自ら主体的に朝の煉功に参加できるようになった
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文/中国の大法弟子・明析 

 【明慧日本2021年4月28日】私は法輪大法を学んで20年あまりになりますが、自ら主体的に朝の煉功(全世界の大法弟子の集団煉功)に参加したことが一度もありません。この大きな関をずっと乗り越えられていないことに対して本当に悩みました。 

 2006年頃、全世界の大法弟子の集団煉功時間を知った私は、とても感激したことを覚えています。「これは、師父が求めておられることで、絶対やりたい」と思い、身近な同修に「これは師父が求めておられることなので、絶対やらなければいけませんね」と言いました。それから、私とその同修は、毎朝3時40分に、先に起きた方からメッセージを送ってお互い励まし合おうと約束しました。

 最初の数日は、起きたくなかったものの、これは師父が求めておられるものだと思うと、何とか歯を食いしばって起き上がりました。しかし、起きることは私にとって普通に辛いレベルではなく、本当に耐えがたい苦痛で、毎日、目覚ましが鳴ってベッドから起き上がることに死を感じるほどでした。座禅は終始心が落ち着かず、とても辛いものでした。

 当時は、数年間ずっと修めているのか、修めていないのか分からないような状態が続いていました。「三つのこと」に精進し始めるまで、悟りが悪く、落ち着かない理由が業力の最期のあがきだということに気づきませんでした。また、業力の妨害に対して発正念をしなければならないということも知りませんでした。

 「21日間、続ければ習慣になると言われているので、21日間、続ければ習慣になって苦しくなくなるに違いない」と思いましたが、この一念も漏れだということを、当時は気づきませんでした。その結果、厳しい苦痛に耐えて22日間続け、さらに2日間我慢したものの、苦痛は少しも和らぎませんでした。打ちのめされた私は「自分はダメな修煉者で、意志が弱すぎる」と落ち込みました。そして、集団煉功への参加を諦めてしまいました。

 しばらく経って、夫(同修)と一緒に暮らしてから、毎日彼が起こしてくれました。私を起こす夫の声に何かパワーがあるかのように、私は起きることができました。しかし、それでも早起きは苦痛なので、実際はそんなに嬉しくはありませんでした。嫌がる顔を見せるのも申し訳ないし、何より仲間がいるだけでありがたいと思いました。

 このように断続的に煉功を続けていたものの、やはり言葉にできないほど苦しくて、また挫折しました。夫はそんな私が理解できず、怠けていると思っていたようです。私も自分が怠け者だと思いましたが、本当は心の底から起きたいと思っていたのです。一方で、昼間に煉功をしたときは苦痛を感じず、よく煉っていると思いました。 

 ある日、突然、額の骨に激痛が走り、1週間ほど続き、仕事も休むことにしました。内に向けて探したり、発正念したりしましたが、解決できませんでした。最後に「もしかして、朝の集団煉功に参加しなかったのが原因ではないのか?」と悟りました。

 悟った翌日、夫と一緒に時間通りに起きると、何事もなかったかのように一瞬で頭痛がなくなりました。夫に促されて朝の煉功を続けましたが、数カ月後にまた止めてしまい、そして再び続けました。続けるたびに、少しずつ苦痛が軽減していくのを感じました。

 続けているうちに落ち着かないものが胸から降り、腹部に到達したと感じ、夫もそのことを喜んでくれました。私はようやく、怠けているという単純な理由ではなく、そこには本物の業力の塊があることを知りました。

 その日から1年間、1日も休まず朝の煉功を続けることができました。丸一年を迎えた4月18日、今でもはっきりと覚えていますが、夫が急遽出張することになりました。前の晩から「どうしよう。 明日の朝は誰も起こしてくれないけど、自分で起きれるかな? でも、頑張る! これは自分で修めるべきことだから起きなければならない」と、不安がありつつも、やる気に満ちていました。しかし、翌日、目覚まし時計が鳴っても、どうしても起き上がることができませんでした。

 その時から、私は外力に頼ってはいけないと気づき、長い間夫に頼り過ぎて、旧勢力に隙に乗じられてしまったと思いました。

 2015年、私たち夫婦は江沢民を告訴した後、迫害を加えられました。夫は迫害により亡くなりました。このショックから、私は立ち上がれなくなり、夫の死は自分が大きな原因だと思いました。悲しみと自責の念に駆られ、修煉を怠り、情に溺れ、体調はますます悪化し、功法をほとんど煉らず、「三つのこと」もせず、危うく旧勢力に体を奪われそうになりました。

 同修は、私に朝の煉功に参加するように勧めましたが、私は苦笑いしかできませんでした。しかし起きれるかどうかに関わらず、心の中では朝の煉功に参加したいと思っているので、毎日、朝の煉功時間に目覚ましは必ずかけました。

 昨年の夏に、第二式の功法が1時間に変更されたため、同修たちは3時に起きて煉功しているという話を聞きました。それを聞いて私はただ苦笑いをするだけで「そんなに早起きすることはできない。例え起きても、30分も煉れない」と思いました。しかし、起きたいという願望はずっと持っていました。

 ある日、同修が訪ねて来て帰った後、私は泣きました。師父に「弟子はもうだめです。この関を乗り越えられません。基本的な功法を煉ることすらできないのに、それ以外なんて…」と話しました。同修はかつて「三つのことをやらないといけません。あなたの精進できていない多くの部分は仮相で、旧勢力があなたを引きずり降ろそうとしているのです」と話してくれました。

