四川省の敬慧玲さん 懲役4年6カ月の実刑を下される
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 【明慧日本2021年3月10日】四川省南充市南部県の法輪功学習者・敬慧玲さん(49歳女性)は、善良で真面目に働く女性であるが、法輪功が迫害されている事実を人に伝えたため、警官に連行された。2019年11月7日と28日、南部県裁判所は敬さんに対して不当に開廷した。法廷で敬さんは「私はUSBを2つ送って、数回電話をかけただけです。どの法律を破ったのですか?」と問い質した。しかし、敬さんはその後、懲役4年6カ月の実刑を言い渡され、先日、成都市女子刑務所に移送された。

 敬さんは南部県農業銀行の職員だった。1996年、敬さんは法輪功を学び始め、真・善・忍に従って自分を律してきた。敬さんは何度も同業界の技能コンテストで賞を取った。善良で親孝行の敬さんは周りの人に品行が良い人だと評価されていた。

 しかし、法輪功の教えである真・善・忍を信念とする敬さんは、2回も労働教養処分を下された。

 2019年3月25日午前、バスに乗っていた敬さんは数人の学生たちに法輪功が迫害されている実態を話した。そのため、敬さんは南部県公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の副大隊長・蒙長軍、警官らに連行された。

 裁判を2回受け 懲役4年6カ月の判決を下される

 国保の警官は敬さんを陥れた。その後、検察庁が敬さんを裁判所に提訴した。検察が出した証拠は、敬さんの携帯電話である。法律の規定により、携帯電話などの特別なものは、差し押さえ、封印、調査の過程で厳しく管理し、その全過程をビデオ録画しなければならない。

 しかし、2019年11月7日、敬さんに対する開廷で、検察が裁判所に提出した「証拠」の携帯電話が送られたとき、封印されておらず、調べるときは立ち合い人もいないし、録画も撮っていなかった。そのため、データが人為的に改ざんされていないとは言えず、検査の結果の真実性も疑わしい。

 2019年11月28日、敬さんは2回開廷された。検察側が簡単に説明しただけで、依然として、携帯電話を調査する際の録画を提供しなかった。

 この携帯電話にはSIMカードも通話記録もなかった。この携帯でかけた通話相手の番号はランダムに生成されたものであり、相手の名前などの情報が全く記載されていないはずである。しかし、公安局は、ソフトウェアの回復で通話記録を取得したと主張し、裁判所に提供した数十ページの通話記録には通話相手の名前などの情報が記載されていた。これは偽造したものと思われる。

 開廷前、蒙長軍が取り調べをする際、言うことに従わなかった敬さんに、「俺は容赦しないぞ。悪報なんか怖くない」と脅した。

 法廷で、敬さんは正々堂々と検察側に「USBメモリを2つ送って、電話を数回かけただけで、どの法律を破ったのですか?」と質問し、検察官は答えられなかったが、「悔い改めず、罪を認めなかった」という理由で、敬さんにより重い刑罰を科すると脅した。 

 敬さんの弁護士は検察が出したいわゆる「証拠」に対して反論し、「今の法律では、市民が法輪功を学ぶことは完全に合法で、法輪功が邪教だと認定していません」と述べた。検察側は反論できる証拠を出せなかったが、「弁護士は不適切な発言をした。法廷で法輪功を宣伝している」と弁護士まで陥れた。

 その後、南部県裁判所は法律に則らず、敬さんに懲役4年6カ月の実刑を宣告した。そして、南充市第一留置場に拘禁されていた敬さんは、先日、四川省成都市竜泉駅区の成都女子刑務所に収容された。

 中国共産党当局が法輪功を迫害して二十数年来、敬さんは何度も拘禁され、洗脳班に連行されたことがあり、2回も労働教養処分を科された。

 懲役1年6カ月の判決を受ける

 2016年6月21日午後4時、敬さんは商売で成都市に行き、借家で休んでいたとき、居民委員会(社区と呼ばれる居住地区を管理する自治組織)の人員と成都市高新区三瓦窯派出所の警官らが家に押し入った。警官は法輪功書籍を見つけたが、捜索令状も提示せず、その場で敬さんの携帯電話、パソコンなどの私物を押収し、敬さんを連行した。7日後、敬さんは不当に逮捕状を発付された。

 その後、証拠不足で敬さんの案件は検察から三瓦窯派出所に差し戻されたが、同派出所の警官は敬さんの子供の携帯電話とパソコン、店の営業用設備、家主が置いている古いパソコンなど、証拠として補うために押収した。

 2017年8月3日、成都市高新区裁判所は敬さんに対して不正裁判を行い、大量の法輪功宣伝品を所持しているとして、敬さんに懲役1年6カ月の実刑を下した。法廷で弁護士は検察官にそれらの証拠を全部出すようと要求したが、主審の裁判官に阻止された。弁護士は法廷から追い出された。

 労働教養所、洗脳班に拘禁される

 江沢民グループが1999年7.20に法輪功迫害を開始してから、敬さんの穏やかな家庭は破壊された。敬さんは当局の政府に法輪功の真実を訴えたが、労働教養処分を科され、勤め先から解雇された。警官は絶えず、敬さんの家へ行き、嫌がらせ、家宅捜索などした。

 2000年6月、敬さんは北京へ行き、法輪功迫害停止を求めたが、労働教養処分1年を科され、資陽市の楠木寺女子労働教養所に収容された。

 2001年10月17日、敬さんは法輪功の資料を配ったとして、再度連行され、労働教養処分1年6カ月を科された。

 2011年5月16日、敬さんは南充市洗脳班に連行され、3カ月拘禁された。洗脳班で敬さんは法輪功への誹謗中傷の宣伝を強制的に聞かされ、洗脳された。

 仕事を失った敬さんは生計を立てるため、いろいろなところでバイトをしなければならないが、南部県の警官が敬さんのバイト先に行き、騒いだり、脅かしたりしたため、敬さんは何度も仕事を失った。

 そのため、迫害から逃れて生計を維持するため、敬さんは成都へ行き、商売をした。商売の経験がなかった敬さんは誠実に商売したため、店の場所は悪く、家賃も高いのだが、うまくやっていた。

 しかし、善良な敬さんはまた、実刑4年6カ月を下された。成都市第一留置場に2年ほど拘禁された敬さんは、成都市女子刑務所に送り込まれたという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/2/421531.html)
 
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