は緊張していたという。

 絶え間ない恐怖感が、ビルギットさんを不安と悲観に陥らせた。彼女はどんな事にも興味がなく、落ち込んでネガティブになっていた。 25歳の頃から身体に不調が現れ始めた。よく インフルエンザや化膿性扁桃炎に罹り、薬を服用しなければならず、薬のアレルギー症状が起きた。この他、すべての乳製品にアレルギー反応があり、アレルギー性喘息に悩まされ、重度の咳で一晩中安眠できず、昼間の仕事にも深刻な影響を与えていた。

 谷底に陥る

 ある日の夜、目が覚めたビルギットさんは、体中に妙な痒みを感じた。 必死に目を開けようとしても、ほとんど何も見えず、鏡に映った顔は歪んでいて、目が腫れ上がっていた。 全身が赤い発疹に覆われ痒みで耐え切れなかった。 10分ごとに水道の蛇口の下に行き冷たい水をかけて、一時的にかゆみを和らげた。翌日、医師から血管性神経浮腫で、 これは重度のアレルギー反応で、人によっては循環器虚脱や死に至ることもあると言われた。彼女は再び強い薬を飲まなければならなかった。 日常生活が困難になり、恐怖心を悪化させた。 人生に希望が持てず、時には自分は早く死んでしまうのではないかと思ったこともあった。

 心身の状態を改善するために、ビルギットさんは高価な健康食品を食べ、ビタミン剤やサプリメントを飲み、自然療法、ハーブ療法を取り入れた。彼女はスピリチュアリズムを受けるようになり、自然療法や心理学の本を山ほど購入した。彼女はさらにリラクゼーション、呼吸法などの様々な講習会に参加し、一度に何百ユーロものお金を使い、精一杯の努力と希望を抱いていたが、その見返りは度々の失望であった。

 彼らの力はどこから? 

 ビルギットさんは全身に力がなく、極度に衰弱し、人生は谷底に陥り、出口がどこにあるのか見つからなかった。彼女はなぜこの平和的な気功が迫害されているのか理解できなかったが、最も厳しい迫害を受けているにもかかわらず、信仰を貫く法輪功学習者(以下、学習者)の強さに感銘を受けた。

 「この人たちが持っている力が、どこから来ているのかを本当に知りたいと思い、すぐに法輪功について学びたいと思いました」と話すビルギットさん。しかし、法輪功は中国にしかないと思った彼女は、法輪功を学ぶ希望を叶えられないでいた。

 しばらくしてある日、ビルギットさんがケルン市中心部の歩行者天国を歩いていた時、前方に法輪功の横断幕が目に飛び込んできた。彼女は目を疑い、急いで訪ねた。1人の学習者は法輪功が中国で広く伝わっていること、法輪功迫害の事実を伝えた。ケルンでも法輪功が学べると知った彼女は大喜びした。この時の彼女の体は最悪の状態にあった。

  そしてビルギットさんはある学習者の夫婦に連絡した。その夫婦は彼女を自宅に招待した。奥さんは「真の自分を見つけませんか」と聞いた。彼女はこの言葉に感動して涙が溢れ、「この言葉に心を打たれ、このことをずっと探し続け、自分の涙を抑えきることができませんでした」と話した。

 この日、ビルギットさんは学習者と一緒に李洪志先生の1994年広州での説法のビデオを観た。彼女は「師父の言葉から発せられた慈悲が、深く印象に残りました。私は回帰する道を見つけたとすぐ思いました。内心から『真・善・忍』の原則に基づいて生活することを願っていました」と、その当時を思い返した。

 自信を取り戻し師父の教えを心に銘じる

 ビルギットさんはとても感動して、定期的に煉功をするようになり、『轉法輪』を読み始めた。しばらくして、彼女は気力が出ていることに気づいた。 長時間の仕事を終えても、疲れを感じなくなったのである。最初は喘息が治り、その後アレルギーが軽くなり、最終的には治ったのである。 心理的にも元気になったと感じた。人見知りや恐怖心は完全に消えたわけではないが、少し勇気が出て、自信が少し戻ってきて、人前で話すことが苦にならなくなった。

 「法輪大法に出会えて本当に良かったです。私にとって奇跡のようなことで、大法が私に新たな生命をくださいました。 心から感謝の気持ちでいっぱいです」と、ビルギットさんは自分の気持ちを語った。数年が経ち、彼女は感謝の気持ちがますます強くなったという。

 2003年、ビルギットさんと夫のラルフさんは、観光客の多いケルン大聖堂の前で法輪功迫害の真実を伝え始めた。

 法輪大法のすばらしさと修煉の効果を身をもって体験したビルギットさんは、すべての人々、特に中国人に法輪功の素晴らしさと、迫害を阻止すべきだと伝えたいという。

 ビルギットさんは中国人に自然でおおらかに真実を話すことを望んでいたが、しかしその当時、中国からの観光客は、海外で真実を伝える学習者に接触したり、直接話を聞いたり、見たりすることを恐れていた。彼女は目の前に溶けない氷山があるかのように感じ、何十年も続いてきた恥ずかしがり屋と恐怖心が自分を阻んでいるように感じた。ケルン大聖堂から駅までの百メートルほどの道に人が行き交い、彼らに伝えたい言葉は多くあるが、しかし、話せるのは「法輪功迫害の実態を知っていますか?」「法輪功迫害の制止を支持していただけませんか?」だけで、しかも声が小さすぎて自分でさえ聞こえないほどだった。

