信仰の放棄を拒否した李遊さん 球状に縛られて吊るされる
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 【明慧日本2021年3月11日】広東省英徳市の法輪功学習者・李遊さんは2001年5月3日、警官に連行された。同年7月25日、労働教養2年の処分を受けた。広州市花都赤泥労働教養に収容された李さんは残酷な迫害を加えられ、体を球状にして縛られ、吊るし上げられた。そのため、李さんは腰椎に損傷を受けた。

 1996年10月、大学生の李さんは広州市の華南師範大学で法輪功を学び始めた。『轉法輪』を読んで、李さんは法輪功の教えに基づいて律することが修煉だと分かった。真・善・忍に従って自分に要求した李さんは、善良で寛容で、誠実な人になった。法輪功を学んで半月、広州市中山第三病院で検査を受け、以前、B型肝炎ウイルス検査項目のHBs抗原、HBe抗原、HBc抗体が共に陽性だった李さんは、三つの項目の中の一つが陰性になった。しばらくして、また検査した結果、三つの項目全てが陰性になったという。

 しかし、1999年7.20、中国共産党当局が法輪功への弾圧を開始した。当時、湖北省武漢市で働いていた李さんは7月22日、湖北省政府に行き、法輪功への弾圧停止を求めて陳情した。そのため、7日間拘留された。

 2000年6月下旬、李さんは故郷の学習者たち4人と一緒に、北京へ行き、弾圧停止を求め、天安門広場で「法輪大法は正法です」と書かれた横断幕を開いた。そのため、数人の警官に蹴られたり殴られたりして、広東省の北京駐在事務所に送られ、拘禁された。

 その後、李さんたちは地元に送還され、英徳市留置場に1カ月間拘禁された。留置場で毎日、十数時間の労働を科された。

 2001年1月、地元の警官に絶えず嫌がらせされたため、李さんは地元を離れ、広州市へ行ったが、地元の610弁公室に行方を追跡された。

 2001年5月3日昼、李さんは広州市の住居で広州市天河区沙河派出所の警官に連行された。警官がドアを叩いた時、李さんは連行を避けるため、窓から飛び降りたが、腰と足に傷を負った。

 沙河派出所に連行された李さんは名前を言わなかったため、二つの手錠をかけられ、椅子に繋がれ、警官に皮靴で傷を負った腰椎を踏みつけられ、胸部に雑誌を置かれて心臓に向かって殴られ、1時間ほど暴力を加えられた。

酷刑演示:毒打

拷問の再現:ひどく殴打される

 翌日、李さんの全身に傷だらけになり、特に腰椎の痛みに苦しめられた。2年後、李さんは労働教養所から出たとき、その当時、腰椎が骨折していたことを知った。

 2001年5月3日~7月25日、広州市天河留置場に拘禁され、暴力のせいで負傷した李さんは一度吐血をし、自立生活ができなくなった。しかし、警官は誰かが李さんを介助することを許さなかった。それに、李さんは毎日、十数時間労働をしなければならなかった。

 2001年7月25日、労働教養処分2年を下され、李さんは広州市花都赤泥労働教養所に送られた。教養所で、信仰への放棄を拒否した李さんは毎日、強制的に法輪功への誹謗中傷のビデオを十数時間見せられた。その後、李さんは教養所の工場へ行かされ、奴隷労働を科された。

 しばらくして、警官は、李さんが依然として修煉を堅持しているとみて、李さんを朝から晩まで、体を動かせないよう小さい椅子に座らせた。その間、李さんは数回も広東省三水労働教養所と広州市槎頭女子労働教養所に連れて行かれ、強制洗脳を受けた。

 2002年9月末、教養所側がある部屋を密封した状態に改造し、信仰を放棄しない学習者を入れた。李さんもその部屋に入れられた。部屋には法輪功への誹謗中傷の標語ばかり貼られていて、ベッドはなく、小さい椅子しか置いてなかった。李さんは椅子に座らされ、体を動かすことができず、2人の人員によって監視された。少しでも動くと、暴力を加えられた。トイレ行くのも1日2回だけで、行く途中に他の場所を見ることを許されず、笑うことも許されず、表情を変えることも許されなかった。違反すると、暴力を加えられる。

酷刑演示:拳打脚踢

拷問の再現:蹴ったり殴ったりされる

 2002年9月末のある晩、警官1人と監視役の受刑者4人が李さんを教養所の独房に連れて行き、数メートルの布帯で李さんの体を球状にきつく縛った。それは極度の苦痛で、さらに、その状態のまま吊るし上げられた。李さんは再度、腰椎、両足、両手、頚椎に損傷を受けた。いまだに後遺症が残っているという。

酷刑示意图:捆绑成球形

拷問の再現:球状に縛って吊るし上げられる

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/7/421780.html)
 
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