【明慧法会】仕事を通じて修煉を向上し、向上する中でしっかりと仕事をする
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文/西洋人の大法弟子

 【明慧日本2021年7月9日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。

 私は2013年に修煉を始めて、2019年に明慧のある言語の協調に携わるようになりました。今日、私が修煉過程で遭遇した試練と、そこから得た体験を皆さんと分かち合いたいと思います。

 学法しても、より高い次元の法理が見えない状態を突破する

 修煉を始めて8年になりますが、結構長く感じます。なぜなら、修煉を始めた当初、こんなに長く続けられるとは全く思っていなかったからです。ここで、師父による加持と励ましに感謝したいと思います。しかし、修煉期間が長くなり、学法が日課になっていくにつれて、私は『轉法輪』を読んでいても、表面的な単語やフレーズを読むだけで、より高い次元の法理が見えないと感じました。

 この状態は正しくなく、突破しなければとも思ったのですが、どうしても突破できません。ある日、再びこの問題を考えていたとき、ふと『轉法輪』の一節が頭に浮かびました。

 『轉法輪』の第六講で、師父はこのようにおっしゃっています。「とすれば、煉功の時、関を通過できず気を下ろせない場合、いまの次元にとどまりすぎているのではないか、もっと心性を向上させるべきではないか、と心性から原因を探すべきです! 心性が本当に向上すれば、気は自然に下りてくるはずです。あなたは功の変化にばかり夢中になって、心性の変化を重んじないかも知れませんが、心性の向上がなければ、全体的な変化はありえません」[1]

 そこで、心性を向上させてこそ、全体が向上するのだと悟りました。執着心をなくすことが、修煉の最大の目標だとも分かっています。では、なぜ私は『轉法輪』をより深く理解することができず、より高い法理が見えないのでしょうか? 答えは一つだけです。つまり、私はある次元に長く留まり過ぎているからです。言い換えれば、その次元で取り除くべき執着を取り除いていないのです。

 では、何に妨げられて、取り除かれていない執着に気づくことができなかったでしょうか? 思えば、修煉を始めたばかりの私はやる気満々で、絶えず執着を見つけて絶えず取り除いていき、絶えず向上していました。しかし、年月が経つにつれて、自分の執着心を見つけるのがますます難しくなってきました。

 この状態をもたらした原因を見つけようと、内に向けて探す過程で、知らず知らずのうちに自分にはある良くない観念が形成されていることに気がつきました。その観念はあまりにも静かに生まれたので、気づきにくかったです。この観念は、一種の傲慢だと思います。

 では、この傲慢さはどのようにして形成してきたのでしょうか? 何年も修煉してきて、自分にはもう大きな執着心がないはずだと思い、何かの試練に遭遇しても、心が動じた際の背後にある執着心を探しませんでした。なぜなら、執着心を見つければ、今までの自分が内に向けて探さなかったことを認めることになると思ったからです。言い換えれば、今までの修煉が無駄だったということを認めることになるからです。その結果、私はずっと一つの次元に留まり、その次元で取り除くべき執着心を見つけずにいたのです。

 何年修煉しても、修煉者として内に向けて探すことができ、自分の欠点や執着を見つけられるには、もっと謙虚で控えめでいるべきだと認識しました。この認識によって修煉において向上し、より高い法理が見えるようになると思います。

 時間に対する執着を取り除く

 修煉を始めた当初から、「もうすぐ終わる」と私は感じていました。正確に言えば、修煉を始める前からこの感覚があって、修煉中もずっとありました。この感覚は私の修煉において促進作用を果たす一方で、妨げになることもありました。

 師父は次のようにおっしゃっています。「このことを話したのはつまり、皆さんに教えていますが、私たちは今日、最後の一歩まで歩んできたのです。皆さんにはっきりと教えますが、師父は当初、今年迫害を終わらせると決めていたのです。(皆が熱烈に拍手する)前期と後期を合わせて20年です。結局、旧勢力が手を出していくつかのことを変えてしまったのですが、熔錬炉の石炭が底をつき、火力も弱まり、このことも間もなく終わろうとしています。ですから、皆さんは今まで以上にしっかり取り組むべきです」[2]

 師父がこう話されるのを聞くと、「もうすぐ終わる」という感覚がさらに強くなりました。その感覚が一種の執着となって、私の修煉および真相伝えの道のりにおいてトラブルをもたらし始めました。

 その法会の直後、明慧ネットから英語版の新刊『明慧二十周年報告書:中国における法輪功への20年にわたる迫害』が出版されました。私たち翻訳チームは、この報告書を翻訳することを決めました。終わりが近づいていると感じていた私は、できるだけ早く翻訳を仕上げようと思いました。

 このような時間に対する執着が私の編集作業を急がせ、表面的なものにしていました。法が人間社会を正す前に報告書を翻訳し終えることが最も重要だと考えていたので、私は細かい点には気を配りませんでした。翻訳と編集が非常に早く終わって、印刷に入ることができた時、ある同修に「もう一度校正しせんか?」と言われて、「必要ありません。もうすぐ印刷します」と私は言いました。

 印刷費を工面するために、私は普段からプロジェクトの資金援助をしてくれている2人の同修に打診してみましたが、長い間、返事が得られませんでした。いつもはすぐに答えてくれていたのに、なぜだろうと不思議に思いました。印刷の準備はできているが、資金がなくて、その間本当に心が苦しかったのです。「私に余分の資金があれば印刷できたのに」と思うほどでした。

