明慧法会|正念で執着を取り除き魔難を歩み向上する(一)
■ 印刷版
 

 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年5月8日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1999年1月に病気で入院し、縁があって大法を修煉しました。半年後(訳注:1999年7月)、大法は中国共産党(以下、中共)の迫害に遭い、私も多くの同修と同様に、毅然として真相をはっきり伝え法を実証するために出ていきました。10年以上にわたり、私は同修と協力し、長期にわたり地元で真相資料を作り、真相を伝えました。またかつて人心の執着により中共に隙を突かれ、何度も迫害を受け、ずっと苦労を嘗めて鍛え上げられ今日(訳注:2018年11月)まで歩みました。

 私はここ幾年来どのように師父の教えを聞き内に向けて自分を修め、魔難を歩み向上してきたのかのいくつかの経験と体験を、同修の皆さんと分かち合いたいと思います。不足のところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いいたします。

 一、法を暗唱する威力

 2002年9月、中共の第16回全国代表大会の前、私は家で食事を作っており、5、6人の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に洗脳班に連行され、強制的に2カ月間洗脳されました。洗脳班の中で、私は毎日師父の法を暗唱し、自分に暇な時間を与えませんでした。テレビで放送された嘘の情報を、私は聞きもしないし見もしませんでした。私を洗脳した時、私は目を閉じて一心不乱に法を暗唱しました。私は天目で見た、師父の『論語』を暗唱した時、すべての字がみな高エネルギーの物質の塊であり、次第に一つのエネルギーの覆いを形成し私を包み込みました。警官たちが何を言おうと、私を動かすことはできませんでした。

 その時4人が私を囲んで私を洗脳し、その中の1人が「隙間を開けて私を入れてください」と言いました。背後の邪悪要素がその警官を操っていることを私は知っており、私は「大法弟子は金剛不壊であり、ここには穴を開けることができる継ぎ目はありません」と言いました。その警官はがっかりしてうなだれながら帰っていきました。師父は私を励ましてくださり、私が燃える火の山の上に座っているのを私の天目の中で見させてくださいました。私は「難中に金体を煉し」[1]という師父の法を思い出しました。2カ月後、師父のご加護の下、私は正々堂々と洗脳班を出て行きました。

 翌年(訳注:2003年)9月、私は同修を見舞いに行き、監視していた警官に連行され、留置場に入れられました。留置場で、私は疲弊した鷹(訳注:鷹を訓練する方法に由来し、長時間、寝かせないようにする拷問)式に尋問され、6日6晩眠らせず、私は絶食絶水して抗議し、一言も話しませんでした。警官の1人が私を脅迫して「もしお前が誰にも話さないというのならば、私は夜にお前をある秘密の場所に連れて行って、お前の脳を手術をし、お前の脳神経を破壊してやる。お前に『轉法輪』を渡しても、お前は認識できず、さらにお前の夫と離婚させてやる。お前が出所する時は、すでに白髪になってしまい、お前の子供もお前を認識できないぞ」と言いました。

 私は非常に恐怖を感じ、中共はどんなことでもすることを私は知っており、精神的圧力が大きかったのですが、同修を売ることはできないと堅く思っていました。私は心の中で「師父、弟子は同修を売ることはできません。少なくとも私はこの瞬間はまだ冷静であり、それならばこの一刻一分一秒を続けます」と師父に申し上げました。

 6日間が過ぎた後、迫害停止を呼びかけ、さらに多くの人たちに私の存在を知ってもらい、警官の陰謀が成就できないようにするために、私は毎日「法輪大法は素晴らしい!」「真・善・忍は素晴らしい!」と声を上げ始めました。私が絶食して抗議していたため、警官は私を刑務所病院に拘禁し、死人ベッドに縛り付け強制的に灌食しました。私の体は動きがとれませんでしたが、考えは私のものなので、私は一心不乱に『論語』を暗唱しました。法に溶け込んだ時、苦痛の感覚はそれほど強くはなくなりました。2週間絶食した後、警官が再び私に対して疲弊した鷹(訳注:鷹を訓練する方法に由来し、長時間、寝かせないようにする拷問)式の迫害をしないと留置場の所長が私に返答し、さらに私は受刑者のチョッキを着ないことを許し、自由に煉功できました。