 ある日、私は突然非常に重要なことをしなければならないと思い出しました。それは、地元にあることを暴露することで、私は暴露することを先延ばしにしていたので、これ以上遅らせすることはできないと思いました。このことを知っている多くの同修も暴露しようとしなかったので「これは、私に残された修めるべきことだ」と思いました。この機会を私に与えてくださった師父に感謝いたします。

 そのことをしてから、数日と経たないある朝、目覚ましが鳴って(その朝は目覚ましを4時20分にセットした)、私は急にその音楽(同修が作った曲)に感動し、何年も心に重くのしかかっていたものが、一瞬にして師父に取り去られたと、はっきりと感じ、すぐに起き上がりました。

 翌日、また簡単に起きることができました。3日目、5分早めて4時15分に目覚ましをセットし、何の問題もなく起き上がれました。「もう一回寝たい」という悪い念が残っていましたが、あまりにも小さくて弱かったので、すぐに取り除くことができました。

 この2日間、私は嬉しくて師父への感謝の気持ちで胸がいっぱいでした。同時に「師父は弟子のためにどれだけ背負ってくださったのか」と思うと、悲しくなりました。4、5日連続で起きられ、自分でさえも信じられませんでした。「師父のご加持が過ぎたら、私は続けられるのだろうか?」という思いもありました。私は毎日、起きるときに残っている悪い考えをきれいに取り除くように気をつけました。同時に、毎日5分早めて目覚ましをかけ、4、5日後には10分前に目覚ましをかけるようになりました。「同修たちは3時に起きている。これは私には不可能で、これ以上は無理だ」と思いました。これらの思考がネガティブな思考であることに気づいていたにもかかわらず、積極的に取り除くことを忘れていました。しかし、毎日、目覚ましの時間を10分間ずつ早め、3時半、3時20分になったときには、起き上がることに苦痛を感じなくなっていました。そして、ついに3時に目覚ましをかけることができました。「堅持できないかもしれない」という執着は知らないうちに消えてしまいました。

 長年努力しても、3、4日しか続けられませんでしたが、このように1カ月間堅持することができました。私と同じ悩みがある同修に参考になればと、この過程を書き出そうと思いました。

 しかし、交流文章を書こうとした2日間、悪い考えがまた現れ、私を下へ引きずろうと妨害しました。その2日間、悪い考えは私を布団の中で座禅をさせてから、起き上がらせて動功を煉らせました。これは師父に対する不敬です! 1日目、意識が朦朧とした状態で座禅を1時間半し、第二式の功法は30分しかできませんでした。2日目、意識が朦朧とした状態で第五式の功法を煉ってから、横になって寝てしまい、動功は煉りませんでした。

 その2日間、私は数年前に夫が2回煉功の時間を逃した時に感じた悔しさを経験しました。実は夫が煉功の時間を逃した2回とも、私は目覚ましの鳴る音を聞いていました。夫が聞こえず、起きなかったことで、ちょうど私も寝続けられると思いました。その2回は師父が聞こえた私を試しているとわかっていたものの、自分を修める機会を逃してしまいました。夫と一緒に煉功をしていたとき、私は一度も夫を起こしたことがありませんでした。心のどこかで夫に寝過ごしてほしい気持ちがあると同時に自分を責めていました。この2つの考えは常に戦っていて、私は悪い方の考えを選んだのです。

 今回の妨害を私は警戒しました。悪い考えが私の体を支配しようとしている試みに対して、私は法に則って体を正念で支配するよう考えました。そして、目覚めた私は、すぐに悪い考えを取り除きました。今日で世界の大法弟子の集団煉功に参加して1カ月半になりますが、とても良い状態を保っています。 半月前、この交流文章を書こうとした時、少し顕示心がありましたが、今はそれもなくなっています。精進している多くの同修にとって、これはすでに当たり前のことだとわかっています。慈悲深い師父や、風雨にも阻まれず衆生を救う同修のことを思うと、ただただ涙が出るほど感動しています。

 私は今、朝2時50分に起き、3時にベッドから降りますが、少し時間に追われていると感じます。顔を洗った後、師父にお線香をあげてから、煉功をします。先日、地元の若い同修が第二式の功法が1時間になったことを聞いて、私から1時間の煉功音楽をもらった後、30分の音楽をあっさり削除してしまったことがありました。この件に強く心を打たれ、自分は昔第二式の功法を30分煉ることすら苦労したことを思い出しました。

 朝の煉功に関する一連の出来事を振り返ってみると、私は「弟子が心性を向上させ、すべきことを少しずつ行い、同時に向上したいという強い気持ちを持てば、師父は弟子の足を引っ張る業力を必ず取り除いてくださる」と悟りました。もし、その悪いものが残っていたら、私は全く朝の煉功に参加できなかったでしょう。

 昨夜は12時過ぎに寝ました。娘は翌日起きられないのではないかと心配して早く寝るように促しましたが、睡眠時間が短くなると起きられないのではないかという不安さえも薄れてきて、まるで長年の習慣であるかのように2時50分に起き上がれました。

 この経験を書いたのは、師父の「修は己にありて、功は師にあり」[1]という法理を実証したからです。弟子のことを諦めない師父に感謝いたします! 励ましてくれた同修に感謝します!

 次元が限られているため、不足があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/15/422067.html)
 
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