黒竜江省女子刑務所で迫害された劉亜芹さんが死亡
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 【明慧日本2021年11月14日】黒竜江省鶴崗(かくこう)市興安区の法輪功学習者・劉亜芹さん(女性)は、中国共産党の江沢民グループが法輪功迫害を発動してから、2回も判決を受け、合計7年間拘禁された。黒竜江省女子刑務所で、劉さんは毎日21時間、連続50数日間も動かずに小さな椅子に座らされ、吊し上げや、殴打、罵られるなどの拷問を受けた。そして、出所して5カ月後の、2021年10月31日に劉さんは死亡した。享年69歳。

 劉さんは2006年に、1回目の拘禁を終えて出所し、河北省三河市の息子の家に行き、息子の家族と一緒に暮らした。明るくて、心が温かい劉さんはとても若く見えると周りの人によく言われた。

 法輪功を学ぶ前、劉さんは結核性胸膜炎、胸水で胸部の左右の高さが違って、発症した時、呼吸するたびに胸が痛かった。さらに、腹膜炎、骨盤内炎症性疾患を患い、お腹が痛くて、ベルトも使えなかった。色々な治療を受けたが、病気は治らず、大腸癌にもなってしまった。その後、全身が腫れ、排尿困難となり、10数年間、苦痛を伴った。

 しかし、幸にも1996年12月4日に法輪功を学び始めた劉さんは、3カ月間で奇跡が起き、患っていた病気が完治した!

 黒竜江省女子刑務所で受けた迫害の数々

 1999年7.20、江沢民グループは気が狂ったように法輪功への弾圧を開始した。2000年2月20日、劉さんは学習者2人と一緒に、法輪功の陳情のため北京へ行った。陳情弁公室に着くと、3人は警官に連行され鶴崗市の北京駐在弁事処に送られた。窓もなく、小さくて暗い部屋に劉さんら3人は鉄の鎖で繋がれ、トイレに行くときも外してくれなかった。その後、鶴崗市興安区新建派出所の警官によって劉さんたちは鶴崗市へ連れ戻され、鶴崗市で継続して拘禁された。

 2002年4月28日、劉さんは興安区新建派出所の警官に連行され、興安公安支局の局長に頭を殴られ、当日の夜に鶴崗市第二留置場に送られた。その後、鶴崗市第一留置場に移送された劉さんは興安区裁判所に懲役4年の判決を言い渡された。

 そして、2002年10月、劉さんは黒竜江省女子刑務所に送られ、身体検査で結核がみつかったが、鶴崗市第一留置場の警官に無理やり刑務所に入れられた。第七監獄区に収容された劉さんは奴隷のような労働を拒否したため、残酷な迫害を加えられた。2003年11月、真冬のような寒い朝、刑務所所長の指示で、10数人の学習者は屋外に立たされた。劉さんは連続、6日間立たされた。

 2004年7月28日から11月まで、劉さんは昼、手錠をかけられ、二段ベッドの上の欄干に繋がれ、夜、両腕を背中に回されて手錠をかけられた。両腕が痛くて黒くなっても手錠を外してくれなかった。

 その後、名札をつけることと囚人服を着ることを拒否した劉さんは、一層酷い拷問を受けた。警官は劉さんの片腕を肩から、もう片腕を腰から、両腕を背中に回して手錠で繋ぎ、そして、劉さんを持ち上げ、両足を地面につけないように吊るし上げた。この拷問は「蘇秦背剣」と呼ばれていて、時間が経つにつれて手錠がきつくなっていき、両腕に激痛が走り、痛みで劉さんは汗びっしょりになった。

 ある時期、劉さんは睡眠を剥奪された。寝るたびにペットボトルの水を顔や目にかけられた。また、両腕に手錠をかけられて洗濯室に立たされ、数日間続けられた。

 2006年、刑務所で苦しめられた劉さんは出所したが、法輪功への信仰を放棄しなかった。

 再度、不当判決と体罰を受ける

 2014年、故郷の鶴崗市に数枚の折紙で作った蓮花を郵送したとして、劉さんは鶴崗市向陽公安支局の警官に連行され、2カ月と2日拘禁されて保釈され、帰宅した。2015年、向陽支局の警官は劉さんを公安局へ来るようにと呼び出した。しかし、当時、劉さんは海南で夫の病気の介護をしていたため、行かれなかった。しかし、ネットで指名手配された。

 2018年7月22日、劉さんは年金が支給停止されたことを解決するため、バスに乗って実家に帰ろうとしたが、香河高速道路の料金所で、警官に連行され、三河市留置場に送られた。6日後、鶴崗市留置場に移された。その後、鶴崗市興安区検察庁に起訴され、裁判所に懲役3年と罰金3000元(約5万4000円)の判決を下され、再度、黒竜江省女子刑務所に送り込まれた。

 刑務所に入って、劉さんは「集団訓練隊」に入れられ、毎日5人の受刑者によって監視された。劉さんは20㎝四方の椅子に座らされた。両手を膝に置いて、両膝を開くことが許されず、両足と椅子が60㎝の範囲を超えてはいけないと制限された。目を少し閉じると、あるいは、姿勢を保たなければ、水を浴びせられ、蹴られたり殴られたりなどの暴力を加えられた。「三書」を書かないと、深夜2時~朝4時半までしか睡眠を許されなかった。

 7~8月の真夏、劉さんはこのような迫害に50数日間耐えていた。

 2021年1月17日午後、ある年配の学習者のことに同情し、口を出しただけで、劉さんは罵られ、ビンタされ、胸部を猛打された。そのため、ベッドから起き上がるとき、手すりを掴まないと起き上がれなかったという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/11/433501.html)
 
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