【明慧日本2021年4月18日】(黒竜江省=明慧記者)ハルビン市阿城区(あじょうく)の法輪功学習者・楊成山さん(65歳男性)は、2006年8月18日、地元の警官に連行された。2007年3月、楊さんは阿城区裁判所に懲役12年の実刑判決を宣告された。楊さんは、大慶刑務所で法輪功の信仰を堅持したとして警官に殴られて失明状態になり、目眩に襲われている。2018年8月16日、楊さんは釈放されて帰宅した。
黒竜江省ハルビン市出身の楊さんは、黒竜江省水工第2事業部の元職員である。1997年7月、楊さんは法輪功を学び始め、日常生活のなかで「真・善・忍」の教えに基づき、良い人を目指し、心身共に大きな変化が起こった。
1999年7.20、江沢民は法輪功を弾圧し始めた。楊さんは阿城区裁判所により懲役12年の実刑判決を宣告された。大慶刑務所は、楊さんが法輪功の信仰を堅持したため12年間、留置場と刑務所に拘禁した。
2006年8月18日、阿城区河東街派出所の警官3人は楊さんの家に侵入して家宅捜索を行い、家財を押収した。楊さん夫妻を河東街派出所まで連行し、後に阿城第一留置場に移送した。
2006年9月、楊さんの妻・杜秀琴さんは、労働教養を科され、万家労働教養所に移送された。楊さんは7カ月間拘禁された後、阿城区裁判所に懲役12年の実刑判決を言い渡された。
2007年4月4日、楊さんはハルビン呼蘭刑務所集中訓練隊に移送された。集中訓練隊で君如野という刑務所の警官は受刑者・何岩などの数人に指示し、楊さんに「転向書」にサインするよう強要した。楊さんがそれに応じないため、警官は楊さんを酷く蹴ったり、殴打したりして拷問を加えた。楊さんは足を半月以上引きずっていた。
拷問のイメージ図 |
大慶刑務所での拷問
一、殴られて、一度失明状態になった
2007年5月31日、楊さんは大慶刑務所第一監獄区に移送された。大慶刑務所ではいつも殴打されていた。
拷問のイメージ図 |
2007年8月18日夜、楊さんは刑務官の徐慶に殴られたので、目がみえなくなって、長時間失明状態になり、胸も痛くなった。
二、罵られ、殴られ、食事をさせない
2008年〜2009年10月、楊さんは、常に政治処主任であり後に副刑務所長を務めた李威龍や刑務官らに罵られたり、殴られたりした。楊さんが受刑者の制服を着ないため、刑務官は学習者に食事をさせなかった。
三、鉄の籠に押し込まれる
2010年6月1日,楊さんが刑務所の強制労働を拒否したため、刑務所長・霍偉東、刑務官・姫永剛は3、4人の受刑者を連れて、長さ、幅、高さが1メートルにも満たない鉄製の籠に楊さんを無理やりに押し込み、楊さんの首を捻挫させた。楊さんの首は麻痺し、回復するまで1年近くも頭が曲がったままだった。
鉄の籠のイメージ図 |
拷問のイメージ図 |
拷問のイメージ図 |
四、服を脱がされて凍るような寒さに晒される
刑務官・陸相武は、服に「犯」という字がないことを理由に、受刑者に指示して、楊さん、付文昌さん、王金玉さん、張宝勝さん、王坤さん、張興国さんの服を剥ぎ取って燃やした。中国東北地方の3月の寒さのなかで、学習者6人は裸で外に立たされた。
凍るような寒さに晒されるイメージ図 |