【明慧日本2021年10月21日】(前文に続く)
二、18人が迫害され危篤に陥り、解放された後まもなく死亡
明慧ネットの統計によると、2018年3月から2020年4月まで傅政華の法務大臣の在任中に、少なくとも18人が迫害され危篤に陥り解放された後まもなく死亡した。
表2、危篤に陥り解放されてまもなく死亡した18人の一覧表
名前 |
性別 |
年齢 |
省、直轄市 |
市 |
区県 |
死亡年月 |
刑務所 |
出所後の死亡時間 |
劉金玉 |
女 |
67 |
遼寧省 |
大連市 |
2018年4月 |
遼寧女子刑務所 |
帰宅して10日前後 |
|
呂樹彬 |
男 |
56 |
黒龍江 |
牡丹江 |
東寧市 |
2018年5月 |
黒龍江呼蘭刑務所 |
帰宅して12日 |
羅井山 |
男 |
65 |
黒龍江 |
鶏西市 |
虎林市 |
2018年5月 |
呼蘭刑務所 |
帰宅後1カ月 |
呂彦坤 |
男 |
59 |
遼寧省 |
本溪市 |
2018年5月 |
鄭州刑務所 |
帰宅後18日 |
|
朱星河 |
男 |
54 |
江蘇省 |
江陰市 |
2018年6月 |
蘇州刑務所 |
帰宅後の翌日 |
|
趙春艶 |
女 |
65 |
黒龍江 |
鶏西市 |
恒山区 |
2018年7月 |
黒龍江女子刑務所 |
帰宅後12日 |
仲崇斌 |
男 |
57 |
江蘇省 |
連雲港 |
2018年8月 |
洪澤湖刑務所 |
帰宅後2カ月 |
|
李秀芹 |
女 |
58 |
黒龍江 |
佳木斯 |
湯原県 |
2018年9月 |
黒龍江女子刑務所 |
帰宅後77日 |
劉真芳 |
女 |
60 |
河南省 |
信陽市 |
潢川県 |
2018年12月 |
河南女子刑務所 |
帰宅後3カ月 |
杜文革 |
女 |
北京市 |
大興区 |
2019年2月 |
北京女子刑務所 |
帰宅後7カ月前後 |
||
李軍旗 |
男 |
46 |
河南省 |
周口市 |
淮陽県 |
2019年2月 |
鄭州新密刑務所 |
帰宅後4カ月 |
侯麗鳳 |
女 |
67 |
黒龍江 |
ハルビン |
方正県 |
2019年4月 |
ハルビン市女子刑務所 |
帰宅後58日 |
王懐富 |
男 |
71 |
四川省 |
綿陽市 |
2019年7月 |
楽山嘉州刑務所 |
帰宅後11カ月 |
|
張暁傑 |
女 |
51 |
河北省 |
秦皇島 |
2019年8月 |
河北省女子刑務所 |
帰宅後1年2カ月 |
|
彭伯祥 |
男 |
63 |
湖南省 |
常德市 |
桃源県 |
2019年8月 |
湖南津市刑務所 |
一時出所後1カ月 |
鄭徳財 |
男 |
84 |
遼寧省 |
大連市 |
庄河市 |
2019年11月 |
大連刑務所 |
出所後3カ月 |
万大久 |
女 |
湖北省 |
武漢市 |
漢陽区 |
2019年9月 |
武漢女子刑務所 |
帰宅後5カ月 |
|
陳孝民 |
男 |
51 |
河南省 |
洛陽市 |
洛寧県 |
2020年3月 |
鄭州市新密刑務所 |
帰宅後23日 |
迫害の実例
1、懲役11年の判決を下された李国俊さんが迫害され死亡
遼寧省朝陽市の学習者・李国俊さん(女性)は、法律に基づき、法輪功迫害を発動させた江沢民を告訴したが、当局の警官に報復され、懲役11年の重刑を言い渡された。朝陽市留置場と遼寧省女子刑務所に拘禁されていた期間中に、残忍な拷問を受けた李さんは、危篤状態に陥り、治療のために帰宅したが、2020年5月5日、無念な思いを晴らせないまま、この世を去った。享年53歳だった。
臨終の際、李さんは心から「法輪功は間違っていない」と言った。
迫害され化学療法を受けた後の李国俊さん |
2、鶏西市の趙春艶さん 解放されて12日後死亡
黒龍江省鶏西市恒山区の学習者・趙春艶さんは、黒龍江省女子刑務所で5年間苦しめられて瀕死の状態となり、2018年7月16日に救急車で自宅に送られたが、7月28日の明け方に無念な思いを晴らせないまま死亡した。享年65歳であった。
趙春艶さん |
趙さんは次のように話したことがある。「警官の肖淑芬はいつも私を監視し、むりやり1日2回も薬を口に押し込んだ。私はどれくらいの期間飲まされたか、はっきり覚えていないし、薬の名前も知らない。毎回のように薬を押し込まれた後は下痢が止まらなくなり、最後には食べ物が喉を通らなくなった。歯も無理やり力まかせに、打ち落とされた」
3、河南潢川県の劉真芳さんは迫害され死亡
