河北省定州市で2人の学習者が迫害死した経緯
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 【明慧日本2021年6月10日】(河北省=明慧記者)河北省定州市李親古村の法輪功学習者(以下、学習者)・李国昌さん(51)は、2001年に労働教養を強いられ、迫害を受けて重病になった。その後、家族が自宅に連れて帰ったが、2002年11月15日に亡くなった。同市叮嚀店の学習者・賈文成さん(65)は、2000年末に連行されて市城北留置場に拘禁され、食事や歩くこともできなくなるまでひどく迫害され、2006年の旧正月2日に亡くなった。

'李国昌'

李国昌さん

'贾文成'

賈文成さん

 1、李国昌さんは2001年1月、法輪功迫害の実態を伝えるために北京へ陳情に行ったが、李親古派出所の警官らに連行され、地元に連れ戻された。

 真冬に、警官は李さんを裸にして雪の中を走らせたり、樹の枝で殴ったりした。 身体検査を受けた際に、李さんの所持していた600元が押収された。その後、李さんは転々と定州留置場や保定満城労働収容所に拘禁されていた。

 李さんは「真・善・忍」の信念を放棄しないとして、収容所は食事も睡眠もとらせなかった。そして、迫害を受けて重症になった李さんを家族は連れて帰ったが、 2002年11月15日に亡くなった。

 2、賈文成さんは空軍部隊の幹部を退役し、定州市留春郷の副書記を務めたことがある。1997年の秋、賈さんは法輪功を学び始め、高血圧や糖尿病などの病気が治った。

 2000年10月、賈さんは、妻の蘇慶国さん、次男の嫁・宋素平さんと共に連行され、公安局でそれぞれ単独に拘束された。

 賈さんは自白を強要されていた時、公安局の課長・王会卿と叮嚀店派出所の所長・楊福昌にひどく暴行された。蘇慶国さんと宋素平さんは定州市拘置所に拘束された後、1万元を無理やり取られて解放されたが、賈さんは定州市留置場に移送された。

 1カ月後、迫害を受けた賈さんは食事をすると嘔吐し、骨と皮ばかりに痩せこけて、記憶も衰え危篤状態に陥った。それにもかかわらず、賈さんは1年間の労働教養を強いられ、公職も除名された。その後、賈さんは食事をすることも歩くこともできなくなり、病院で心臓病、高血圧、静脈炎、糖尿病などと診断された。さらに「治療できない」と言われたため、留置場の担当者は家族に迎えに来させた。

 2001年、賈さんは叮嚀店鎮610弁公室の人員により連行され、市党校で開設された洗脳班に送られた。洗脳班に向かう途中で、賈さんは気を失い、洗脳班に着いた後、大量の汗をかき、顔色も変わり歩けなくなった。

 数日後、賈さんは絶え間ない嫌がらせを受ける中、2006年の旧正月の2日目に亡くなった。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/5/426613.html)
 
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