【明慧日本2021年8月31日】(明慧記者・紀珍妍)2012年7月16日、ワシントンDCで開催された「7.20法輪功反迫害22周年集会」にて、オーストラリア・メルボルン出身で、現在ニューヨークに住む西洋人学習者サイモン・ヴェレシャカ氏が短いスピーチを行った。ニューヨークとオーストラリア両地の知人は知っているように、サイモン氏は青年時代から法輪功を修煉し、22年間に亘り迫害と戦ってきた。彼はまた、法輪功のための陳情を行うために、真っ先に北京に駆け付けた西洋人の1人でもある。
7月16日、アメリカ・ワシントンDCで開かれた「7.20法輪功反迫害22周年集会」で、オズドウスキー博士(元オーストラリア人権委員)が今年の「法輪功人権賞」を受賞し、サイモン氏は受賞者を代表して短いスピーチを行った。 |
物語は、1997年の年末に彼が参加した太極拳のクラスから始まる。
『轉法輪』を読み、真の師父に出会う
当時、サイモンは双子の弟ニック(ニコラス・ヴェレシャカ氏)と一緒に園芸会社を経営していた。サイモンさんの太極拳の先生は、50代の中国人女性グレース・チェンさんであった。彼女は数カ月ほど法輪功を習った後、生徒たちに法輪功、および法輪功創始者の書籍である『轉法輪』と『法輪功』を勧め始めた。サイモンさんとケイティさん(アナ・カテリーナ・トゥルク)を含む、クラスの半数の生徒が興味を示した。数年後、ケイティさんはニックさんの妻となった。
腰痛、肝臓出血、関節痛に悩まされていたサイモンさんは10代の頃、両親の離婚をきっかけに薬物依存になり、健康状態が悪化し精神的にも落ち込んでいた。彼は長い年月と多額の費用をかけて治療法を探していた。当時の彼はすでに太極拳を8年練習していたが、効果は限られたものであった。サイモンさんはずっと、精神面においてより向上できる良い方法を探していた。
太極拳の先生が法輪功を数カ月間修煉した後、心身ともに劇的な変化があったことを知り、英語版の『轉法輪』を購入した彼は「私は1998年に修煉を始めましたが、初めて『轉法輪』を読んだとき、深い感銘を受け、李洪志先生が現在の世界では真の修煉法を説いている師父であることを実感し、それまで練習していた太極拳をすぐにやめました」と語った。
太極拳の先生は太極拳を教えることをやめて、法輪功創始者である李洪志先生の説法ビデオ(9回)を上映する無料講義クラスを開いた。サイモン兄弟とケイティさんの3人は相次いで参加した。
メルボルンの煉功点で煉功するサイモンさん(右)とニックさん |
法輪大法の五式の功法を習って1週間も経たないうちに、サイモンさんのすべての病気が消えた。法輪大法が自分を救って下さったと彼は言った。
それ以来、サイモンさんは穏やかな気持ちを保ち、どんな魔難に遭遇しても、真・善・忍の原則に従って対処すれば、必ず問題が解決できると思うようになった。庭師として、時には非常に重い肉体労働をしなければならないが、煉功を終えた途端、サイモンさんは肉体的な疲労がなくなったと感じた。
奇跡は、弟のニックさんにも起こった。法輪大法の修煉を始める前、ニックさんは脚の痛みに悩まされ、理学療法や様々な治療法を試みたが、効果はなかった。落胆した彼は、もう二度と園芸の仕事ができないかもしれないと思った。
1999年初めのある日、ニックさんはサイモンさんの家で法輪大法の学習者たちと出会った。「彼らに会ったとき、まるで浄土に足を踏み入れたような気がした。彼らの精神的な境地はとても高かった。皆が優しくて、それが見せかけではなく、本物の優しさだと感じた」とニックさんは言う。
李洪志先生の説法ビデオを見てから、ニックさんは「真・善・忍」に従って心性を修め、煉功も始めた。その後間もなく、あるイベントで「法輪大法を修煉する前に病気を抱えていた人はいますか?」という問いを耳にした際、彼は突然、自分の病気が完全に消えたと気付いた。「その時は煉功を始めてまだ1~2カ月しか経っていなかったのですが、病気のことをすっかり忘れていました」とニックさんは言った。
「法輪大法を修煉してから、私は魔難に立ち向かうためにどのような精神状態であるべきかを知り、心の安らかな感覚を覚えました。法輪大法は私を善良な人間に変えてくれました。家族の誰もがかつての私と今の私を知っています。父は私をとても誇りに思っています」