河南省潢川県の学習者・劉真芳さん(60)は、河南女子刑務所で迫害され、骨と皮ばかりにやせこけた。2018年9月1日、一時仮保釈された劉さんは鄭州病院で治療を受け、7日間で七万数千元の多額の費用を使い果たしたが、内臓が潰爛して壊死し、その効果は全くなかった。2018年12月7日に劉さんは無念の思いを晴らせないまま、亡くなった。
4、江蘇省の朱星河さん 解放されて翌日吐血して死亡
江蘇省江陰市の学習者・朱星河さん(男性)は、中共が法輪功の迫害を開始してから19年の間、何度も連行され拘禁された。2015年5月、朱さんは懲役3年6カ月の実刑判決を宣告され、刑務所に収容された。さまざまな拷問を受けてきた朱さんは、2018年6月22日に解放されたが、23日の朝から吐血して死亡した。54歳の若さであった。
5、黒龍江省湯原県の李秀芹さん 迫害され死亡
李秀芹さん |
黒龍江省湯原県の学習者・李秀芹さんは、2010年7月1日に不当に連行され、懲役8年の実刑判決を下され、黒龍江省女子刑務所に拘禁された。長年の迫害により、李さんは心臓病、糖尿病、肝膿瘍などの症状が現れた。2015年7月、李さんは刑務所外の病院に送られ手術を受けた。当時、警官は家族にサインさせるため、軽度の手術だと言っていたが、後に刑務所に戻った時、30センチ以上の切開を必要とする大手術であったことが初めて分かった。刑務所に戻ってから数カ月間、管が挿入されたまま傷口が治らず、2018年に解放された時も切開部が炎症を起こしていた。
帰宅後の李秀芹さん |
病院で救急措置を受けている李秀芹さん |
2018年6月30日、李さんは刑期が満期になって帰宅したが、10日後に、倒れて入院した。それ以来、寝たきりになった。
入院している間、李さんは毎日極度の苦痛の中で過ごし、静かに落ち着いてに眠ったことはなかった。そして、2018年9月15日朝7時40分、李さんは無念の思いを晴らせないまま、死亡した。58歳だった。
6、遼寧省大連市の劉金玉さんは 解放されて10日後に死亡
遼寧省大連市の学習者・劉金玉さん(67)は、2016年4月21日に自宅から警官らに連行され、その後、懲役3年3カ月の実刑判決を宣告され、同省の女子刑務所に収容された。刑務所で残忍な迫害を受けた劉さんは呼吸困難になり、食事も水を飲むことさえできず、生命の危険に陥った。そこで、家族は劉さんの解放を強く求めた結果、2018年4月の初めの頃やっと解放されたが、2018年4月15日にこの世を去った。
7、遼寧本渓市の呂彦坤さん 解放されて18日後死亡
学習者・呂彦坤さん(59)は河南省済源市裁判所に懲役6年の実刑判決を宣告され、2017年のはじめに秘密裏に鄭州刑務所に送られた。その結果、肝臓に腹水がたまり、肝臓がん末期と診断された。しかし、刑務所と本渓市の法曹機関は解放時期を伸ばし、治療のタイミングを遅らせた。2018年5月2日、呂さんはようやく帰宅したが18日後に、他界した。
呂さんは何度も拘禁され、労働教養を強いられ、長年にわたって放浪生活をしていた。2015年1月、呂さんは済源市国保の警官が仕掛けた罠にかかり連行された。
8、黒龍江省牡丹江市の呂樹彬さん 仮釈放されて12日後死亡
呂樹彬さん |
黒龍江省牡丹江市の学習者・呂樹彬さんは2018年5月17日、呼蘭刑務所に仮釈放を許可されて帰宅したが、残酷な迫害によりすでに自立した生活ができず、極度に痩せてお腹だけが破裂しそうに大きく腫れ上がった状態になっていた。家に帰った呂さんは何も食べられず、痛みでじっとしておれず、長時間座ったり横になったりすることすらできなくなり、仮釈放されて12日後の2018年5月29日朝方、56歳の若さでこの世を去った。
呂さんは東寧市でメタンガスを利用して野菜を栽培する第一人者であった。当時、テレビ局は2回も呂さんを取材した。呂さんは2012年から法輪功を学び、2015年2月2日に不当に連行され、懲役3年6カ月の実刑判決を宣告された。
9、仲崇斌さん 解放され2カ月後に死亡
江蘇省連雲港市の学習者・仲崇斌さんは1961年生まれの退役軍人で、連雲港市法律事務センターに勤務していた。1999年に法輪功を学び始め、同年、中共による法輪功迫害が始まってからも、学び続けたという理由で迫害を受けていた。仲さんはかつて2年間の労働教養を強いられ、合計懲役7年の実刑判決を宣告され、洗脳による迫害を数回受け、3回拘束され、家宅捜索を5回受けたことがある。
仲崇斌さん |
仲さんは、江沢民を告訴したとして、懲役3年の実刑判決を宣告された。仲さんは洪澤湖刑務所で残虐な迫害で衰弱し、体重がわずか35キロ以下までやせ細り、2018年6月12日に家に帰されたが、その甲斐なく、同年の8月14日に死亡した。
