母親のいない母の日に花束を捧げる
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2021年5月15日】母の日がやってきて数日間、ニューヨークの街角でカーネーションやバラ、スターフラワーなどの美しい花束を見たとき、「一番美しい花束を選んで、天国にいる母に捧げよう」と思いました。

 世界中の子供たちが母の日を祝う日は、私にとって悲しく虚しい追悼の日となりました。母は、中国共産党(以下、中共)による法輪功迫害の中で、「真・善・忍」の信念を守るために、永遠にこの世を去ってしまいました。

 私の母(董宝新)は2004年に亡くなりました。その時、私は法輪功迫害の実態を伝えて、中共の迫害を避けるため、放浪生活をしていました。中共による厳しい監視の中で、私は母の情報を知ることができず、亡くなるまで母の声さえ聞くことができませんでした。

 母の死を知ったのは、他所から大連に戻った初日、姉は借りていた部屋に私を連れて行き、突然、「お母さんがいなくなっちゃったよ」と教えてくれた時でした。

 母は1999年5月に法輪功を学び始めました。法輪功を学ぶ前に、母は長年にわたって体が弱く、糖尿病、心臓病、関節炎、末梢神経痛など多くの病気を患っていました。長年の病気で苦しんでいたため、母の気性が荒くなり、近寄りがたく、家の中は緊張感が走っていました。母は法輪功に出会ってから、人生の新しいページを開きました。

 母は法輪功を実践した後、すぐに健康になりました。母は、毎日朝と夜に煉功し、『轉法輪』の本を丁重に読み、そして楽観的になり、長い間失っていた幸せと笑顔が我が家に戻ってきました。

 母は、「法輪功を修煉してから、体が丈夫になったし、空腹や喉の渇きも感じなくなったし、家事を簡単にこなせる。階段の上り下りも軽やかになったわ!」と言ったことがあります。

 しかし、幸せはいつまでも続くものではありませんでした。1999年の7.20の到来とともに、中共は法輪功への残酷な迫害を展開し、幸せになった家族が何度も引き裂かれ、完全に崩壊し、すべてを失いました。

 2001年、私と姉が大連で法輪功の資料を作って配布したため、母は私たちと一緒に大連の警官に連行されました。その後、母は遼寧省吾家堡労働教養所に送られ、転向を拒否したため、洗脳班に拘禁され拷問を受けました。

 洗脳班で、母は長期にわたり睡眠を奪われ、殴られ罵られ、頭を強く押しつけられ、両手を背中の後ろに垂直に上げられ、「飛行機」という拷問を受けたほか、「肋骨をほじくる」、「木板で足裏を叩き」、「針金やブラシで足裏を掻く」などの拷問により苦しめられました。

中共酷刑示意图:“飞”

拷問のイメージ図:「飛行機」

 洗脳班ではあらゆる手口を使い尽くしましたが、母は依然として大法を堅持し続けました。洗脳班側は「食事を改善する」と言い、毒入りの鶏肉を提供しました。それを食べた母は重度の食中毒になり、激しい嘔吐、呼吸困難、瞳孔が開いた症状になり、死の直前の状態に陥りました。危機的状況の中、洗脳班は急いで母を仮釈放し、瀕死の状態にある母を父に投げ渡しました。

 家で学法と煉功を通じて、母は回復し、他の学習者と再び北京に行き、法輪功の無実を訴えました。

 天安門広場で、母は「法輪大法は素晴らしい」と書かれた横断幕を頭上に掲げ、世界中の人々に伝えました。その声は天安門広場の上空で大きく響き渡りました。

 その後、母は再び連行され、遼寧省馬三家労働収容所で2年間迫害を受けました。帰宅した後にも、警官らにより嫌がらせを受け続け、身体はずっと回復していません。

 結局、姉が解放されたときに、母はすでに寝たきりになっていました。最後に、母は私を心配する中で亡くなりました。

 母が亡くなって17回目の母の日に、愛する母に大きな花束のカーネーションを捧げました。天国でいつまでも幸せで楽しく過ごせますように、世界中のすべての子供たちが母親の愛情を受けられますように、そして、すべての母親がこの温かくて素晴らしい日を家族と共に祝うことができますように願っています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/11/424879.html)
 
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