 試練に屈しない

 2004年夏のある日、ビルギットさんと夫のラルフさんは、一週間の休暇を利用してアメリカを訪れ、マンハッタンの中心部にあるグランドセントラル駅近くで通勤客に法輪功迫害の実態を伝えた。騒々しい人群れの中で彼女はチラシを掲げ、「こんにちは、あなたに伝えたいことがあります……」と言い終わらないうちに、「ノーサンキュー」とエリートサラリーマンたちは通り過ぎて行き、見向きもしなかった。

 ビルギットさんは最初の不安と迷いを断ち切り、自分の語調の速さを調整した。そして人の流れに数歩ついて行くと同時に、できるだけ早く言葉を話すようにした。1日8時間、彼女とラルフさんは水を数口飲んでチョコレートを一口食べるだけで、人ごみの中、冷淡なニューヨーカーに声をかけるが、彼らは走り去り、資料の受け取りを拒否した。

 4日目の朝に目が覚めたビルギットさんは、全身がボロボロになったような感じがした。「今日は行くのをやめましょう」と、彼女は若干絶望的な口調で言った。ラルフさんは、「行こう、真相を伝えに行かなければならない」と言った。ラルフさんは彼女を見ることもなく、冷静な口調ではっきりとした言葉で、疑う余地も残さず言った。 2人は7日間連続でグランドセントラル駅前で数え切れないほどチラシの受け取りを断られ、休暇が終わるまで続いた。

 「私は貴国のすべてを大切にしている」

 ニューヨークから故郷のケルンの生活リズムに戻ったビルギットさんは、地元の人々や観光客に挨拶をし、法輪功の真実を伝えるのがとてもスムーズに出来るようになったことに気づいた。中国からの観光客は、この身長が高くて優しい西洋人女性を避けなくなり、むしろ信頼感を持って接触するようになった。彼女は中国の観光客の恐怖心を理解し慌てず急がず観光客に近づき、「こんにちは」と言ってチラシを手渡している。そして笑顔と誠実さをもって相手の目を見て「中国人は偉大な民族であり、中国人には素晴らしい未来があるべきです」と話している。

 中国人に出会うとビルギットさんは、李洪志先生の言葉をよく思い出したという。「師父は度々私たちに、あるゆる方法で中国人を救うようにと告げられました。中国人の半数以上が中国共産党(以下、中共)の迫害を受けたことがあります。彼らは虚言の中で生活をし、若者はそのような環境の中で成長し、中共は目的を持って彼らの心を変えてしまいました」と話す。彼女は師父の慈悲を常に感じており、内心では中国人に同情している。彼女が中国人観光客によく話している言葉は、「中国人は優秀な民族で、素晴らしい未来があるべきです!」という。自分によく言い聞かせている言葉は、「中国人を救えるようにしなければならなず、中共と一緒に消滅させてはなりません」

 ある日、ビルギットさんはケルン駅に向かう1人の中国人女性に声をかけた。その女性に中共による法輪功迫害の事実を告げた。その女性は急いでいたが、それでも立ち留まり話を聞いてくれた。その中国人女性はビルギットさんに、文化大革命の時期に家族は迫害を受け巨大な苦痛に耐え、最後に殺害されたという。その女性は事の詳細は話してくれなかったが、涙ながらに話してくれた。

 ビルギットさんも悲しくなり、その女性の内心の苦痛を理解でき、実際のところ、中国人が受けた迫害は全てこんなに悲惨で、実際に迫害を受けたことのある学習者から拷問などの残酷さを聞いたことがあるという。

 10年来、中国以外の学習者は弛むことなく各観光スポットで真相を伝えている。ケルン大聖堂の前で真相を伝えている学習者は年中、法輪大法が世界に広く伝わっている写真や、パネル資料、横断幕を掲げると同時に、新聞や雑誌、書籍やDVDなどの資料を配布している。学習者と接触し交流する中国からの観光客がますます多くなっているという。

 ある日、ビルギットさんは展示ブースの近くでしばらく見ていた中国人の若者に気づいた。その若者は一直線に展示ブースに向かって歩いてきた。そして黙って長い時間横断幕を読んでいた。その横断幕の内容は、拷問を受けている学習者の写真と説明が書いてあった。彼女はその若者に近づき、その若者は目線を上げて彼女を見た。ビルギットさんはその若者に、「私は、中国から来た人々を大切にしています。私は法輪功を修煉していますが、法輪功は私の命を救ってくださいました」と話しかけたが、その若者は何も言わずに黙って聞いていた。彼女は続けて「中共は依然として法輪功迫害を続けており、学習者から臓器狩りをして利益を得ています」と話すと、その若者は「中共は非常に卑劣で、あなたたち学習者は真実を語っています」と話した。ビルギットさんは中共が政権を奪った後の残虐な行為や、殺人の歴史を説明し、ネット封鎖を突破する方法が書いてあるカードを渡した。その若者は礼を言ってそのカードをポケットに入れたが、立ち去ろうとしなかった。彼女はその理由をすぐ理解した。そして三退の申込書を彼に手渡した。彼は記入して満足そうに笑顔で立ち去った。

 中国人が真実を求めていることをビルギットさんは理解しており、彼女は中国から訪れる人々に、「嘘や誹謗中傷を信じるのをやめて、自分自身で法輪功迫害の真実を知ってほしい」と願っている。

 週末になると、ビルギットさんはまた、鏡に向かって両手で髪を後ろで束ねて、車に乗り込み、ケルン大聖堂に向かった。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/2/5/400719.html)
 
関連文章