10、彭伯祥さん 帰宅して1カ月も経たない間に死亡
湖南省常徳市桃源県の学習者・彭伯祥さんは、中共によって様々な苦しみに苛まれ、二度も3年間の労働教養を強いられた。その後、2008年の北京オリンピックの前に再度連行されて、懲役13年の実刑判決を宣告された。そして湖南津市刑務所で、危篤状態に陥った。そのため一時出所できたが、彭さんは家に帰って1カ月も経っていない2019年8月に無念な思いを晴らせないまま死亡した。享年63歳だった。
11、刑務所で危篤状態に陥った陳孝民さん 帰宅して23日後死亡
河南省在住の学習者の陳孝民さんは、鄭州市新密刑務所で残忍な迫害を受け、帰宅してから1カ月あまり経った2020年3月10日に冤罪が晴れぬまま、この世を去った。享年51歳だった。
陳孝民さんの兄弟・陳躍民さんと陳少民さんも、法輪功を学んだとして中共により迫害され、相次いで死亡した。
12、累計8年6カ月拘禁された綿陽市の王懐富さん 死亡
綿陽市の王懐富さんは正直で心優しい年配者で、法輪大法を学んだとして、中共の関係者に8回も不当に拘禁された。うち、1年間労働教養を強いられ、嘉州刑務所と広元刑務所で合計7年6カ月も迫害を受け、苦しみを嘗め尽くした。 2017年から2018年の間、王さんは嘉州刑務所で大量の不明な薬物を注射された。もともと健康で体重も65キロ以上あった王さんは、2018年6月10日、刑期を終えて解放された時、すでに骨ばかりのように痩せ細り、瀕死の状態に陥った。 2019年7月16日、王さんはこの世を去った。享年71歳。
王懐富さん |
13、李軍旗さん 精神が不安定な状態で帰宅し4カ月も経たないうち死亡
河南省周口市淮陽県の学習者・李軍旗さんは、5回連行され、2回不当な判決を宣告され、数々の拷問を受けたことがある。2018年に解放された李さんは、4カ月も経たないうちに亡くなった。
2018年10月26日、李さんは冤罪が満了し、鄭州新密刑務所から淮陽の自宅に帰った。刑務所でどんな薬物を飲まされたかは知らないが、釈放後の李さんは明らかに精神異常になり、4カ月も経たないうちに亡くなった。46歳だった。
14、大連市の鄭徳財さん(84歳) 刑務所の迫害により死亡
大連市の学習者・鄭徳財さんは、中共法曹部門の関係者に懲役1年6カ月の実刑判決を言い渡され、2018年6月14日に南関嶺刑務所に拘禁された。2018年8月6日、鄭さんは大連刑務所に移送された。同年9月13日、家族は面会に行ったが、「転向するまで面会できない」と言われた。
2019年8月に出所した際には、鄭さんはすでに歩くことができなくなり、11月21日に亡くなった。
15、秦皇島の優秀な講師・張暁傑さん 迫害により死亡
河北省秦皇島高級技術学院の講師である張暁傑さんは、連行されて懲役5年の実刑判決を言い渡された。期間中、様々な非人道的な拷問を受けた張さんは、河北省女子刑務所で卵巣がんを発症した。2018年6月、張さんは出所したが、仕事を失い、病状も悪化した。2019年8月24日、張さんは51歳の若さでこの世を去った。
張さんは、法輪功を学び、「真・善・忍」の基準に基づき自らを要求し、熱心に働き、顕著な教育成果を上げたとして、長年連続して模範教師に選ばれ、同僚や学生から良い評判を得た。
16、黒龍江省の羅井山さん 解放されて1カ月後死亡
黒龍江省虎林市の学習者・羅井山さんは2年6カ月の冤罪を経て、2018年4月1日、息子が迎えに来て自宅に帰ったが、すでに全身が浮腫んで歩けず、話すことさえもできなくなっていた。帰宅してから1カ月後の2018年5月3日、羅さんは冤罪が晴れないまま死亡した。享年65歳だった。
中共の法務大臣である傅政華は、刑務所内で学習者が迫害され死亡した事件について、逃れられない指導責任がある。悪には悪の報いがある。傅政華は、中央610弁公室の元責任者、江沢民犯罪グループの一員として、法律の下で厳しい処罰と国際社会からの制裁を受けるとともに、歴史と道義からも処罰を受けることになる。
傅政華の個人情報:
傅政華は、48年間にわたって公安部門に在職し、北京公安局局長、公安部副部長、「中央邪教問題を防止、処理する指導者グループ」の副組長、中央「610」弁公室主任、法務大臣、全国政治協商会議社会と法制委員会副主任などを歴任した。
傅政華は、中共の政治的迫害のプロの打ち手として知られ、外部からは「冷酷な役柄」、「酷吏」と呼ばれている。公的な報道によると、傅政華は中国で国際社会に注目されている数々の人権迫害の事件を主導または参加している。
(完)