 しばらく経ち、中共の裁判所は私に懲役3年の不当な判決を下し、私を刑務所に拘禁しました。私が転向を拒絶し、囚人服を着ず、煉功を続け、いつも「法輪大法は素晴らしい!」「真・善・忍は素晴らしい!」と叫んだために、このために手錠をかけられ、拘束衣を着させられ、また長時間にわたって汚水に浸されるなどの拷問による苦痛を受けました。

 私に大法を放棄させるために、刑期が終わる直前、留置場の警官は再び裁判所と談合し、訪問して騒ぎを起こして私の夫を脅迫し、私と離婚するように夫に迫りました。このようにして、かつて幸福だった家庭は私が離婚に同意せず、サインをしていない状況下で刑務所と裁判所によって強制的に離散させられました。その時私の情はまだ重く、心の中がとても苦しかったのですが、師父を固く信じること、および絶え間ない法の暗唱に任せて、正念を確固とし、私はこれらの魔難を歩み切りました。

 二、生活と仕事環境の中で真相を伝え人を救う

 2006年私は刑務所を出た後に実家に戻りました。私は刑務所に行き、もともと羨望されていた家庭を再び失い、両親は親として恥ずかしいことだと思い、一日中泣いていました。「610弁公室」の担当者は地元の警察署に私を監視させ、さらに至るところで私の噂を広め、私は夫も要らず家庭も要らず、ただ法輪功があればそれでいいと言っていると人々に言いふらし、地元の人々はみな私の精神が正常ではないと思いました。郷里の老人たちは私がいつも隠れているのを見ていました。

 私は毎日師父の説法を大量に学び、正々堂々と両親に「あなた達の娘(訳注:私)は良心を裏切ることは何もしておらず、私はよい人になろうとしただけで、共産党に迫害されました。あなた達は私を誇りに思うに違いありません。何故ならあなた達には真・善・忍を信仰する優秀な娘がいるからです」と言いました。私は毎日大法弟子の歌曲を歌いながら両親のために家事を手伝い、大法の中から修めた楽観主義と寛容さを以って、家族に影響を与えました。その後、父親は中共の党、共青団、少年先鋒隊を脱退することを自ら要求しました。

 ある隣人はキリスト教を信じていました。その隣人は母親に会い「あなたも娘さんのことはどうでもいいのでしょう、刑務所に入ってあんなにも苦しんだのに、まだ改めず、人を見れば法輪功を宣伝している」と言いました。私の母親は自信を持って「私の娘は泥棒も盗みも働いておらず悪いことをしておらず、何がそんなに恥ずかしいのでしょうか? もしあなたがあなたの主を裏切れと言われたら、あなたは裏切りますか?」と言いました。隣人は押し黙ったまま帰っていきました。母親はさらに私が危険に遭った時、何度も私のために大法書籍と真相資料を保護してくれました。母親は癌を患いましたが、他のがん患者のように苦しみに遭わず、さらにもともと医師が予想していたよりも7年長生きしました。亡くなる時、母は「天国はどんな感じでしょうか?」と聞きました。私は母親のために神韻芸術団の公演DVDをみせました。母親はそれを見て「天国は本当に美しいので、私は行きたい」と言いました。母親はずっと「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じながら逝きました。私の兄弟姉妹たちもみな床に跪きながら一緒に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じ、母親を見送りました。母親が亡くなる時、天目が開いた家族は母親が蓮の花の上に座り、ゆっくりと空に昇っていくのを見ました。

 私は絶えず真相を伝える中で、故郷の人の大法に対する不正確な見方と認識を変革し「三退」する人がどんどん多くなりました。皆も心の底から私を大法弟子であると認識しました。

 2006年の年末、私は仕事を探し、ある会社でロジスティクス(訳注:物流)部門を担当しました。仕事の中で大法の真・善・忍の法理に基づいて厳格に自分を律し、他人の贈り物を受け取らず、大真面目に仕事に取り組み、私が管理する部門は全社で第一の評価を受けました。私は仕事の中のすべての機会を利用して真相を伝え人を救い、職場では170人以上が続けて脱退しました。退勤した後に家に帰り、私は真相DVDを作って配りました。すべての地区のほとんどに、くまなく配りました。私は師父の教えと悟らされたことに従い、どこへ行くにも真相資料を持って行きました。

