真機を悟る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年5月2日】師父は『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』の中でこのような質問に回答されました。「弟子:私たちは今、ほかの人のために修煉し、衆生を救い済度するために修煉しているという言い方は正しいのでしょうか?師:正しくありません。自分のために修煉しています。あなたが救い済度する衆生はあなた自身の修煉の中に含まれており、自分の世界を圓満させるためでもあります」[1]

 私の理解では修煉は自分自身を修めることで、以下のあらゆる方面でも自分自身を修める必要があると悟っています。

一、修煉は自分自身を修めることです

 1.学法をする際に常に自分に照らして自分を修めます。

 2.明慧編集部の文章を読んで、自分自身をチェックします。

 3.同修と比較して自分自身を修めます。

 4.矛盾が出たときに内に向けて探し、自分自身を修めます。

 5.自分に対して同修から不満があった時に自分自身を修めます。

 6.病業の関の中でも「どうして旧勢力に隙に乗じられたのか」と内に向けて自分自身を修めます。

 7.末世の混乱の中、自分自身を律して修めます。「濁流に逆らって進む、身を清く保つ」と自分自身に教えます。「世の墜落を窒ぎ截る」[2]

 8.心が動じたのは自分に執着心があるからです。執着心がなければ動じず、あるからこそ動じたのです。執着心が強ければ強いほど、反応が激しく、最も取り除くべきものなのです。

 9.修煉の中では、他人を責めたり、他人の不足を探すことをやめましょう。それは外に向けて見ており、魔道を歩むのと同じで魔を喜ばせることです。「いつになっても、どんなことがあっても、どのような環境であっても、あらゆる事件に対しても、どんな争いがあったとしても、まず内に向けて探し、あれば直し、なければ気をつける」と常に覚えておきましょう。内に向けて探し、自分自身を修めることは自分自身を成就しているのです。絶えず内に向けて探し、自分自身を修めることは絶えず自分自身を成就していることです。しかし外に向けて見たり、他人の不足を探すのは、自分自身を滅ぼしていることです。常に外に向けて他人を見るのは修煉ではありません。

 10.内に向けて自分の心を観察し、チェックし、探し、修めます。

 11.真剣に三つのことをしましょう。何でもその中に含まれています。うまくできている人は、全面的に全方位から自分自身を高め成就しているのです。三つのことのいずれも欠けてはいけません。

二、自分自身に常に思い出させること

 1.謙虚さを保ち、常に自分を最も低いところに置きましょう。

 2.急いで自分の意見を出さないように、耳を傾けることを学びましょう。

 3.しゃべりすぎのないように控えましょう。

 4.誰かに知られたり、認められることはいりません。師父が分かれば、正神が分かれば、それはそれで結構です。同修の中で顕示することをやめましょう。

 5.人を容赦することを学びましょう。人が手を失うこともあえれば、馬が蹄を失うこともあります。他人への理解、思いやりを持ちましょう。私を除去して他人のための心を持ちましょう。

 6.運試しの心を待たないように気をつけましょう。一万回起こることは怖くないが、万が一のことは怖いものです。(つまり何ごとも慎重に行い、あらゆることに備えよという意味)。責任感と責任を取る心を持ちましょう。大法のためにも、同修や自分のためにも、衆生のためにも、責任を取る心を持ちましょう。

 7.金剛不動の意志、岩のように堅く動じない敬虔な心を持って師尊と大法を信じ、肝心な時に自分は師父の弟子であり、自分が大法弟子であり、師父と大法に守られているので、他の誰も私達の修煉を干渉することができないことを常に覚えておきましょう。物事の決定権は他でもなく、師父にあります。自分のすべて、命を含めて師父に任せます。「残るか去っていくのかを師父の按排に任せます」『ロサンゼルス市法会での説法』

 自分自身を励ますもので、不適切なところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いいたします。合掌します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「普く照らす」

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/26/423736.html)
 
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