 その間、私は『大紀元時報』の編集も手伝っていました。自分にはそこそこの編集能力があると思っていたのですが、いざ編集長主催の勉強会に参加してみると、まだまだ勉強が足りていないことに気づき、文章を表面的に確認しているだけで、細部にまで十分な注意を払っていなかったことが分かりました。

 その後、「予言に執着せず、後悔を増やさない」という同修の交流文章を読んでから、私は時間に対する執着をある程度取り除くことができました。普段から、私は『大紀元』に掲載されている予言に関する文章を読むのが好きで、このテーマに関する同修の交流文章を読むのも好きです。先ほど言及した同修の交流文章の中で、別の同修が見えた法を正すことが終わる日に関する意見が引用されていました。

 この文章を読んだ後、私は法を正すことが終わる時期は重要ではないと感じました。また、時間への執着がなくなり、この世で普通に生活できると感じるようになりました。私の心も穏やかになりました。予言はいくらあっても、すべてが真実ではないと思うようになりました。これらの新しい予言が現実になるかもしれないし、ならないかもしれません。しかし、それはもう重要ではありません。なぜなら、私はもう時間にはそれほど執着していないからです。

 その時、同修の1人に「明慧報告書をもう一度チェックすべきだと思います」と言われて、今度は、私は同意しました。社会のエリート層である政府の要人たちの良知を呼び覚ますには、質の高い報告書を提供すべきです。偶然にも、再編集に同意した直後、普段から資金を提供してくれていた同修から、「明慧報告書の印刷資金を出します」との連絡を受けました。嬉しかったのですが、「上達した編集能力で、もう一度報告書をしっかりチェックしたいので、もう少し待ってください」と私は答えました。

 まず修煉と煉功をしっかりと行う 

 修煉を始めた当初から、私は毎日欠かさずに5式の功法を一通り終えることができず、煉功よりも、真相を伝えることがより重要だと思っていて、その後は更に、煉功に1時間以上もかけることは時間の無駄だと感じ、その時間を真相伝えに使うべきだと思うようになりました。

 この状態が正しくないと思いつつ、「そのうちに突破できる」と自分に言い続けました。しかしなぜか、ずっと突破できませんでした。私の考えはこうでした。「法輪がずっと私たちを煉っていて、心性が高まれば徳も自然に功に演化するので、なぜ毎日煉功しなければならないのだろうか? 1日に2時間弱の煉功でも十分に機制を強化できるのではないだろうか?」。 こう考えていた私は、早朝に5式の功法を全部煉るよりむしろ、より多くの時間を翻訳や他の真相伝えの活動に割いていました。

 あるとき、明慧の翻訳校正に携わっているある同修が全く煉功していないことを知り、驚きました。彼女はこのプロジェクトのために多くの仕事をしていたからです。「『轉法輪』を読んでいますか?」と聞くと、「時間がなかったので、しばらく読んでいませんでした」と彼女が答えました。私は更にショックを受けました。これほど多くの大法の仕事をこなしてきた同修が煉功もせず、『轉法輪』も読んでいないとは、考えられません。ふと私はあることに気がつきました。大法のために、私たちは多くの仕事をこなすことができます。しかし、学法もせず煉功もしなければ、私たちは修煉者ではなくなり、そうなれば、いくら多くの仕事をこなしても圓滿成就できないからです。

 師父はこのようにおっしゃっています。「私が思うには修煉者として、やはり大法を第一にすべきです。しかし、自分の仕事もしっかりこなさなければならず、できるだけしっかりこなすべきです。どのようにこの関係を扱うかの問題ですが、具体的なことはやはり自分で決めなければなりません。忙しいからといって、本を読まなくなれば、修めていないことに等しいのです。完全に仕事に身を投じれば、あなたは常人になります。この関係をうまく扱うことができないのですか? うまく割り振りをすればいいのです。これはとても簡単なことです。実は『轉法輪』の中で既にはっきり言いました。法を良く勉強することができれば、修煉の中であなたの何かに影響してしまうようなことは決してありません。かえって、仕事と勉強に時間をあまり掛けなくても良い成績を収めることができます」[3]

 この説法から、私は大法を学べば、修煉者は半分の努力で2倍の結果を得ることができると理解しました。また、煉功が大法修煉の欠かせない一部であるため、煉功にしても同じ道理だと理解しました。しかも、私たちが真の修煉者になって、初めて大法のプロジェクトで良い結果を生み出すことができ、初めて衆生を救うことができるのです。そうでなければ、私たちの仕事の影響力が弱くなり、私たち自身も妨害を受けやすくなり、しまいには衆生を救う効果も薄れてしまうでしょう。

 多くの仕事をしたいという執着心がまだ完全に取り除かれていないため、毎日すべての功法を煉功することができていません。それに、時々は怠けています。しかし、しばらくの間は、きちんと毎日煉功できていました。その間、私は気持ちが落ち着いていて集中力も高まり、エネルギッシュになって、仕事においても創造力に富んでいました。これらのことは、真相を伝えるプロジェクトでより良い結果を出すことに役立てました。また、きちんと煉功できた時、やってきた試練の背後にどんな要因が作用しているのか、私のどの根本的な執着を取り除くためにやって来ているかについて、よりはっきりと認識することができるので、私の修煉にメリットをもたらしています。

 次元に限りがあるため、法に符合しない部分があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 師父に感謝し、同修の皆さんに感謝しています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』

 (2021年明慧法会交流文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/6/427780.html)
 
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