 2年後、私はある技術系の男性同修と知り合い、自然に集まって家族になり、私たちは互いに協力し、大量に制作し真相資料を配って人を救いました。

 三、修煉に漏れがあり再び迫害に遭う

 2012年春私は再び警官に連行されました。その3か月前に「師父が列車を運転なさっており、信じられないほどの速度で前進し、私は一つの車両の小隊長だった」という一つの夢を私は見ました。次に私は試験問題に答えている夢を見て、多くの問題に正しく答えました。しかし試験問題の第1ページに二つの黒い穴があり、私はどうしても答えることができませんでした。ある男性が私を追いかけて来て「彼女はどうして法を実証できるのですか?」と言いました。しばらくすると、私は再び夢を見て、夢の中のその男性が再び現れ、その男性は床に座って大声で泣き「私は教育局に行ってあなたのことを知らせ、あなたの師父は教育局長で、私はあなたを助けることができず、あなたの師父にお任せします」と言いました。

 しばらく経って、普段私といつも連絡を取り合っている同修が連行され、私はこのことを前もって知らされました。私は連行される3日前、私が正念を発し終わりまさに寝る準備をしていると、天目で古い神(訳注:旧勢力)の一群がやって来るのが見え、その中の一人の先頭の神は古代の官服を着ており、片手に1枚の紙を持ち、もう一方の手で私の体に向けて無数の黒い粒子の層に振りかけ、すべての粒子の中は、みな邪悪だらけでした。私の体は自由を奪われ、動けませんでした。その時私は大声で「私は李洪志師父の弟子であり、その他のどのような按排も全て要らない、全て認めません!」と叫びました。それから私は自由になりました。

 3日後、私と夫は国保警察に連行されさらに家宅捜索を受けました。罠にはまったかのように、毎晩夢の中でいつもあの時と同様に試験問題が現れ、依然として二つの黒い穴があり、私は答えることができませんでした。夢の中で、その試験問題の二つの黒い穴は、私が答えることができないので、師父が赤いペンで私のために埋めてくださいました。師父が私の代わりに請け負ってくださっているのだと私は悟りました。私は心の中で「弟子は必ず試験問題に答えることができます」と師父に申し上げました。私は「身は牢屋に臥すれども、哀しまないで 法在りて、正念正行 幾多の執着の事を静思し 人心を捨て去れば、悪は自ずから敗る」[2]という師父の法を思い出しました。私は心を静めて自分がこの数年歩んできた道を回想し、問題はいったいどこにあるのかと考え始めました。

 数年前の離婚後私は住所不定になり、他の人が居所もあり安定し職業を持ち楽しくやっているのを見て、心の中でいつも自分には何にもなく、孤独で無力で、いつも自分の巣を一つ作りたいと思っていました。そこで私は同修に7万元を借り、自分のお金を加えて、アパートの部屋を購入し、内心浮き浮きし「ついに自分自身の一つの財産ができた」と思い「家があってはじめて安心で、同時に親せきや友人の前でも頭を上げることができる」と感じました。再婚後、私たちは借りたお金を返し、私たち二人は再びさらに大きな家に変え、心はさらに美しくなりました。私は再び中共に迫害されることを恐れ、親族の名義でその家を買い、このようにすれば中共に発見されないだろうと思いました。注意深く分析した後、全てがみな名、利、人々のいわゆる楽しい生活に対する憧れ、および苦を嘗めることを恐れる心でした。その過程で師父も「私が安逸心と、人々の中で自分に逃げ道を残したい心を求めている」ということを私に悟らせてくださいましたが、私はまじめに取り組まず、その場所で蓄え、中共に迫害されました。

