【明慧日本2021年11月19日】四川省瀘州市古藺県の羅正貴さん(86)と妻の張自琴さんは法輪功を学んで恩恵を受け、心身ともに元気になった。しかし、法輪功を学び続けている羅さん夫婦は、当局にそれぞれ2回、判決を下されたことがある。拘禁されている間、羅さんは住宅が石宝鎮政府に強制的に差し押さえられたため、刑務所から出所した後、石宝鎮から古藺鎮に移住させられた。さらに、年金の支給も停止された。
2021年11月5日午後3時ごろ、古藺県公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の大隊長は10数人の私服警官を率いて、銀行から帰宅途中の羅さんを連行し、パトカーに乗せた。その後、警官らは羅さんの家に行き、ドアを壊して不当に侵入した。家にいた妻の張さんは、警官3〜4人によって取り押さえられた。
そして、警官は古藺県公安局から「捜査証」(2021第86号)を取ってきて、羅さん夫婦に見せたが、「捜査証」に公安局長のサイン、捜査の時間など、書いておらず、ほとんど空白だった。古藺県公安局に連行され、尋問を1時間ほど受けた後、羅さんは身長、体重を測られ、指紋、足形、手形を取られて、古藺県人民病院に送られ、身体検査を受けた。午後11時半になって、羅さんはやっと帰宅させられた。
警官は羅さんの家から、法輪功の書籍、『正見週刊』60冊、『明慧週刊』90冊、メディアプレイヤー7つ、携帯電話5台、お香、印刷用紙、蓄電池、『四庫全書』、現金、食物などの私物を押収した。しかし、警官は押収リストを作らなかった。
警官は羅さんを家に送った後、妻の張さんを連行した。張さんは警官に従わなかったため、強制的に持ち上げられて連行された。張さんは尋問を受けたが、記録を見せてくれず、夜中の1時半に「居住監視」という処分を宣告された。その後、張さんは迫害から免れるため、余儀なく放浪生活を強いられた。
羅さんは古藺県石宝鎮政府部門に勤めていた。かつて、副郷長だった羅さんは退職のとき、神経衰弱、心臓病、腎臓病、胃癌を患い、胃に3箇所の穿孔が生じた。1999年4月、法輪功を学んでから病気が完治し、優しい性格に変わった妻のことを目の当たりにして、羅さんも法輪功を学び始めた。半年後、羅さんも健康な体を得た。しかし、法輪功を学んでいるとして、羅さん夫婦は迫害を加えられた。
2001年元旦、羅さんは洗脳班に入れられ、1カ月間迫害を受けて、帰宅したが、翌日に古藺県留置場に連行され、70数日間拘禁された。2002年、羅さんは再度108日間拘禁された。2004年、羅さんは懲役3年6カ月の判決を受けた。
2001年1月19日、妻の張さんは連行され、懲役4年の判決を下された。
2009年4月、羅さんは集団学法・煉功の組織者と疑われ、石宝鎮政府の人員と派出所の警官は、羅さん一家を捕まえようとした。そのため、羅さんと妻、息子の3人は家から離れ、放浪生活をするしかなかった。それを機に、鎮政府は羅さん一家の住宅を占有し、羅さんに対して年金の支給を停止した。
2011年11月11日、羅さん夫婦は、他の地方で私服警官に連行され、ともに懲役4年の判決を言い渡された。2013年9月12日、80歳近くの羅さんは四川省vに収容された。
羅さん夫婦は1回目の判決を受け、前後に刑務所から帰宅した後、ずっと監視、尾行、嫌がらせを受け続け、普通の暮らしができなかった。2009年、羅さん一家3人が放浪生活をしたが、息子は迫害を避けるため、1人で放浪生活を余儀なくされ、生計のため、過度の疲労、精神的な圧力などによって倒れてしまった。病状が日々に悪化していったが、治療費がないため、苦痛の中で死亡したという。