ケイティさんはサイモンさんよりも一足早く大法の修煉を始めた。太極拳教室の先生の勧めを受けた翌日、彼女は『轉法輪』を購入した。 「1997年に初めて『轉法輪』を手にしたとき、丸2日かけて通読しました。息を止めて一息で読み終えたような気がしました。そのとき、この本は私がずっと探し求めていたとすぐに気付きました」と彼女は語った。
「私は大学で仏教を学び、スピリチュアルな本を数え切れないほど読み、修道女になろうと思ったこともありました。また、誰かが私を弟子にしてくれる夢も何度も見ましたが、どれもが本当の師ではないと感じていました。私は、人生の真の目的を教えてくれる、真に悟りを開かせてくれる師に出会いたいと強く願っていました」
ケイティさんは、「ようやく大法を見つけたとき、私はとても大切にしていて、それがあまりにも貴重で高度なものであるため、他人に言及してはいけないとさえ思っていました。もちろん、それが李先生の願いではないことがすぐに分かったので、そこから私は大法を紹介するさまざまなイベントに参加し始めました」と振り返った。
北京への陳情を決意
1999年7月20日、中共による法輪功学習者(以下、学習者)への狂ったような迫害が始まり、オーストラリアの3人の平和で幸せな生活も中断された。
中共が法輪功への弾圧をエスカレートさせていく中、中国国内のおびただしい数の学習者が北京に赴き、政府に誤った決定を取り消し、再び国民と民族に災いをもたらさないよう嘆願した。
サイモンさんとメルボルンの学習者が中国の学習者の涙ぐましい話を耳にした中で、中共による是非を転倒し大法と師父を誣告する嘘も欧米のメディアに広まった。海外の主要な新聞では法輪功の真実を知ることができなかった。
1999年12月、アジア太平洋法輪大法修煉交流会に出席するため、3人とオーストラリアの学習者数人が香港に渡った。それは12月11日と12日のことで、中国大陸、香港、日本、オーストラリア、台湾、シンガポール、ニュージーランド、イギリス、スイス、フランス、アメリカなど、およそ20カ国と地域から1000人以上の学習者が香港に集まって法会を開催し、新華社通信の前では、各国の学習者の代表が中国政府と指導者に宛てた公開書簡を手渡した。書簡には、法輪大法は正法正道であるため、法輪功創始者である李洪志先生に対する指名手配を撤回し、その名誉を回復すること、学習者に対する残酷な迫害を直ちに停止し、法輪功の無実を周知させ、学習者の修煉の権利を回復することなど、学習者の心による声が綴られていた。
1999年12月11日の午後1時から3時まで、新華社通信社の筋向かいで、学習者による大規模な集団煉功が行われた。慈愛に満ちた平和的な光景は騒々しい街の風景と対照的で、多くの通行人は足を止めて見入り、行き交うバスの中でも多くの人が拍手を送った。写真は、サイモンさんが煉功に参加していた時の様子である。 |
香港から帰国した後、中国の学習者を助け、中共政権に海外の学習者の声を聞かせ、さらにオーストラリア人に中国の真実の状況を伝えるにはどうしたらいいかと考えたとき、3人の若い西洋人学習者は期せずして北京に行くことを思いついた。
「中国に行ったら、皆で異なる環境での修煉体験を共有できるかもしれないと思いました。また、世界中の学習者が中国での迫害を止めるために、各国の政府に要請していることを彼らに伝えようと考えていました」とケイティさんは言った。
彼らは当初、天安門広場に行って横断幕を掲げることで政府の注意を引こうと考えていたが、静かに強制送還されてしまいかねないとも考えた。最終的に、彼らは中共当局に請願書を提出して、自分たちの声を直接伝えようと決めた。
請願書に彼らは厳粛にこう書いた。「法輪大法は政治運動ではありません。政治や名利に興味を示す人は、法輪大法の修煉者ではありません」
「法輪大法が誹謗中傷されていると知ったとき、私たちは家にじっと居座って何もしないことはできませんでした。なぜなら、法輪大法が私たちに与えて下さったものは、どんな言葉でも表現できないものだからです」
こうして、サイモンさん、ニックさん、ケイティさんの3人は、陳情のために北京を訪れた最初の西洋人学習者となった。
(続く)