 四、留置場の中での真相ラジオ局

 留置場に拘禁された後、留置場でのすべて一切の行動規則を私はみな実行せず、師父の要求に基づいて三つのことを行い、留置場の警官と受刑者に対して真相を伝え「三退」を勧め、受刑者に経文を暗唱し「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じるよう教えました。刑務所の中では十数人の受刑者が私と一緒に煉功し、夜になると、みんなが輪になって、寝台の上で座禅し第五式の功法を煉功しました。不思議なことにその中の9人が天目が開きました。刑務所全体が平和でした。

 このことで留置場の警官は警戒しました。留置場の警官は一人一人に別々に圧力を加え、刑を重くすると脅迫し、法輪功を修煉する者は誰でも食べ物を買うことを許さないと脅迫し、受刑者たちから私を孤立させました。しかし大法はすでに数人の心に植えつけられ、その人たちは圧力の中で、留置場の警官の指示に従うことを拒否し、大法を支持しました。大法を支持した人たちはさらに留置場の奴隷労働で制作した製品にたくさん「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と書き、結果として製造業者から返還されました。刑務所の壁、換気室の壁のいたるところにみな「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と書いていました。留置場の警官は何もできず、ただ刑務所のすべての人を分割し、他の監房に分けるしかありませんでした。さらに他の監房の受刑者をいじめ役にし、大法を支持した人たちを監視しました。

 大法を支持した人達が大法に近づくとすぐに抑圧され、私は悲しくなりました。私は「大法を支持した人たちはみな師父の按排によってやって来た縁のある人で、大法と繋がった縁は切ることができない」ということを知っていました。私が唯一大法を支持した人たちを助けることができたのは大法弟子の歌を支持した人たちに聞かせ、それによって大法を支持した人たちを励ますことでした。しかし私は従来から歌ったことはなく、私は思い切って『得度』『天安門広場』『路は天に通ずる』『脱党の歌』などの歌曲を歌いました。歌う過程で私は師父にご加持を求め、思いもしなかったことに歌を聞いた皆の反応はとても良かったのでした。師父のご加持が私に自身を与えてくださいました。私は毎回みんなが静かにベッドに座った時、紙をメガフォンのように丸め、すべての監房に対して大声で「法輪功の真相ラジオ局の放送を始めます」と言い、つづいて『共産党についての九つの論評』『解体党文化(党文化を解体する)』『赤目の石の獅子の物語』、因果応報の実際にあった話を伝えました。最後の項目は歌の舞台で、みんなが大法弟子の歌曲をリクエストし、私がみんなに歌って聞かせました。

 私が設立した「真相ラジオ局」はみんなの歓迎を受け、九つの監房の衆生が楽しみにする演目になりました。留置場の警官も静かに聞き、私を妨害しませんでした。ある留置場の警官は私が伝えた真相を聞き、大法を賞賛し、すべての監房の人の前で涙を流しました。監房の衆生たちはみな大胆に歌をリクエストし、ある受刑者は手錠をかけられ、留置場の警官に抗議するために、その受刑者は大声で「法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は正法です!」と叫びました。その中のある1人の受刑者は私が拘禁されている監房に行きたいと言い、私は大法の師父にお願いするようにその受刑者に言いました。結果としてその受刑者は本当に私が拘禁されている監房にやって来ました。その受刑者はすぐに修煉を始めました。

 私はさらに「法輪功の真相ラジオ局」を通して、監房を隔てて「三退」を勧めました。その監房に不当に拘禁された大法弟子はみな私と互いに協力し、一緒に歌曲を合掌し衆生を救いました。私の声は師父のご加持によってだんだん清らかになりました。ある日、留置場のリーダーが視察にやって来て、皆は全て水を打ったように静まりかえり、私は「衆生も私の態度を見ている」ということを知っており、私は「私の使命を止めることはできない」と思い、その日の真相ラジオを継続しました。皆は私に代わって手に汗を握りました。思いもよらなかったことにそのリーダーは私の放送を聞いて、私に「暑い日なのにあなたは喉乾きませんか? 休憩しましょう」と言って去っていきました。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「神の路難し」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「哀しまないで」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「シカゴ法会」
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [5] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法とは圓容しているものである」
 [6] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法は乾坤を正す」
 [7] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/9/376436.html)
 
関連文章