遼寧省丹東市の高玉蘭さん 12年以上自由を奪われる
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 【明慧日本2021年3月12日】(遼寧省=明慧記者)遼寧省丹東市の法輪功学習者・高玉蘭さんは、中国共産党(以下、中共)と江沢民集団が法輪功を迫害してきた20数年間で、5回連行され、2回不当に実刑判決を言い渡され、計12年9カ月間の自由を奪われた。高さんの家族も中共からの迫害と圧力に耐えていた。

 以下は、高玉蘭さんが述べた迫害の事実である。

 私は高玉蘭と言います、74歳です。1997年5月に法輪功を学び始めました。1999年7月、中共と江沢民集団が法輪功を弾圧し始めました。当時、天が落ちてきたような状況でした。 私は外に出て、法輪功迫害の実態を人々に伝えるべきだと思いました。そのため、何度も連行され、迫害を受けました。

 1999年9月、私は20人近くの学習者と一緒に煉功で煉功していましたが、福春派出所の警官らに連行され、留置場で1カ月間拘禁されました。

 1999年11月頃、私は再び錦江山煉功場に行き、皆で煉功をしていたところ、そこに待ち伏せしていた警官に興東派出所まで連行されました。派出所に入った途端、警官に雑誌を巻いた棒で殴られ、その後、鉄の檻に監禁されました。

 私の戸籍は興東派出所の管轄ですが、現住所は福春派出所の管轄のため、福春派出所の警官がやってきて、私を留置場に拘禁しました。留置場では警官と受刑者らに殴られたり蹴られたりし、1カ月後に解放されました。

 1999年12月、私はもう1人の学習者と法輪功の無実を訴えるため北京に行きました。天安門広場に着いてすぐ、警官に「何をしに北京に来たのか」と聞かれたので、法輪功迫害の件で陳情に来たと答えました。そして、連行されて鉄の檻に閉じ込められました。

 そこには大勢の学習者が拘束されていました。私ともう1人は名前と住所を聞かれました。答えた後、地元の福春派出所に連れ戻されました。当時の福春派出所の警官は私を殴った後、留置場に拘禁したのです。

 留置場に入って2日目、所長は「私は犯罪者の〇〇です」と報告するよう強要してきましたが、自分は犯罪者ではないと思い、言われた通りに報告しませんでした。すると、平手打ちをくらい、1カ月後にようやく解放されて帰宅しました。

 帰宅後、資料を作って配布していました。2000年10月、私は丹東一処の警官らに再び連行され、丹東九江街の1階に収容され、5日間連続して窓の枠に手錠をかけられ、吊るし上げられ、寝ることも許されず、朦朧とした状態に陥りました。その後、懲役5年の実刑判決を言い渡されました。

酷刑图:吊铐

拷問のイメージ図:窓の枠に手錠をかけられる

 留置場では、ある日突然飲食ができなくなり、3カ月ほど下痢が続き、また疥癬だらけになるほど身体に大きなダメージを受け、すでに限界だと感じていました。期間中、4回も刑務所に送られましたが、すべて入所拒否となりました。私は2年以上も留置場で拘禁されたのです。

 2002年10月、私は瀋陽女子刑務所の第3区に移送されました。その日、警官・果海燕はスタンガンを持って30分ほど私に向けて電気ショックを与えました。他の警官は巻いてある紙の棒で私の顔を殴り、2人の監視役がずっと私を見ていて、誰と何を話したかなどを警察に報告していました。警官はまた邪悟者を使って、私を「転向」させるよう説得させ、私の信念を揺るがそうとしました。私は常にプレッシャーの中にいたのです。

酷刑演示:纸棍抽打

拷問の再現:紙を巻いた棒で叩かれる

 2011年7月26日、職場で仕事をしていたところ、侵入してきた3人の警官にパトカーに引きずり込まれ、自宅まで連れて行かれ、書き込みドライブ、プリンター、DVDプレーヤーなどの私物を押収されました。その後、懲役7年6カ月の実刑判決を言い渡されました。

 2012年1月、私は遼寧省女子刑務所に収容されました。警官は私を殴ったり蹴ったりするように受刑者に指示し、長時間立ったままの姿勢を保つように私を強制しました。睡眠も許されませんでした。

 一カ月後、私は第1区6班に送られました。あまりにもひどく迫害されたため、精神的に崩れそうになりました。2016年9月、私は刑務所の病院に送られ、 2019年1月25日、刑務所病院からようやく帰宅できました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/6/421768.html)
 
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